見出し画像

言葉にできないもどかしさの先にあったもの

言葉にできないもどかしさ
それがずっと苦しかった。


自分の中に対極にも感じるくらいの思考が
いくつも同時にでてくるから
「本当の自分の気持ち」というものが
迷子になりがち
で。


ぼんやり頭の中にあるイメージに輪郭を
持たせることができなくて
とりあえず口にしてみるけど、
相手からくる反応に対して

「そうじゃないのにな」という思い。


違和感はあるのに、
それを言い換える術は分からない。
だから口を閉ざすということがよくあって。



そして、勝手に「分かり合えない」と感じて
孤独感に苛まれるというループ。。


でも、「なぜそうなるのか?」が最近、
少し分かってきた。



一つは、色々な情報をキャッチしすぎているから。


目の前の人の表情、態度、
そこから見えるその人の気持ち
近しい場面の過去の自分の経験、
その時感じた感情などが



頭の中に、一気にたくさんの
情報が押し寄せてきて
渋滞してしまうというか…。


きっとそれは、過去の経験値で作られた
私の頭の中のフォルダから、この場合の
一番の最適解を必死に引っ張り出そうとして
探しているんじゃないのかなと思われる!



探し始めたものの、
引っ張り出したものを山積みすぎて
結局、何を探し始めたのかも
よく分からなくなっている状態(笑)。

言葉にできないこと対して、
「私には意志がないのか!」と
落ち込んだこともあったけど、


きっと、そういうことじゃない。
自分の想いはちゃんとある。
でも、その「たくさんの情報の中で
ループにはまってしまっている状況」
なんだということを自覚して


今、私はどこに向かいたいんだろう?
そこだけに集中する。



何を言うかよりも
目の前の人とどんな時間を
過ごしたいんだろう?」
とか

今、これって何の答えを導こうとして
話しているんだろう?」
とか

私は何を一番にしたいんだろう?」とか




そんなことを意識してみるだけで
勝手に、思考の交通渋滞から抜け出して
産まれたての卵のようなあったかい
温もりのある言葉が少しずつ出てくる
ようになった。(ちょっとだけね)




これこそ訓練で、家族や近しい人から試してみて
いずれ、苦手と感じたり、
物怖じしてしまうような人にも
フラットに感情が出せるようにきっとなる。


そして、言葉にできない原因の
もう1つは、完全体で出そうとしているから



「私が言葉に出したもので私の全てが
形成されていると決めつけらたら嫌だ」
というような怖さがあることに気づいた。



だから、
慎重に言葉を選びすぎて言葉にできない



それって、きっと相手も自分のことも信頼できて
いなかったんだなあとも思う。



私の周りにいる人たちは、
もっと多角的に私のことを見てくれているし
自分が「おえっ」って思うような一面を見せても
一瞬で私のことを嫌いになったりしない。



誰かを傷つけてしまうのではないか。
誰かから批判されるのではないか。
伝わらなかったら悲しい。
この場を壊してしまうのではないか。



それが怖くて表現することを躊躇してきた。



「変わるかもしれないけど、今はこう感じてる」
「今、緊張しているから言葉にできないけど、
またちゃんと伝えさせて」
「今、落ち込んでいるから、気持ちがついていかない」



自分で表面化していこなかった心の中の言葉を
実況中継のように伝えていく



そうやって、完成形でなくても
自分の中で整理ができていなくても
言葉で伝えていくことで


目の前の人が安心してくれたり
相手も私に「伝えよう」としてくれる。


人は全く同じ感情・感覚の人はいないのに
それを聞かずに「読み取ろうとしていた」。


私へも「察してほしい」と伝える努力を
してこなかった。



読み取ろうとするんじゃなく
知る努力をする。



それだけで、
言葉にならない想いを抱えたままでも
心で繋がれる感覚が持てるんだなと知った。


そして、
言葉にできないもどかしさの先にあったのは
目の前にいる人と純粋に分かり合いたい
という気持ち
だった。


もどかしさを感じるほどの
「伝えたい相手がいるということ」
「伝えたい想いがあること」
「自分のことを分かりたいという欲求があること」



それって、とても幸せなことで。
もどかしさ万歳!とさえも思う。



「分かり合えなかった」ではなく
「分かり合えるまで、言葉を交わそう」
時間をかけて。


そんな波紋が広がっていけば
いいなと。まずは、私から。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?