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起業という選択肢から再度、会社員という道を選ぶまで

思えば、「働くことへの心地よさ」にずっと違和感を感じていたかもしれないけれど、それが顕在化するまでには、かなり時間がかかったように思う。


2020年8月、irodori社のナチュラルブランディング実践講座を受講し始めた。起業という選択を試してみたかった。


「いつか自分でビジネスを立ち上げてみたい」そんな憧れは、ずっとあった。前々職、ベンチャー企業で働いていた私は、女性の中では最年長。


役職も年齢も私の目の前を歩く人はいなくて、特に出産後、20代の子たちと同じような働き方ができなくなってからは、自分が今後どのようにキャリアを作っていけばよいか、次は何を目指せばよいのか、漠然とした不安を持ち始めていた。


女性としてのメンターが欲しくて、キッズラインの経沢香保子さんやライフワークバランスの小室 淑恵さんの本をよく読んだりセミナーに参加したり。子育てをしながら、自分の人生を自分で切り開く力と、キャリアと年齢を重ねながらも美しさを保つ姿に憧れた。


でも、当時は、葛藤はありながらも、会社を離れようという選択肢はなかった。「会社を辞めるのは逃げ・裏切り」「そこで結果を出せないのは環境ではなく自分が悪い」と思っていたし、どこで何をするかより「誰と」仕事をするかが大事で仲間の存在が全てだった。


そんな中、若い子たちがどんどん活躍の場を広げていく姿を横目で見ながら、「成長においての頭打ち感」「このまま成長が止まっていては、いつか自分のポジションがなくなってしまうのではないかという不安」がいつも付き纏うようになって。


何も疑いもなく盲目に走っていた20代の時と比べて、生活の中での仕事の比重バランスの変化が「心の距離のような違和感」としてどんどん大きくなっていった。

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創業メンバーという肩書きや、自分の過去の実績にすがっているようで、いつしか表面的にどこか取り繕っている自分が苦しかった。


そのループから抜け出せなくなったとき、「孤独」を感じ始めた。家族以上に会社の仲間が優先度の高い生活を送っていたのに、本当に追い詰められた時に、助けてくれる人はいない。それは、相談に乗ってくれる人がいない、ということではなく、自分のことを救えるのは自分しかいないんだと思い知った。そんな渦中、大きな波がやってきて、会社を離れることを決めた。


何も疑問を持たずに、一生ここにいるんだと思っていた会社を退職して、自分のアイデンティティがなくなった気がした。


会社にすがっていた自分に気づき、「自分の足で立ちたい願望」というより、そうしないと、自分の人生ダメになるというような恐怖感の方が近かったのかも。


それなりに仕事も頑張っていたし、自分の強い意志を持って動いていたようで、誰かの意思を繋いでいくことに重点をおき、いつの間にか自分の想いを誰かを通してでないと表現できなくなっていた


転職した会社は、鉄道系会社の広報、マーケティング部。大手企業がいいとか鉄道会社の安心感に惹かれたわけではない。


転職の軸は「主体的に仕事を任せてもらえる会社」「新しいものを創造しようとしている会社」「仕事に思いを持っている人間臭く温かい会社」だった。


その感覚にフィットする会社は多くはなく、結局面接を受けた会社は2社だけだった。

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入社を決めた以外に面接を受けた、もう1社は不動産系会社の採用人事募集。「キャリアアップの実現を後押しするとともに、既成概念にとらわれない革新的な風土を育みます」そんなキャッチフレーズに惹かれた。


社員一人ひとりにスポットライトが当たっていて、泥臭く、でも自分の使命感を持って働いている姿が目をひいた。書類選考は落ちたものの、一度その風土を体感してみたくて「面接を受けれませんか?」と再度メールでアプローチ。


最終的に条件は合わなかったものの、直接会ってくれて、会社のビジョンや仕事のミッションを熱く語ってくれ、こんな会社があるんだなと転職活動の希望になった。


2019年5月〜転職した会社は、ベンチャーのようなフランクさはなく、縦社会で、チャレンジする風土というよりも、しっかり守り固めるという資質。


前職と何もかも違って「会社が違うと生きる文化が違うんだな」と学んだ。初めは、新しい環境に慣れるのが精一杯で、どうにかそこで自分のやりがいを見つけようと思っていたし、長く勤められるよう努力したいと思っていた。



転職して1年ほど経ち、やっと仕事の全体像が見え、会社の風土も理解した頃、「ここであと10年働きたいか?」と思ったら「NO」だなという答えが明確に出始めていた。


ある程度自分で舵をとれて、好きなブランディングや制作の仕事に携われていたけれど、どこかビジネスライクで、仕事を右から左に動かしているような虚無感があった。


そんな時、趣味で入っていた美容系のコミュニティで、「私の書く文章が好きだ」と言ってくれた人がいて、インタビューしてそれを記事にするという仕事の依頼をもらった。


会社からのお給料以外で、個人の名前で対価をもらうという始めての経験だった。ライティング1本3,000円だった。今でこそ、その10倍の単価でお仕事がもらえるようになったけれど、当時はそれが、めちゃくちゃ嬉しかった。過去の実績や、肩書きなど関係なく、丸裸の自分に「価値」を感じてもらえた気がした。


今までのコミュニティは、働いている会社の仲間か、地域のママ友くらいしかなかった。でも、視野を広げたくて、いくつかのコミュニティに参加すると、いつの間にか会う人、遊ぶ人のほとんどがフリーランスや起業している人たちに囲まれてきて、自分にとって会社員でいることよりもフリーランスという選択肢の方が身近になってきていた。

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そんな時、SNSで偶然見つけた、irdori社のさっこさんの記事。「丸腰のただの私になりたかった」という言葉がダイレクトに胸に刺さり、吸い寄せられるようにirodori社のナチュラルブランディング実践講座を受講し始めた。


それなりの受講料を払ったのだから、「実践しないと」という思いで、ご縁で声をかけてもらうと、その都度サービスを作り、会社員としての仕事を続けながら、個人での仕事を始めた。


1日で完結する営業研修のような仕事から、半年近くクライアントさんに並走する広報ブランディングのコンサルティングのようなことも試してみたた。


ナチュラルブランディング実践講座を卒業した後も、会社員を続けながら個人としても一通りやってみて、それなりの対価もいただいて、クライアントさんを目の前にしている時はもちろん充実した時間を過ごしているのに「さあ、もう一件がんばろう」という気持ちには何故かなれなかった。

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すごく嬉しい感想をもらったり、うまくいかなくて悔しい思いをしたり
そんな感情を分かち合える人がいない。それが、寂しくもあり、その孤高を超えてこそ!という情熱が持てなかった。


そこから、「チーム」というベースがあるということが、いつしか私の働き方を考える上で一つのキーワードになり始めていた。


かといって、転職サイトで働く場所を探す選択肢はなかった。機械的に条件で振り落とされるフィールドには私の探し求めているものはきっとない。


そんな時、SNSで何気に目についた、小さな規模で、お客様やチームメンバーとの心の距離が近く、そして社会に人にメッセージを伝えたい思いを持っているPR会社とご縁があった。


代表の方とオンラインで話をすると、「スタートアップの小さな挑戦を応援したい」という思いと「アウトプットを明確にした先に気付いたらチームビルディングになっている」という思考に共感し、一緒に事業をしたいなと思える人間性の人だった。


フルリモート会社員で、毎月自分がどれくらい仕事のボリュームを持ちたいか自分で決めるという社風にも惹かれた。「入社したくなったらいつでも声かけてください〜」「は〜い、春頃ですかね」とゆる〜く言葉を交わした。


その代表の人と2人3脚くらいで自分のペースで仕事をしながら、勉強させてもらえる。そんな環境で、力をつけながらこれからの方向性を考えていってもいい。そこで出会いが広がった先に、また自分の道が見つかるかもしれない。そんな気持ちだった。


その最終砦があるおかげで、会社の退職に向けては少しずつ話を進め始めていた。


そんな時、偶然というか必然というかirodori社の代表、彩さんと1年ぶりに再会した。今の私の思い、彩さんの思い、そんな話をしていたら、いつの間にか、直感と言えば軽くなってしまうほど自分の心に真っ直ぐに向き合った先に少しの迷いもなくirodori社で共に働きたいと、自分の中ではっきりとした答えが出ていた。(その時の思いはこちらで↓)


表面的に見ると「会社員」という道を選んだけれど、会社員というと違和感が残る。

会社員というと「昇進や出世」が大きな意味を持ち、それができる人とできない人という優劣の社会というイメージだった。


でも、irodori社では、競争ではなく「共生」という会社のミッション通りの世界がそのまま体現されていた。


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会社員や業務委託や個人事業主や、そういう概念で仕事を見るのではなく、自分がどんなスタイルでどのような思いで人と繋がりたいのかを模索した先に、今の私が一番フィットする形に出会えた。



まだ人生の通過点だから、これからどうなるか分からないけれど、葛藤を抱えながらも行動してみること、しがらみを取っ払って自分に素直になることでいつの間にか私らしい道が出来ていた。


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