新人天使おむすびちゃん:豊かさ

 その日も一人の天使が下界に舞い降りてきました。
 そうです、その天使はおむすびちゃんです!!
 おむすびちゃんはいつものように駅前広場にある時計の上に座りました。
 もちろん、おむすびちゃんの姿は人間たちには見えないようになっています。誰もおむすびちゃんのことには気づきません。
 おむすびちゃんは時計の上で足をぶらぶらさせながら今日も人間たちを観察しています。
「………」
 おむすびちゃんは人間を見る度に不思議に感じます。
 人間たちはどこかみんな早歩きで急いでいるように見えます。
 単純に時間がないのかもしれませんが、でもそれだけではないような気がします。
 なぜなら人間たちはどこか表情がないからです。まるでロボットのようです。
 そんな最近の人間たちは何やら人工知能というものを開発しているらしいです。
 その人工知能が搭載されたロボットは心が芽生えたらきっと人間に憧れるのでしょう。
 その反面、人間たちはロボットになろうとしている。
 何か皮肉に聞こえてきます。
 おむすびちゃんは人間の行く末が心配になりました。

「おーい、お嬢ちゃん。そんなところにいたら危ないよ~」
「————!!」
 人間に姿が見えないはずなのに、誰かがおむすびちゃんに声を掛けてきます。
 下を見ると、そこには一人のおじいちゃんが立っていました。
 おむすびちゃんはおじいちゃんに声をかけます。
「おじいちゃん、私のことが見えるの?」
「見えるから声をかけているんだよ。ほら、危ないから降りておいで」
 どうやらおじいちゃんにはおむすびちゃんの姿がしっかり見えているようです。
「………」
 おむすびちゃんは背中からきれいな羽を出し、その羽をパタパタと動かしてゆっくりと降りて来ました。
「ひえぇぇぇ、背中から羽が生えおった。おまえさん、一体何者だ?」
 今度はおじいちゃんがびっくりしました。
 おむすびちゃんはおじいちゃんの問いに答えてあげました。
「私は人間じゃないわ。天使よ」
 そう言ってくるりと回ってみせました。
「はぁ~、長生きはしてみるもんだなぁ。お嬢ちゃんが天使だなんて…」
 おじいちゃんはおむすびちゃんに向かって手を合わせました。
「………」
「あのね、私のことお嬢ちゃんって言うけれど、私おじいちゃんよりずっとずっと長生きしてるんだからね」
「じゃあお前さん、一体いくつなんだい?」
「…レディーに歳を聞くなんて失礼しちゃうわ」
 おむすびちゃんはプイっと横を向いてしまいました。
「ごめん、ごめん。許しておくれ、おじょう…じゃなくて——」
「…もうお嬢ちゃんでいいわ」
 おむすびちゃんは軽くため息を吐きながら答えました。
「ありがとう」
 おじいちゃんは軽く頭を下げました。

 おむすびちゃんとおじいちゃんは近くのベンチに座りました。
「それで…おじいちゃんは何してたの?」
「わし?わしはいつもの日課の散歩だよ」
「…散歩ねぇ」
「ところでお嬢ちゃんは時計の上に登って何をしていたんだい?」
「私?私は人間を観察していたのよ」
「おぉ!!わしと同じだ!!」
「おじいちゃんもそうなの?私は別に天界からでも見えるんだけどね。下界に降りてきたほうがいろいろと見えてくるのよ」
「そうかそうか。ありがたいことだ。…それで天使のお嬢ちゃんには人間たちはどのように見える?」
「なんかねぇ…みんな慌てている」
「はははは、みんな慌てているか」
 おじいちゃんは笑いながら自分のひげをなぞるように触っていました。

「今はこの町はこんなに栄えているけれど、戦後は何もなかった。焼け野原だった…」
 おじいちゃんは急に昔のことをしゃべりだしました。
「当然みんな何もない。わしもそうだった。住む家も着る物も、そして食べる物でさえも。本当に何もなかった」
 おじいちゃんは少し感慨深い表情をしました。
「だからわしは働いた。この町を立て直すというそんな立派な志はなかった。ただご飯が食べたい。お腹いっぱいごはんが食べられるようになることを夢見てがむしゃらに働いた」
 おむすびちゃんは黙って聞いていました。
「そして今はその夢が叶って今はお腹いっぱいご飯が食べられるようになった。それはわしだけでなくこの日本に住む多くの人がそれを叶えることができた。今はとても満足している」
 おじいちゃんは嬉しそうに微笑みました。
「でも不思議なんだ。お腹いっぱい食べられるような素晴らしい世界になったのに、今の若い人たちはみんな全然ニコニコしてないんだ」
「私がさっき言った、慌てているってことね」
「慌ただしく動いているのに活気はない。行き交う人々を見ていると、何かに追われているようなそんな気がしてならない」
「私もそれは感じるわ。今の世の中はどこか余裕を感じられないわ」
「こんな素晴らしい世界なのになぁ」
 おじいちゃんは首をかしげました。
「私が思うにね、今のこの世界は少し物に溢れすぎちゃっているような気がするの」
「ほぅ、物に溢れすぎている?」
 おじいちゃんはその意見に食いつきました。
「便利な物があって当たり前。おいしい物をお腹いっぱい食べられることが当たり前。おじいちゃんにとって夢のようなことだったことが今の人間たちにとっては当然であるべきことになっているのよ」
「だから満足できなくなっているってことかい?」
「もっと深刻だと思う。みんな物に溢れた生活に慣れちゃっているから、自分の周りに物がないと落ち着かないのよ、そんな生活を強要されちゃっているから。物が無い生活なんて考えられない。だから物に溢れた生活を維持するためにみんな必死なのよ」
「物に溢れた世界しか知らぬ者は、常に物に飢えている者となる。それは同時に物を失うことに恐怖する者だと言うんだね」
「今こうしている間にもどんどん新しい物が生まれている。その急激に変化する世の中に今の人間は対応しなきゃと考える。だからみんな追われるように生きている気がするの」
「その結果、世の中に余裕が無くなってしまったと?」
 おむすびちゃんは頷く。
「みんな余裕がないから他人に興味を無くしてしまう。でもこの余裕のない世界でせめて自分という個人だけは守りたい。だからみんな個人の主張を強くなる。それがさらに他人との関りを遠ざけてしまう」
「足るを知るが否定された世界…寂しい世界だなぁ。本当はこんなに素晴らしいのに…」
「私ね、今の人間たちが心配でこうやってたまに見に来ているのよ。どうにかしたいのよ。だから時々、観察したついでにいたずらもしているの」
 おむすびちゃんはおじいちゃんにウインクしました。
「いたずら?一体何を?」
「あっ!!今日はいたずらをしなくてもいいみたい。ほらあそこ見て!!」
 おむすびちゃんは駅前を指差します。すると1人の若い女性が何やら探し物をしているようでした。
 しかし、おじいちゃんの目には視界がぼやけてあまりよく見えません。
「お嬢ちゃんは目がいいのう、わしはさっぱりじゃよ」
「あぁそうか。じゃあこれかけて」
 おむすびちゃんはおじいちゃんに派手なメガネを渡しました。おじいちゃんは恥ずかしいと思いながらもその渡されたメガネをかけます。
 するとどうでしょう?先ほどまでぼやけて全然見えなかったのに、駅前の若い女性がはっきりと見えます。それだけじゃありません。その女性がピックアップされたように大きく映し出され、それに声も聞こえてきます。

「どこ行ったのかな~?」
 若い女性は地面をみつめながら何やら懸命に探しています。
 その女性に自分の体より大きなランドセルを背負った男の子が話しかけます。
「お姉さん、どうかしたの?」
 若い女性は探す手を止めて男の子に答えます。
「私、コンタクトが外れて落としちゃって…今探しているところなの」
「えぇ~!!そりゃ大変だ!!ボクも手伝うよ。どこらへん?」
「えぇ~と、ここらへんのはずなんだけど。ごめんね!!」
 男の子と若い女性は一緒にコンタクトを探し始めました。
 でもコンタクトはなかなか見つかりません。
「あぁ~、お姉ちゃんたち、そこ歩いちゃダメ!!」
 男の子に急に呼び止められた女子高生たちは慌てて足を止めます。
「ボク、どうしたの?何か探してるの?」
「えぇっ~とね、今このお姉さんがコンタクトを落としちゃって、一緒に探してるんだ」
 女子高生たちはお互いに顔を見合わせて頷きました。
「私たち暇だから手伝います!!」
「ごめんなさい、助かります」
 お姉さん、男の子、女子高生3人。合計5人でコンタクトを探し始めました。
 その後も、
「どうしたんですか?」
「ボクも手伝います!!」
 コンタクトを落とした女性は参加する人が増える度に頭を下げ、その度に申し訳ない顔をしました。
 一緒に探す人が増え、10人ほどでコンタクトを探すことになりました。
 10人もの人たちがコンタクトを探す姿は少し異様で、行き交う人々も目を留めていました。
 けれどもコンタクトはなかなか見つかりません。
「………」
 女性は諦めた表情をしました。
「…あの、もう大丈夫です。また買えば済む話なので。皆さんせっかく手伝ってもらったのに…ごめんなさい」
 お姉さんは深々と頭を下げた。
 それを聞いた男の子が
「お姉さん、ボクあまりよく分からないんだけど、コンタクトって高いんでしょ?」
 心配そうな顔をして見つめます。
「うん、まぁ安くはないけど。でも買えない値段じゃないから」
「安くないってことは高いってことでしょ?勿体ないよ。もうちょっと探そうよ。ボク時間あるから。大丈夫だから!!」
 男の子はにっこり笑います。
「そうですよ、私たちも暇なので」
 そういって女子高生も笑ってまたコンタクトを探し始めました。
 結局誰もコンタクトを探すのを止めようとしませんでした。
 お姉さんは頭を下げてまたコンタクトを探し始めました。

 その時!!駅前広場から見ていたおむすびちゃんがニヤリと笑いました。
 そしておむすびちゃんは指を鳴らします。
「——パチン!!」
 すると雲の隙間から太陽の光が差し込みます。
 そうです、天使であるおむすびちゃんの得意技「天使の梯子」です。
 その陽の光に照らされて、コンタクトレンズがほのかに光りました。
「あった!!皆さんありました!!」
 お姉さんは嬉しそうに飛び上がりました。
 そのお姉さんの嬉しそうな顔を見て、探していた人みんなも嬉しそうな顔をします。自然に拍手が起こりました。
「皆さん忙しいのに、お時間取らせてごめんなさい」
 お姉さんはまた頭を下げました。
 すると、男の子がお姉さんに話しかけます。
「お姉さん、違うよ」
「えっ?」
「お姉さんは別に悪いことなんて何もしてないじゃん!!だからこういうときはごめんなさいじゃなくてありがとうだよ」
「…そうだね、そうだよね。お姉さん間違えちゃった。皆さん、どうもありがとうございました」
 若い女性は目に涙を浮かべてみんなにお礼を言いました。そして謝罪の意を込めてではなく感謝の意を込めて頭を下げました。
「えへへ、どういたしまして」
 お姉さんも、男の子も、一緒に探した人たちもみんな笑顔でした。
それを見ていたおむすびちゃんもおじいちゃんも。

 おむすびちゃんはおじいちゃんに話しかけます。
「物が溢れて不自由なく過ごせることももちろん必要なことだと思う。でもそれだけじゃダメなの。今の世の中に必要なのは便利で生活を豊かにするものじゃなくてああいう温かさだと思うの」
「心の豊かさってことかな?」
「みんな余裕が無くなってしまっているけれど、本当はみんなと繋がりたいんだと思う。温もりが欲しいんだよ。だって人間は感情豊かな生き物なんだから。今の人間たちにほんの少しきっかけがあれば変われると思うの」
「先ほどの若い子たちのようにかい?」
 おむすびちゃんは頷きます。
「人間は他人の哀しみを一緒になって哀しむことができ、他人の喜びを一緒になって喜ぶことができる。それってものすごく尊いことで、それができる人間はものすごく尊い生き物なの。私はそんな人間が好きで、これからもそうあってほしいの」
 おむすびちゃんは力強く言いました。
「温もりかぁ…」
 おじいちゃんは息を吐くように言葉を発しました。
「お嬢ちゃん…わしは確かに豊かな生活にするために懸命に頑張ってきたつもりだけど、人の心を豊かにできたかと思うとちょっと自信がないなぁ」
おじいちゃんは天を仰ぎました。
 それを聞いたおむすびちゃんはにっこり微笑みます
「そんなことをないわよ」
 おむすびちゃんは急にベンチから立ち上がり、天使の羽を羽ばたかせて宙に浮かび上がりました。そしておじいちゃんの手を引きました。
「そろそろ時間だし、行くわよ、おじいちゃん!!」
 すると、おむすびちゃんに引っ張られたおじいちゃんの体も浮かび上がります。
「えっ?時間って?えっ?わし、浮いてる?」
「ほらほら、早く行くわよ!!」
 おむすびちゃんとおじいちゃんは高く飛び上がり、空を飛んで行きました。

 しばらく飛んでいると、ある場所に着きました。
 着いた場所はおじいちゃんの家でした。
「わしの家。いやあ飛んできたからあっという間じゃったなぁ」
「………」
 おむすびちゃんは手を引っ張り、家の中へ入ります。
中へ入ると、そこにはもう一人のおじいちゃんが横になっています。
「えっ?わしがもう一人いる」
「おじいちゃん、あなたはもう亡くなっているの…」
 なんと、おじいちゃんはすでに亡くなっていたのでした。
 寝ているおじいちゃんの周りを家族が囲んでみんな泣いています。
「………」
 おじいちゃんは黙って立ち尽くしています。
 そして悟りました。自分が魂だけの存在になり、天へ昇らずさまよっていたことを。
「そうか。だからわしは天使であるお嬢ちゃんの姿が見えたんだね」
「そういうことね」
「そうか、わしは死んじまったのか…」
 おじいさんは少し残念そうな顔をしました。
「まぁでもしょうがねぇか!!いろいろ無理してきたからな!!」
 そう言うと今度は笑っていました。
「さっきのことなんだけどね…」
「ん?さっきのこと?」
「心を豊かにできなかったって話」
「あぁ、そうだったね」
「あなたはただ豊かな生活を送れるように懸命に生きただけじゃない。ちゃんとみんなの心を豊かにしたのよ。だからみんなあんなに悲しそうに泣いてくれているのよ」
「こんな老いぼれに涙なんか流してくれなくていいのに…」
おじいちゃんはみんなの涙する姿を見てうっすら涙を浮かべていました。
「私が昔出会ったネイティブアメリカンにこんな諺があるの」

「あなたが生まれた時、
 あなたは泣いて、周りは笑っていたでしょう。
 だから、あなたが死ぬ時は、
 周りが泣いて、あなたが笑っているような
 人生を歩みなさい」

「あなたは人の心を豊かにできたか自信がないって言ったけど、そんなことないわ。あなたの温かい心はちゃんと周りの人の心を豊かにした。笑顔にした。みんなあなたのことが大好きなで、みんなあなたに感謝しているの。だから胸を張っていいわ」
「そうか。わしはこんなに…みんな…ありがとう…こんなわしを愛してくれて。どうもありがとう。わしは…ほんどうに…しあわせ者だ」
 おじいちゃんは大粒の涙を流しながらみんなに感謝を述べました。
「ありがとう。本当にありがとう」
 おじいちゃんは自分の声がみんなに届かないことは分かっています。
 それでもおじいちゃんは感謝の言葉を述べずにはいられませんでした。
 何度も何度も「ありがとう」と言い続けました。

 ひとしきり泣き終えた後、おじいちゃんはスッキリした顔をしました。
「お嬢ちゃん、どうもありがとう。もう大丈夫じゃ」
「そう?いい泣きっぷりだったわ」
「恥ずかしいところ見られちゃったなあ。じゃあそろそろ行こうか?」
「じゃあそうしましょうか」
 おじいちゃんは最後に泣いているみんなへ話しかけます。
「もうそんなに泣くな!!わしはもう笑っているぞ。不謹慎だけどみんなも笑って死ぬんだぞ!!じゃあな!!」
 おじいちゃんはおむすびちゃんの手を掴み空へと舞い上がっていきました。
 天に向かうおじいちゃんも家族の前で横たわっているおじいちゃんも笑っていました。

「いい人生だったなぁ~」
 おじいちゃんは満足そうに言いました。
「おじいちゃん、あなたちゃんと胸を張ってよく生きたと言いなさいよ!!」
「もちろん!!…ってお嬢ちゃん、一体誰にそれを言うんだい?」
「もちろん閻魔様によ!!」
「えっ!!本当にいるの閻魔様!?」
「いるわよ!!天使がいるくらいなんだから!!」
「わし、天国へ行けるんだろうか?」
「う~ん、それはないわね。今のところどんな人間も必ず地獄へ行っているから」
「え~!?嫌だ、わし地獄へ行きとうない!!生き返る!!」
 おじいちゃんは体を反転させ、下界へ戻ろうとします。
「こら暴れるな!!」
 おむすびちゃんとおじいちゃんは誰も見えない空の上でいつまでも暴れていました。

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