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長女から抜け出せなかった私の魔法の言葉

「駅まで迎えにきてほしい」

そんなリクエストも上手く出来ない自分に思わず笑ってしまった、ある日の出来事。


その日は、体調も優れない中残業で帰宅が遅くなっていました。
運動不足を解消するため、最寄駅への移動を自転車から徒歩に変えた30分の道のりも、いつもなら軽快に歩けるのにその日は気が重く感じていました。


「今日は、歩いて帰りたくないな……」


そんな思いがよぎったタイミングでの主人からのメッセージ。
「今、子供の習い事のお迎えに来ていて車で待機中」


公文のお迎えついでなら、頼みやすい! すかさず私は返信をしました。「子供たちの終わる時間とタイミングが合えば、帰り道、駅で拾ってくれない?」


と、同時に「終わったから今から帰るよ。どうらしたらいい?」と再び主人からのメッセージ。

本当は迎えにきてほしい……。


送った返信は「駅で少し待たせることになるから、迎えに来なくて大丈夫。先に帰って子供たちにご飯を食べさせてあげて」でした。


滅多に迎えに来てなんて言わない私が、「迎えにきてほしい」と言っている状態を察してほしいなんて自分勝手に思いながら、疲れた身体で無理やり歩いて帰ると、結局は電池切れで余裕がなくなり、不機嫌になる始末。



小さい時から、親にも甘えることが苦手で、人に頼ることが上手く出来なかった私は「私が頑張ればいい……」「私が我慢すればいい……」といつもどこかで思っていました。


そんな中、世間では新型コロナウィルスが騒がれ始めました。
普段、平日はフルタイムで仕事をしながら、私一人で、二人の息子の育児、学校行事、家事の9割をほぼこなしていました。


「私が好きで働いているのだから」、「私が仕事と子育ての両立をしたいと望んでこの生活を選んでいるのだから」と、誰かに頼るということに対して罪悪感がありました。



コロナで自粛生活になり、仕事もほぼテレワーク。いつも仕事で帰宅が午前様だった主人も自宅にいる時間が増えました。家族全員が24時間、家にいる生活。



一日家事とテレワークでバタバタしている私を横目に、主人や子供たちは、やりたいことを自分の好きなタイミングでしている(ように見える)。



私自身も通勤時間がなくなり、以前よりも時間がとれるはずなのに、「家族がいる時間に、子供や主人をおいて、自分のために時間をかける」ことに対しての抵抗感がありました。そんな生活にストレスがたまり始めた頃、知人に相談し、返ってきた一言で私の概念が変わったのです。


「手伝ってくれたらいいなとか、今日は肉じゃがが食べたいな、とか伝えた? 伝えてないのに、やってないのは、知らない子供に怒るのと一緒だよ」


「大人だし……。言わなくても分かるでしょ」と正直思っていました。でも、この状況を打破するためには……と重い腰をやっとあげたのです。


結婚して14年間、包丁もほぼ持ったことがない主人に「今日、私が仕事から帰宅するまでに、お味噌汁にいれる大根だけ切っておいてくれない?」と、初めてお願いをしてみました。


思いのほか「いいよ~」の二つ返事。そこからまるで、私のリハビリのように少しずつ少しずつお願いを増やしていったのです。


暫くは
「大根って、どういう形に切ればいいの?」
「野菜はお湯が沸騰する前にいれればいいの?」
「鍋ってどこにあるの?」
そんな主人からの質問にやりとりを繰り返しながら数ヶ月がたちました。


今では
「今日、仕事で遅くなるから、夕飯お願い!」とお願いすると
「いいよ。今日はハンバーグに挑戦しようかな」
と一言のお願いで解決するようになりました。

「私はこうしてくれたら嬉しい」

私は、リクエストもしていないのに、相手に「わかってくれない」「やってくれない」と思っていたようです。


思えば、弟と二人兄弟だった私は、物心ついた時からずっと母親に「お姉ちゃん」と呼ばれ、お姉ちゃんとしてどうすればよいかをいつも考えていました。


仕事場では、女性の中で一番キャリアが長かった私は「私の仕事が皆の基準になる」と思って人の倍以上頑張らないといけないと勝手に使命感を持っていました。


いつしか
「頑張ることでしか私は認められない」
「何かを提供できないと私には価値がない」
そう呪縛を自分でかけていたようです。


今や、私より料理の腕が上がってきた主人をみて、「料理が出来ない人」と決めつけて、彼の可能性を私が奪ってしまっていたのではないか? とさえ思うのです。

私一人で気負っていた家事は、子供たち含め家族全員の任務になり、出来る人が出来ることをやる文化に変わりつつあります。むしろ、子供たちは「俺がやる!」と取り合いしながらお手伝いをしてくれるようになりました。


長女から抜け出せなかった私の魔法の言葉
「私が頼ったら周りは幸せになる」



そう思えた後、家族で撮影した写真の中の私の顔は、いつもより優しい顔をしていました。


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