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叱られるということ

僕のような昭和生まれ、昭和育ちの年代は
子供の頃に決まって言われていたことがあります
『叱ってもらえるうちが華だ』

叱られること
叱ってくれる人がいることは幸せなこと
喜ばしいこと
そう言われ続けて生きてきました
そして大人になると
同じことを子供や若い人に言っている自分がいます

例えばプロスポーツ
サッカーでも野球でも
お客さんは応援しているチームが失敗すると
『何やってんだ!』
『やる気あんのか?!』
と野次るお客さんがいたりします。
野次る事が決して良いことだとは言いません
でも
そのチームを好きだから野次も言うし文句も言います
好きでもなんでもないチームが失敗しようと負けようと
何も言いません
好きだからこそ勝って欲しいからこそ
応援しているからこそ文句を言います

人も同じ
好きだからこそ愛情があるからこそ
文句を言う事もあれば叱りつけることもあります
真剣にその人を思うからこそです
もちろん
どうでも良い人に対しては何ひとつ言いません
叱ったことで言い返されても面倒なので
嫌な思いをしてまで
叱るとか文句を言うとかはしませんね

『親にさえ叱られたことがないのに、何故他人に叱られるのか』
そんなセリフを聞いたことがあります。
かわいそうな人だと思いました
親にでさえも叱ってもらえないなんて


困るのは
叱ることと
憎しみ怒りなどの感情をぶつけることは
全然別のことなのだと気が付かないこと
ぶつける方も、ぶつけられる方も
全部をごちゃ混ぜにして
ハラスメント」の一言で片づけてしまう風潮
叱られたという現実と
叱るだけの愛情があるという真実との違い
そこに気付けば
ハラスメントかどうかの区別なんて簡単です

もっと大人になってくれませんか?
もっと真実を見てくれませんか?
僕たちは人と人との間で生きています
だから人間です
人間であるからには
コンピューターと違って「情」というものを持っています
情と情で感じ合うことができるはずです

どうか自分を叱ってくれる人こそ
自分にとって大切な人だと思ってください

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