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リンスインシャンプーに言いたいことある

日本人という民族の特徴は、マッシュアップを得意としてきたところだと大学で習った。ちっぽけな島国に雪崩れ込んできた大陸文化に自国文化が洗浄されることはなく、新規性をうまく織り込んで歴史の糸を紡いできた。あんことパンであんぱんなんて天才じゃないか。よく合わせようと思ったな。そういう奇才のパッションが流れるこの国で、私がどうしても納得いかないものがある。リンスインシャンプー。これはまじで最悪じゃないか?

リンスとシャンプーをまとめて1回でできますよ、なんてさぞ自慢げに商品棚に陳列されているが、いざ使うとなんか微妙だ。洗い終わって流すと、どう考えても髪がきしんでいる。一応リンスした(ことになってる)のに。リンスの醍醐味ってシャンプー後の髪のきしみがトゥルンに180°変わるとこなんじゃないのか?本当にリンスインか?とボトルを二度見してしまう。なんならシャンプーの効果も怪しい。本当に頭洗わさってるか?お前らボトルの中で相殺しあってない?1+1=0.8くらいの効果しかない気がする。確かに私は時短を取った、でもこんなんなら普通のシャンプーとリンスで2回頭をゆすぐ手間があっても、なぜか倍以上の満足感があるように思う。

それなのになんとなく手を伸ばしてしまう魅力があるのが憎い。こんなにも信用してないのに、目に留まると前回の失態をさっぱり忘れて、たまになら使ってみるか…と唆されてしまう。なんといっても、2種類混ぜたら頭をすすぐ手間が1回減る、というシンプルな計算式は、こちらの期待を膨らませるワクワク感をうっすらまとっている。百均のアイデア商品みたいに、ひらめき勝負のちょっとした工夫で予想外の効果が得られることもあるんだから、なんて、つい巧みな誘いに乗ってしまう。
なのに効果ないんかい。誰がみても素性がすぐわかるストレートな名前と、それに見合ってなさすぎる効果のギャップが完全に足枷と化している。なんなら手間が省かれる期待がでかい分落差も激しくなっている。もはやリンスインであることを売りにしているのに、リンスインであることがデメリットになっている。もうちょっとはうまくいってくれ。

実力を発揮できていないことに、薄々本人たちも気づいているだろうか。元々はシャンプーのボトルに入るはずだったのが、工場担当者の匙加減で入るボトルを変えられたのが運の尽き。路線変更された運命のままリンスと相部屋に詰め込まれ、互いに混ざり合えないまま収まっているのだろうか。最悪の人事異動だ。予想外の異動先、しかも人選ガチャの相性最悪だなんて。その上、一度配属されたらポンプから吸い出されるまで終身そこだ。切なすぎる。嫌じゃないがなんとなく合わない相手との同席は地味に体力を消耗するんだから。満員のエレベーターで自分の体の置き場所がいつまでも不正解のような、収まりの悪い感覚。たぶん彼らはボトルの中でずっと背中合わせで、ときどき静けさに耐えきれず無意味に咳払いとかしている。 3月末の仕事場を思い出すと、皆人事異動の話で浮足立って一喜一憂していたけど、人間なんてまだマシな方なのかもしれない。あのボトルはクリエイティブ精神による犠牲者の共同墓地だ。

やっぱ分けよう。リンスはリンスで、シャンプーはシャンプーで、それぞれでいいじゃないか。まずは先発が得意の泡立ちを発揮して捌け、次はコーティング専門が腕を奮う。それぞれの出番が終わり、お互い水に流れたら、舞台袖で邂逅して讃えあう、それで丁度いいのではないかと思う。

それでもときどき、やっぱり使ってしまうけれど。ちょっと期待してはやっぱり上手くいかない、混じり合わなさを手のひらに乗せてしまうけれど。

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