突然だけどADHDだった

私には長らく世の中に対する疑念があった。
「世の中の美人って全然喋ったり、面白いことを言わないのになぜ場が持つのか」と。
しかし35年かけて、ある日突然気づいたのである。
美人に限らず、私ほど喋る人間などそう居ない、という驚くべき真実に…

その違和感の正体が「大人の発達障害」という本を読んだときに現実化した。
最近噂の発達障害、ADHDである。
不注意・忘れる・衝動的・過剰集中、、、全部私やん!!!!
えっ、知らんかったけど、私ADHDかもしれない・・・!!!!!!!

調べると、近所の精神科でADHD外来をやっているらしい。
思い立ったが吉日(衝動的)、予約を取る。
提示された期日は3か月後であった。
病院に行こうという気持ちがしぼまないか不安になる。
「何回か来ていただきます、一度で診断はしませんから」と何度も念を押された。そりゃそうである。
見ただけで「あんたはADHD!」と言われてはこちらも困る。

そうこうしている間に、季節は流れあっという間に受診当日となった。
(正直に言えばほぼ、忘れていた)

精神科に行ったことがなかったので、緊張して病院に向かったが、
病院前で「○△×※〜!!」等とブツブツ言う人とすれ違ったり、
数字の書いてあるリストバンドをつけて散歩している人とすれ違う。
一気に別世界やん。不安になる。

受付の人はめちゃ無愛想だけど「よろしくお願いします!」というだけで
めっちゃ笑顔になった、日頃の苦労を感じる。
その後看護師さんからも、「辛かったね」と謎の励ましを受ける。
こちらは35年このまま生きてきたので辛さなど感じていないのである。
受診を忘れないかだけが唯一の心配であった。

待合室は比較的静か。拍子抜けであった。
しかし、よく見れば椅子にごろりと寝てる人などが居て、やはり一抹の不穏な空気はあった。
この中できっと私が一番普通なんだろうな!と勝手に思った後、全員「自分が一番まとも」と思ってるんだろうなと思い当たった。

その後はカウンセリングがあり、幼少期からの困りごとを聞かれた。
とても優しい男性であった。割と彼がゲラだったので調子に乗って手を変え品を変えいくつもうっかりエピソードを披露した。そして、1時間経過したことに気づき「とんでもないことをしてしまった」と巻きぎみに話を畳んだ。
私がめちゃくちゃ喋ったので、「これをまとめるのに30分かかりそう、すみません」と彼が謝っていた。こちらが謝りたかった。知ってたらエピソード数減らしたのに。

ナースステーションが受付に併設してあり、看護師さん達は皆優しかった。なんとか言語化するならば「狂人のオーラ」をまとった物言わぬ患者さんと歩いていたり、ボロボロの毛布を持って走る看護師さんを見つけて「はは〜ん、それは患者さんがこだわっている毛布ですね…?」とIQ低めの推理ごっこをして楽しんだ。(愉しむな)

お医者さんは黒縁メガネの非常に静かな方であった。「本日はよろしくお願いします!」と名乗るとすぐ名前を名乗ってくれた。
良いお医者様である。名前はすぐ忘れた。仲本工事風であった。
ここでも色々と話して、
「大変だったのに、ここまで生きてこれたのは周りに好かれるからだね、ここで話していてそれがとてもわかる」
と感涙もののお言葉をいただいた。そして「投薬をしてみよう」と初回で薬が出ることになった。驚愕した。確定診断には数回かかるのではなかったのか。まごうことなきADHDエリートであった。

ADHDに気づかなかった患者は、自己肯定感が低いらしい。
他の人が当たり前にできることができない、そのことで自分自身を責めて鬱になる人もいるそうな。
私はというと、幼少期の夢は「ちびまる子ちゃんになること」であった。
さくらももこにもADHD傾向があるらしい。夢がかなってなによりである。
おっちょこちょいで、できないことはいっぱいあるけど、仕事でもミスばかりしていたけど、私の人生は楽しかった。
改めて周りの人々に感謝したい。

この受診の事、ご主人さんに話したかな?と聞かれ、「おっちょこちょいで、明るい私のことが主人は好きなんです。落ち着いてしっかりしたらどうしましょうか」と自己肯定感に溢れた質問をすると、「うーん、期待してるほど効果ないよ」と笑っていた。一体、効くのか効かないのか。

今後は投薬の経過を書いていきたいと思うので、
ぜひ興味のある方は見守ってほしい。

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