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休校についての、現時点での、検討項目

政府による緊急事態宣言延長の発表を受け、子どもの通う小学校の休校が5月いっぱいに決まったという通知を受け取る。GW空けの再開など無理だったのは予想通りだ。

子ども達の自宅待機は、安倍氏の突然の休校要請から数えて、これで3か月以上に及ぶことになる。

今回のウイルス禍は、様々なジレンマをあちこちに生み出しており、この休校中の対策についても、どうすれば良いのか、最適解を持つ人は恐らくどこにもいないだろう。その状態に甘んじながら、出来る範囲で、状況を整理してみたいと思う。

日本以外の国では、オンライン授業がすぐに始まったという話がどんどん入ってきたが、段々とオンライン授業も大変だということがわかってくる。それは当然そうだろうと思う。私自身、子ども達と一緒にZOOMで友だち親子と数回のオンラインデートを試みたり、子どもが小学校でもらってきたeラーニングシステムを活用したり、子どもの勉強を見たりして、自分の中の経験が増えるにつれ、「これさえあれば一気に解決!」の様な素晴らしい方法がどこかに存在するという淡い希望などは早々に打ち砕かれたから。例えば、フランスのル・モンド紙で、学童を抱えての自宅待機についての記事(4月14日)で、このような一文がある。「キャロリンも、《自宅学習》が《地獄》だと感じている親のひとりだ。Caroline fait partie de ces parents pour qui « l’école à la maison » est « un enfer ».」

生徒の年齢が上がってくるとまた問題が変わってくる筈だが、子どもの年齢が低いと、とにかく手がかかる。まず、渡されてあるプリント類の中の、今日はどこの部分をやるか、おぜん立てしてやらないといけない。漢字を、書き順通りに、所定の回数分書かせるだけでひと苦労だ(例え書き順が目の前にあっても。習った新しい漢字を正しい書き順で5回書くまでに、歌ったり、フェイントで線をおかしな方向で引いてみたりー左から右、下から上ー、話したり、間違いを指摘すると怒ってまた落ち着くまでに時間がかかる、色々脱線しながらで、ここには「効率」などという概念は存在しない)。ひとりが宿題を持ってくる(自営の仕事場に子どもも連れていく)のを忘れて、手持無沙汰になると、もうひとりも宿題をやりたくなくてひと悶着。ZOOMをすれば、みな(特にうちの子達だが)勝手に話し出して、相手の話など聞こえない。そのうち、勝手に自分のしたいことを始める。

大人の「計算通り」に事がうまく進むだなんてことは、滅多にない。

さて、休校中の措置で、ポイントとなる点を、思いつくままに書いてみようと思う。

① 学校再開時に、どれ位、学習が進められているか

② 学校再開時に、全体でどれ位の学習進度のばらつきがでるか

③ 休校が解除された後に、再度休校措置が取られることに、どう備えるか

①が重要である根拠は、子どもの時間を「失わせない」ためだ。今、夏休みを削って、授業時間を確保するという話が出ている。これは、今やるべきことをやらず、結局子どもの時間を浪費させていることと同じだ、結局後でそれをしなければいけないのだから。遊べる時間を削って勉強しなければいけないのなら、家にいなくてはならない時間に勉強した方が良い。そして、近年、命の危険すらある酷暑の中、登校させることは、子ども達の安全をリスクに晒すこととなる。

②については、これまでに例のない長期間に渡る休校は、これまでに例のないほどの学習進度のばらつきを生むことが予想される。つまり、再開後の、生徒全体の学習の質を保障するためには、このばらつきを出来る限り小さくするための何らかの工夫や働きかけが「休校中に」必要だ。

※ただ、Le Monde紙の、社会の中の格差(家にプリンターがない、親の帰宅時間が遅い、親がフランス語をわからない、等)を問題にした記事(5月8日付)で、「大臣が3月16日以降、《教育を途切れさせないこと》を最重要と強調しているにも関わらず、多くの教師がその目標は幻想だと判断し、早々に諦めた」(Même si le ministère martèle depuis le 16 mars que la priorité est à la « continuité pédagogique », beaucoup de professeurs ont renoncé très tôt à cet objectif jugé illusoire.)とある様に、①の強調は②の格差を余計に生み出す恐れがあるということも留意しないといけない。

③は、当然、今後休校措置が取られない保障など、どこにもないので、それを見越して準備する必要がある。つまり、夏休みで挽回する、だとか、9月入学制に変更する、だとかは、解決方法として適当ではない。

次に、子どもと学びにもう少し、焦点を近づけてみる。

④ この長期間の、そして出口の定まらない休校の、子どもへの心理的影響をどう評価するか

⑤ 「学習」の分析が必要

⑥ 「本質」について

④については、「場」を失うこと。先の見えないこと。同年代との交流を絶たれること(上下の関係のない、対等な人間関係が、長期間にわたって奪われかねない)。誰も具体的な「答え」を示してくれないこと。など。それらが、「コロナ世代の子ども」の成長にどの様な影を落としうるか。人格形成に与えうる影響は。

⑤ 学び、学習について、多方面から見直しが必要ではないか。また、例えば、小学校低学年においては、自分で学習することができずに学習の「手ほどき」が絶え間なく必要であることや、卒業の年には、受験・進路問題があることなど、その年齢や学年で、学習の意味合いや必要とされる手助けの内容なども違ってくる。

⑥ 「子どもとは」「学びとは」「学校とは」「子どもの育ち」など、の本質的な問いを、例えば上記に挙げた様な、様々なレベルでの検討から、掬い上げること。そこから、また具体的な検討へ、フィードバックしていくこと。

あくまで、個人的で暫定的な意見を書いてみると、ひとつの最適解というものがない以上、それぞれの状況や場面にあわせて、ベターであるもの(単に、「マシ」でしかなくても)を重ねたり、組み合わせたりしていくしかないだろう。

例えば、オンライン授業でできることと限界の適当な評価。配信側はデータを大きくし過ぎない工夫(通信の不安定につながる)。双方向か、一方向か。テレビでの放送の検討。授業ではなく、場(朝のミーティングなど)を提供することを目的としたオンライン環境。ソフト面、ハード面の検討(公平性、妥当性、目的に合った選択が為されているか)。

例えば、田舎部の人数の少ない校区であれば、廃校や公民館などの空いている施設を使って、小さい単位、もしくは個別での簡単な授業はできないか。

課題の達成度はチェックすべきか放置するか(②から言えば、するべき)。チェックの方法は。課題を自分でできない生徒はフォローするかしないか。する場合はどういう方法で。

もう一点加えるとすると

⑦ 社会的分業の崩れ

子どもの学力、体力、社会性、精神などの「成長」の場として学校があり、先生が週5日、受け持っていた(まだひとりでいるには危険が大きい低学年の子どもは、保護者の代わりも果たした)。それらの、先生達のしていたことが、休校中(かなりの長期間にわたって)親の管理下に移されることとなって、社会の分業が崩れている。これを、休校の措置を取りながら、どの様に、戻す方向に近づけるか。

以上、現時点で気づいたことを、思いつくままに書き出してみたが、まだ不足なども沢山あることだろう。いずれにしても、希望的な予測を怠慢から採用して、子どもに大きなしわ寄せをすることの無いよう、大人としては動きたい、動いて欲しい。

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