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自己紹介

僕がどういう人間なのか
どんなことを考えているオッサンなのか、
どうぞ自己紹介の中から推測してみてください。
皆さんが想像する僕のイメージは当たっているかもしれません
大外れかもしれません
でもそれは当たっていても外れていてもどちらもで良いのです。
どうしたら僕のような変な人間ができあがるのかを知ってもらえるかもしれないところだと思いますから。

父親には甘やかされたけど筋が通らないと殴られた

昭和の典型的なオヤジでしかも短気です。
ものを欲しがると貧乏しているくせに買えるものは何でも買ってくれる親でした。
甘やかされていたのです。
しかし、筋の通らないことをすると顔面を思い切り平手打ちされます。
叩かれた瞬間は自分の視界に本当に火花が飛ぶように見えます。
何度ひっぱたかれたことか。。。今なら虐待と言われるのかもしれませんが、愛の鞭なんです。
高校生の時でした。
僕はバイクの免許を取りたいと申し出ました。
すると父親は、
『免許を取りたいなら取れ。バイクが欲しいなら買え。でも親は一切面倒を見る気はないので、高校を退学して自分ですべてやれるのなら好きにしろ。』
と言われました。
「面倒を見る気はない」の意味は、バイクでも車でも、事故を起こせば責任を取らないといけない。
例えばバイクで事故を起こして誰かに怪我をさせたら、
「お前は責任がとれるのか?」
という意味です。
自分がしでかしたことを親に尻拭いさせるようなことはさせない。
だから自分で尻拭いできるようにするために、高校を辞めて働き、その給料からバイクを買い保険にも加入して、自分で責任がとれるようにしろという意味です。

あの父親は、高校を辞めろと言った以上、本当に辞めさせる親だということを僕は知っていましたし、僕自身、父親の言うことはごもっともだし確かにその通りだ。
自分のしたことを自分で責任が取れないのなら、そうできるまで我慢しようということで、高校在学中にを免許を取ることはありませんでした。

24才の時に父親と大喧嘩

その頃、僕はとある世界的にも名の知れた大手企業の社員でした。
九州の田舎で生まれ育った父親は、良い企業に勤めることができているのだから将来は安泰だと思っていたようです。
一方の僕は、寮や社宅もタダ同然のように安く住める住居、僅かな自己負担だけで年に数回は職場の慰安旅行にも連れて行ってもらえる、あらゆる福利厚生の整った有名企業ではありましたが、そういう恵まれた企業で仕事をすることに何の魅力も感じていませんでした。
『これは俺が生きたい人生ではない』
『たかだか月に数十万の給料で俺の人生を売り渡すわけには行かない』
生意気にもそんなことを考えていましたので、僕はバイクで身を立てようと、オートバイの業界へ転職をします。
もちろん、無名、福利厚生などない、将来の保証などかけらもない、そんな世界です。
その決意を伝えたら、父親は激怒しました。
何故そんな自ら進んで天国から地獄に落ちるようなことをするのかと、それまで見たこともないほど怒り、『やりたければ親子の縁を切ってやれ』と父が言うと、僕は僕で、『おぉ、やったるわ』
売り言葉に買い言葉で喧嘩は終了、そして僕は24才のちょうど今くらいの時期に会社を辞めました。
それまでは何台ものバイクを所有し、休日の殆どはバイクをいじり、バイクに乗る。
徹夜仕事で朝帰りし、着替えるとそのまま走りに行って夜になっても会社の寮には戻らない。
そんなことも全然珍しくはない生活をしていましたので、
バイクに関わる仕事こそ、自分の天職だと思っていました。

30才を過ぎて

オートバイは本当に楽しくもあり厳しくもありました。
収入もそれほど稼げるわけではなく、膨らんだ借金を返すため、また自分の失敗を反省する意味も込めて、30才の時には完全にオートバイから離れる生活を始めていました。
それまではアルバイトで食いつないでいた生活をいつまでも続けることもできない。
そろそろきちんと就職して、まともな生活をしようということになり、縁あって企業人として働くようになりました。
バイクで得た機械や電気の経験を活かした仕事をするようになったわけです。

30才でバイクを降りて60才になるまで、毎年春になると街を走るバイクの数が増えます。
それを見る度に、いつかは自分も・・・
そう思いますが、なかなか復帰するタイミングを掴めないでいました。
もちろん、20代の失敗も天職も、僕は何一つ後悔なんてしていません。
大企業にも安定した生活にも興味がないからです。
でも十分な収入がないことがどんなに大変か、自分自身が毎日そのことに晒されて生きていたわけですから、その苦しさも人にかけた迷惑のことも良くわかっています。
ですから反省は嫌と言うほどしました。
でも後悔は皆無です。
『好きなバイクで負けた』そのことが心残りですが、僕なりに負けっぱなしにするつもりはないので、むしろ、30年経った今は、清々しい気持ちでいます。
これから先の老後に、きっちりバイクで負けたことのリベンジは果たしますから。
今はまだ、リベンジが始まったばかりです。

勘違いしないでくだい(笑) リベンジと言っても誰かに仕返しとかじゃありません。
バイクを降りてからの辛い期間が長かったので、その辛さをバイクを思いっきり楽しむことでリベンジするんです。
これからが楽しみです!


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