ばあちゃんとソーシャルディスタンス

新年明けましておめでとうございます。

本来ならもっと明るい年末年始だったかと思いますが、去年から始まったコロナウイルスの猛威が再び僕らを襲っています。

そのため実家に帰省できなかったり、外にも出られず会いたい人にも会えなかった方が多いんじゃないかと思います。

去年コロナウイルスが流行し始めた時にブログに僕の想いを綴りましたが、今も同じ気持ちです。

コロナウイルスという目に見えない恐怖に怯えて絶望しないでほしいと心から思ってます。

僕は前ブログに書いたようにコロナウイルスに感染したら自分の持病の関係で、本当にどうなるか全くわかりません。

そのことを考えると時々本当に眠れなくなります。

さらにこのコロナ禍で事業も厳しい状況が続いています。

元々吹けば飛ぶような会社ですが、コロナ禍で休業を余儀なくされ、昨年前半は一気に赤字が増えて、ここまでに約1500万円近い損失が出ました。

大きな会社を経営されている方々に比べれば何てことはない金額だと思いますが、店舗と従業員の雇用を維持しながら、この損失をカバーするために自分にできることを一生懸命やり続けています。

心身ともに本当にすり減り続けていますが、多くの皆さんのおかげで何とか前を向いて戦えています。

正直会社のことは、もしダメになっても多額の借金を負うことになるだけで人生が終わるわけではないし、頑張れば取り返しがつきます。

今一番僕が辛いと思っていることは、僕も含めて家族のみんながもうコロナの前のおばあちゃんと会えないこと。

おばあちゃんは1月2日で96歳になりました。この年まで生きているから本当にすごいなと思います。

僕は六男ということもあり、親が手を満足にかけれないことも多く、結構おばあちゃんが育ててくれました。

子供の頃におばあちゃんが作ってくれる「うまかっちゃん」はいつも麺がのびていて、全然美味しくなかったので、自分で「うまかっちゃん」作ろうと思ったことが僕が料理するようになったきっかけです。笑

ばあちゃんはたくさん僕にいろんな話をしてくれました。

子供の頃台湾で暮らしていたこと。

戦争のときに弟を連れて空襲から逃げ回っていたこと。

ぼくの父さんが小学生の頃、弟のひろのり叔父さんが家の目の前の川で一緒に遊んでいたら溺れてしまい、それなのに普通に家に帰ってきて、ばあちゃんが「ひろのりはどうしたんかね?」と聞くと平然と「川で溺れとるよ」って言ったことに我が息子ながらびっくりしたこと。

これらの話は通算で100回は聞いた気がします。

大学生の頃も実家にいたので、ばあちゃんと2人でテレビ見ていることが多く、ばあちゃんはカタカナがわからないといつも僕に聞いてきた。

「キューピット」は「仲人」ってうまく答えられたけど、「エコポイント」は耳の遠いばあちゃんに複雑な説明が無理だと思って、諦めて白旗をあげた。

ダウ平均株価ぐらいしか変わらないのに朝から夕方までNHKの定時ちょうどのニュースを見ては、毎回新鮮なリアクションをしていたばあちゃん。

そんなばあちゃんはコロナになる少し前に家で転けて骨折してから、ちょっと体調が悪くなり、痴ほう症も出始めて施設に入ることになった。

その当時僕は忙しくて、近くだから面会はいつでも行けると思って行かなかった。

そしたら、コロナウイルスが猛威をふるった。

当然面会は拒絶され、両親以外は会えなくなった。

その間ばあちゃんの痴ほう症は進み、もう父さんと母さんのこともわからなくなることが多くなった。

去年12月にばあちゃんが深夜倒れて救急車で病院に搬入された。

その2時間前に父さんも救急車で病院に運ばれるという悪いことが奇跡的に重なったため、母と2人でばあちゃんのいる病院に駆け付けた。

約1年ぶりに会えたばあちゃんはビニールカーテン越しに呼吸困難で今にも死にそうな状態だった。

看護士さんからも「正直どうなるか全くわかりません。」と伝えられ、僕も母さんもばあちゃんの死を覚悟した。

「ばあちゃん、ばあちゃん」と母が呼び掛けるけど、意識がないから当然反応はない。

「ばあちゃんの手をさすりたいけど、できんよね…」と虚しそうに母は言った。

僕はただ呆然とばあちゃんを見ることしかできなかった。

結局ばあちゃんはそれから意識を取り戻して、年末には施設に戻れるところまで回復した。

でも、僕はもうばあちゃんには会えない。勇太と呼んでくれるおばあちゃんとは話すことができない。

次に会うときにはきっとまたビニールカーテン越しか、もしくは棺に入ってからかもしれない。

もうばあちゃんの手を擦ってあげることはできない。

何かが大きく間違っている気がする。

でも、誰にこの悔しさをぶつけていいかもわからない。



「ソーシャルディスタンス」




ばあちゃんがまだ一度も聞いたことない言葉。

もし今ばあちゃんとテレビを見ていたら必ず聞いてくると思う。


「勇太ソーシャルディスタンスって何かね?」


たぶん僕はこう答える。


「ばあちゃんがわからなくていい言葉。」


死ぬ間際に手も擦れない社会になったなんて、きっとばあちゃんには信じられないだろうから。

テクノロジーがいくら進もうとも、リモートで話ができるなようになっても温もりだけは届けることができない。

今年も分断は続くと思うけど、会いたい人には会ってほしい。

次はないのかもしれないのだから。

少しでも早く、みんなが気兼ねなく会いたい人に会える時が訪れますように。

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