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思いを書くことで広がる世界

きっかけは、Facebookの友達が、「人生を変えるライティング教室」にいいね!を押したお知らせが私に届いたことだった。

天狼院書店。正直、聞いたことがなかった。ライターという職業に、興味がないわけでもなかった。

ちょうどその頃、友人に「あなたの書いた文章は思いが伝わってくる」とほめてもらったばかりだった。そして、うまく言葉にできない思いをインタビューして引き出し、記事にしてもらえないか?とお願いをされた。
その人の力にもなりたかったし、自分のわずかな才能と可能性が広がることに、足を踏み入れてみたくなった。

「そうか~、上手かは分からないけど、私が言葉に乗せることで誰かが喜んでくれたり、すっきりしたり、救われることがあるのなら、チャレンジしてみたいな。私でも誰かの力になれるなら」

そんな思いで、ライティングを勉強してみることにした。

月に2回のWEB講座、毎週2000文字の原稿提出が4か月続いた。
仕事も家事もある中で、WEB講座もリアルタイムではなかなか聞けなかったが、アーカイブ配信で繰り返し見て学んだ。


正直、毎回原稿を提出できていたわけではない。通勤電車の片道30分の中で、携帯電話片手に書き上げたものもあった。タイトルを事前に決めて何日もかけて書いたものもあったが、ほとんどは、そのタイミングで「今なら書ける」と感情がのったときに一気に書いていた。

原稿を提出すると、毎回一人ひとり、一つひとつの原稿にアドバイスがもらえる。そして、天狼院書店のスタッフさんから「面白いですね!」と言って合格点をもらうと、天狼院書店が運営しているメディアに記事を掲載してもらえる。
私も、4回落選し、3回掲載してもらえた。

文章を書くことに入り込むほど自画自賛し、「共感性が高い、いい文章が書けた」と、思ってしまう。でも、落選した中で毎回言われたことが「相手視点」だ。

自身が体験したこと、感じたこと、その中で学んだこと、気付いたことを書いていくのだが、どうも「過程」をぽっかり抜かしてしまうことが多い。自分では過程を抜かした感覚はないが、結果的に唐突的に出来事や、名詞が登場してしまうことがある。逆に、ここは丁寧に説明しようとしすぎると重く固い文章になってしまうこともある。

スタッフの方からアドバイスをされれば、「う~ん、たしかにそうだな」と納得したり、時には「そんな相手視点ばかり気にせず、自分の好きに書きたい」などとひねくれたりしながら、つい、「人は自分と同じ思考をしているだろう」という発想になってしまっていることに気が付く。

“私の当たり前は相手の当たり前ではない”

ライティング講座で、一番学んだことはそこかもしれない。

そして、文章を書き始めて、もう一つ得たものがある。自分を開示することで、人が集まるということだ。

それまで、正直どこかで「目立ってはいけない」「自分の思うことを発信するとたたかれる」
(過去の経験を露呈するようだが)という恐怖感を持ちあわせていた。

発信することで多くの味方ができることもあったが、それによって敵を作ることも経験していた。

だからこそ、自分の思いを発信することにはすごく勇気が必要だった。
ただ、文字を書き始めて、自分の思いを発信すると共感の思いがたくさん届いた。

そして、自分の思いが誰かの思いに重なり「私の思いを言語化してもらった」という声も届くようになった。すると、「この思いを言語化する過程を教えてほしい」と依頼がくるようになった。

ひとり一人に向き合っていくと、その人の生きてきた道、経験があり、思いがあるからこそ言葉にできないことがあること、何がブレーキになっているのかが、どんどん見えてくる。
すると、言葉を表現するということは、自分と対峙することなのだということに繋がってくる。

私自身もそうだ。言葉にならない時は、どこかで心にブレーキがかかっている。そのブレーキがとれて、思いと重なり、自分の心の核の片鱗に触れた時に、言葉として溢れてくるものがある。

そういう、心からの言葉が発信出来た時に、私の周りにはたくさんの応援者が出来ていた。
私の視点や、気付き、感じたことに共感してくれたり、好きだと伝えてくれたり、それによって助けられたと言ってくれる人が、いつのまにか傍に集まってくれていた。

思いを書くことで広がる世界。

文章を書くのが上手になりたいと思ってスタートした、ライティング講座。
でも、文章を書くというのは、自分と対峙して、自分のある意味、深い闇を見つけ、それをそっと包み込むようにすくいだし、一つひとつの自分の過去と未来を結び付けていくものなのだなと知った。

私は、これからも、文章を書き続けていくのだと思う。それは、自分のためかもしれない。
誰かの表現のお手伝いかもしれない。

ただ、その拾い上げた一つひとつの言葉は、小さくとも花が咲くことを知っている。

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