新人天使おむすびちゃん:いいことノート

 ひとけのない午前0時。そこに1人の天使が天界から下界へと舞い降りました。
 その天使はまだまだひよっこの新米天使。名前はおむすび。みんなからおむすびちゃんと呼ばれています。
 おむすびちゃんは辺りをキョロキョロと見回し、人が集まりそうな場所を探しています。やがて駅前にたどり着きました。
 ここならいいとおむすびちゃんは雨風しのげる場所に勝手に台を設置し、そこに一冊のノートを置きました。
 おむすびちゃんはノートに何やら書いています。
「これはいいことノート。どんなちいさなことでもいいから、なにかいいことあったらここにかいて。※それをよんでコメントを書いてもいいよ」
 おむすびちゃんはこれから書かれるであろう、たくさんのいいことを想像し、ニコニコしながら天界へと帰って行きました。

 早朝、駅員さんがノートを見つけます。
「誰だ、こんなもの勝手に設置したのは!!」
 駅員さんはその台を撤去しようとします——しかし、その台はビクとも動きません。
「あれ?なんだこれ!!全然動かない!!」
 仕方ないので、ノートだけでも撤去しようとします。しかし、ノートの裏表紙が台に引っ付いてこれもビクともしません。
「なんか気味が悪い…」
 駅員さんは怖くなってその場を立ち去ってしまいました。

 通勤通学時間になり、駅には多くの利用者が集まります。
 しかし、ほとんどの人はノートの存在に気が付きません。
 気づく人もちらほらいましたが、すぐに通り過ぎてしまいます。
 みんな時間に追われていて、余裕がないのです。
 結局、誰一人としてノートに書き込む人はいませんでした。

 夕方。学校帰りの女子高生3人組がノートの存在に気が付きます。
「何これ?いいことノート?」
「こんなのに書くわけないじゃんねぇ~」
「あれでしょ?今って掲示板ってものがあるんでしょ?私は書かないけど」
「そうだよね、ネットが普及した時代にノートなんて。遅れてるよね」
 女子高生たちは立ち去ってしまいました。

 夜、疲れきったサラリーマンが駅から出てきます。みんな下を向いてばかりでノートに見向きもしませんでした。
 結局、この日は誰もノートに書き込みをしませんでした。
それを天界から覗いていたおむすびちゃんは首をかしげていました。

 それから数日、誰もこの「いいことノート」に書き込む人は現れませんでした。
 しかし、ついに書き込む人が現れました。
 そこに書き込むのは髪を金髪にしたやんちゃ坊主でした。
 やんちゃ坊主はノートに書きなぐります。
「俺様登場~!!」
 書き終えたやんちゃ坊主は鉛筆を投げ捨てその場を立ち去りました。

 夜、少しお酒が入った一人の中年サラリーマンが「いいことノート」の存在に気が付きます。
「なんだぁ~?」
 中年サラリーマンはやんちゃ坊主が書き込んだ内容を読んで腹を立てます。
「バカ野郎が!!」
 中年サラリーマンは鉛筆を持ってノートにコメントを書き、そして腹を立てた状態でその場を立ち去りました。

 次の日、昨日書き込んだ金髪のやんちゃ坊主がノートを確認します。
 やんちゃ坊主はノートを見るや否や顔を真っ赤にしました。
 昨日の中年サラリーマンが書いた内容はやんちゃ坊主に対しての批判的なコメントでした。
「俺様?バカの間違いだろが、バカの!!勉強しろ、バカ!!」
 やんちゃ坊主は鉛筆を持ってまたノートに書きなぐります。
「お前、ぜってぇ見つけて殺す!!」
 やんちゃ坊主は鉛筆を叩きつけるように投げ捨て、その場を立ち去りました。

 その後、「いいことノート」に立ち止まる人がいましたが、
 やんちゃ坊主とおっさんサラリーマンのやり取りに不快を感じ、誰も書き込むことはありませんでした。

 天界から下界を覗くおむすびちゃん。
 こんなはずじゃなかったと眉間に皺をよせ、下唇を出していました。
 しかし、おむすびちゃんは止めようとはしませんでした。
 人間を信じて、もう少し見守ることにしました。
 その後も誰も書き込むことがない日々が続きました。
 誰もノートに目もくれず、まるでそこに存在していないかのような扱いでした。
 おむすびちゃんはがっくりと肩を落としました。

 そんなある日、一人の男性が足を止めました。
 男性はノートを見ます。
 先日の批判的な書き込みを読んで、男性は不快に感じ、ノートを閉じてその場を立ち去ろうとします。
 しかし、足を止めて振り返り、再びノートのある台に戻ってきました。
 男性は小さく頷き、そして新しいページに何か書き込んだようでした。
 書き終わると鉛筆を置いて、少し満足げの表情をしてその場を立ち去りました。

「ねぇ、今の人、ノートに何か書いたよね?」
「ちょっと見てみる?」
 その様子を見ていた女子高生たちがノートに近づきました。
 この女子高生たちは、以前ノートに気づきはしたものの、すぐにその場を立ち去った女子高生3人組でした。
 女子高生たちは男性の書き込んだ内容が気になり、面白半分でノートを見ました。
 最初はにやけていた女子高生。しかし、その表情はすぐに真剣な表情になります。
 女子高生たちは真剣な眼差しでノートに書かれた内容を読みました。
 ノートにはこう書かれていました。
「僕は30歳独身の男です。つい先日まで無職で、最近やっとコンビニでアルバイトを始めました。」
「今まで働いたことがなく、右も左も分からなくて、毎日ヘマばかりしているどうしようもない男です」
「正直辛い思いばかりで、アルバイトなんか止めてしまおうと思っていました」
「でも、そんなどうしようもない僕に対して、今日お店に来てくれた1人の女子高生の子が「ありがとう」と言ってくれました」
「ありがとうなんて、もうここ何年もずっと言われていなくて、涙が出るほどうれしかったです。」
「こんなどうしようもない僕にありがとうと言ってくれて、どうもありがとう」
「またありがとうと言ってもらえるようにもうちょっと頑張ってみます!!」
 読み終えた女子高生の1人が鉛筆を持ってノートにコメントを書きました。
「この書き込みを読んで、とても温かい気持ちになりました。どうもありがとう。お仕事頑張ってください!!私たちも多分あなたのいるコンビニに行くのでよろしく!!華の女子高生3人組!!」
 女子高生3人組は笑顔でその場を立ち去りました。

 夜になり、2人の中年サラリーマンがノートの存在に気づきます。
「おい、ちょっと見て行こうぜ!!」
「それ、一度見たことあるけど、酷い内容が書かれているぞ」
 期待せずに中年サラリーマンはノートを見ました。
 しかし、アルバイト男性と女子高生の書き込みに心が揺さぶられます。
「おい、これ…」
 どうやら、中年サラリーマンたちは胸を打たれたようです。
 2人のサラリーマンも鉛筆を取り、ノートにコメントを書きました。
「30歳なんてまだまだこれからじゃないか!!俺なんて52だ!!でも俺だってまだまだこれからだと思っているから一緒に頑張ろう!!」
「人に感謝されることをなんだか当たり前のように思っていたなぁ。明日から心を入れ替えて頑張ります!!どうもありがとう!!」
 2人のサラリーマンは鉛筆を置きました。
「俺鉛筆持ったの、久しぶりだよ」
「俺もだ」
 2人は笑ってその場を立ち去りました。


 このアルバイト男性の書き込みをきっかけに、ノートに書き込む人が現れてきました。
「さんすうのテストで100点がとれました。やったあ!!」
 ある小学生の男の子が書いたいいことでした。
 それを見た男子高校生がコメントを書きます。
「いいなぁ~俺なんてゼロが一つ足らなくて10点だよ!!追試だよ、追試!!君は俺みたいにならないように勉強するんだぞ!!」
 それを見た別の男子高校生がまたコメントをします。
「うわ~、負けたぁ。俺15点!!まぁ追試は変わりないけど(笑)」
 さらにコメントは続きます。
「あまいなお前ら。俺…5点!!もちろん追試(笑)」
 また別の女子高生も書き込みます。
「私は50点!!追試は免れたけど、みんな勉強頑張ろう!!」
 夜になってお勤め帰りの人たちがそのノートを見て笑みをこぼし、そしてコメントを書きました。
「テストかぁ~、懐かしいなぁ」
「世の中に出ると、はっきりしない答えばかりだよ」
「↑そんなブルーになること書かないで」
「人によって正解が違うからね。難しいよね」
「正解は自分で見つけなきゃいけない」
 大人たちはいつの間にか社会の愚痴を書き込んでいました。
 しかし、一人の女性のコメントが流れを変えました。
 そのコメントは大きな文字で力強く書かれていました。
「勉強もいいけど、おまえらちゃんと青春しろよ―!!私はもう33だけど、まだまだ青春してやるぅ~!!」
 これをきっかけに前向きなコメントが書かれます。
「そうだそうだ!!」
「青春しようぜ!!」
「まだまだこれからだ!!」
 算数のテストの100点報告をした書き込みは、いつの間にか「青春しよう!!」という方向に向かったのでした。


 また別のある日、一人の老人男性が達筆な字でノートに書き込みました。
「私は現在82の老人です。皆様より少しだけ長生きしております。そんな私にも今日大変めでたいことがあり、皆様に報告がしたくて、このノートに書かせていただきました」
「本日、私と私の妻は結婚50周年を迎えることができました。2人とも健康でこの日を迎えることができ、大変うれしく思います」
「妻には迷惑ばかりかけてきましたが、妻はこんな私をずっと支え続けてくれました」
「私にとって世界一の妻であり、世界にたった一人だけの妻です」
「もし、もう一度妻と出会い結婚することがあるなら、今度はプロポーズというものをしてみたいと思います」
「皆様も大切な方との時間をどうか大切にお過ごし下さい。それでは失礼いたします」
 この書き込みを読んで、ときめいたのは女性陣でした。
 女子高生は老人に対しての応援コメントを書きました。
「おじいちゃん、今からでもプロポーズできるよ!!」
「そうだよ!!しなよ、プロポーズ!!」
「おばあちゃんきっと待ってるよ!!」
 今まで敬遠がちだった主婦の人たちも書き込みます。
「素敵、本当に素敵!!」
「もうこの達筆な字が素敵!!」
「↑ダメよ、世界一の妻がいるんだから!!」
「あ~、私もこんな風に大事にされたい!!」
「…私はもうちょっと旦那に優しくしようかな?おじいさん、ありがとうございました」
 夜、これを読んだ1人の男性がコメントを書きました。
「これ読んだらすげぇ奥さんに会いたくなってきた。今帰るからねぇ~!!」
 この書き込みがされた日から数日間、駅周辺では、花やケーキ、香りのいい石鹸など、ちょっとしたプレゼントに合う物の売り上げが増えたとのことでした。
 またこの書き込みをした老人は、みんなのコメントを読んで、後日、妻にプロポーズをしたとのことです。


 それから多くの人がこのノートに書き込みを行いました。
 誹謗中傷する者はおらず、みんないいことを書くようになりました。
 ある日の夜、一人の中年サラリーマンがノートを見ました。
 この男性は、以前初めての書き込みをしたやんちゃ坊主に対して批判的なコメントを書いた男性でした。
 男性はみんなの書き込みを読みます。一つひとつ、食い入るように真剣に読みました。
 全てを読み終えた男性は鉛筆を持ち、ノートに書き込みをしました。
「私は以前、俺様登場!!という書き込みに対して、バカとコメントした者です」
「まずは書いたご本人様に対して謝罪します。申し訳ございませんでした」
「そして、私のコメントを読み不快になられた方々、申し訳ございませんでした」
「あの日、私は自分の仕事が上手く行かず、気持ちが荒んでおり、八つ当たりのような気持ちでここに書き込んでしまいました」
「大変愚かな行為であり、恥ずべき行為です」
「今、皆さんの温かい書き込みに目を通して、心が洗われるような気持ちになりました。このままじゃいけないと思い、今こうやって書き込みをしています」
「最初にこの書き込みされた方、あなたは皆さんが書き込みに躊躇される中で先陣を切って前に出てこられた勇気のある方です。その勇気を大切にしてこれからも頑張ってください!!」
 中年サラリーマンは書き終えて鉛筆を置くと、一礼をしてその場を立ち去りました。

 その中年サラリーマンが立ち去るのを見届けて、一人の若者がノートに目を通しました。
 それは最初に書き込んだ金髪のやんちゃ坊主でした。
 やんちゃ坊主はみんなの書き込みを読み、そして最後に中年サラリーマンの書き込みを読みました。
 読み終えると鉛筆を持ち、中年サラリーマンに対してコメントを書きました。
「俺様登場~!!」
「殺すとか書いてごめんなさい」
 書き終えたやんちゃ坊主は少し晴れやかな表情をしてその場を立ち去りました。

 終電が去った後、駅構内の見回りをしている駅員さんがこのノートに目をやりました。
 その駅員さんは最初にこの「いいことノート」を撤去しようとした駅員さんでした。
 駅員さんはパラパラと書き込みを読みます。
 そして最後に中年サラリーマンとやんちゃ坊主のやり取りを読みました。
 それを読んだ駅員さんは鉛筆を持ってコメントを書きました。
「これにて一件落着!!」
 駅員さんはまた構内の見回りに戻るのでした。

 天界からずっと様子を見ていたおむすびちゃん。
 最初は冷ややかな目で見られ、誰も相手にしてくれなかったいいことノート。
 しかし、今では多くの人がそのノートを利用し、笑顔で満たされるようになりました。
 おむすびちゃんは腰に手を当て、空に向かってVサインをします。
「大成功~!!」
 おむすびちゃんも笑顔に溢れていました。

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