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悪魔の代弁者を排除してはならない

[要旨]

ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人元社長の新将命さんによれば、日本人はディベートが苦手であり、会議も予定調和で行われることが多いようですが、それでは、会議の質が低くなってしまうということです。そこで、会議では、あえて反対意見を述べてもらうことで、会議の質を高めることができるということです。

[本文]

今回も、前回に引き続き、ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人元社長の新将命さんのご著書、「伝説のプロ経営者が教える30歳からのリーダーの教科書」を読んで、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、新さんによれば、経営者や従業員の間で家族的な付き合いばかりをしていると、ついつい、それが快適になってしまいますが、一方で、それは危険な状態でもあり、なぜなら、経営環境の変化に気づきにくくなり、危機への対応力が身に付けられなくなるからということについて説明しました。

これに続いて、新さんは、意思決定は予定調和ではなく議論することが大切ということについて述べておられます。「カトリック教会において、個人の審議を行う時、聖人の証となる奇跡に、あえて疑義を述べる役割の人がいた。この役割を担う人を、“Devil’s advocate”(悪魔の代弁者)と呼んだ。異論、反論、疑義を挟むことで、聖人の証をより確かなものにするためである。

この保管機能を果たすことを、“Play devil’s advocate”(悪魔の代弁者を演じる)という。会議などで、議論を深めるために、あえて反対語意見を述べる人も「悪魔の代弁者」である。多くの日本人は、ディベート(Debate)が苦手である。ディベートは普通の話し合いとは違い、『勝ち負け』を前提とするので、日本人の肌に合わない。

一部の例外を除けば、大方の日本人は議論を好まない。『和を以て貴しとなす』という聖徳太子の教えが脈々と生きている。『議論』の文化が薄いのだ。政府の閣議決定も、全員賛成が基本だ。賛成しない大臣がいれば、議決をあきらめるか、先送りにするか、大臣を更迭させることになる。しかし、予定調和、全員賛成では、会議の質は低下してしまう」(148ページ)

新さんが、「予定調和、全員賛成では、会議の質は低下してしまう」というご指摘はほとんどの方がご理解されると思います。これについて、別の事例を挙げたいと思います。2014年3月11日に行われた、日本放送協会の経営委員会で、当時、経営委員長職務代行者の上村達男さんが、当時の同協会会長が経営委員に対して不満を漏らしたことに関し、ガバナンスについて、次のように述べておられます。

「(同協会の会長は)経営委員会に任命されたのだから、経営委員会は自分たちの味方であってほしいと思われているふしがないとはいえないのです。これは逆で、経営委員会はモニタリング機関として会長を選任しました。そのあとは明らかに、モニタリングされるものと、するものという関係になるわけです。

自分を取り巻くガバナンスの仕組みが厳格であればあるほど、その人たちに信任されているということの重みは大きいのです。ある程度しっかりとしたガバナンスが会長を信任しているということになるのです。それによって会長の権威は非常に高まるわけです。ガバナンスとはそういうものなのです。自分がやりたいことにケチをつけている、あるいはチェックしようとしているというように理解してはいけないのです」

念のために説明すると、同協会の「経営委員」とは、株式会社でいえば(社外)取締役に該当し、会長をはじめとする理事のを選任したり、業務執行を監督する役割があり、直接、放送事業を担う役割ではありません。また、引用部分に出てくる、会長の経営委員に関する不満というのは、たまたま、会長が失言をしたことについて、経営委員が会長を擁護してくれないという不満を、当時の会長は持っていたようです。

話を戻すと、上村さんの発言の主旨は、厳しい業務監督が行われていることは、その対象となっている理事たちは、それだけしっかりした業務を行っているということになり、厳しい業務監督こそ理事たちへの応援になるということです。私も、上村さんの考え方は正しいと思います。しかし、これも新さんがご指摘しておられるように、日本では、議論を行うことは好まれません。

さらに、例えば、会社の会議で、部下の方が、社長の意見に反対しているわけではなく、単に自分の意見を述べるだけでも、社長の意見に反対をしていると受け止められてしまうことは、よくあることだと思います。そして、そのような会議は、「質が低い」ものとなり、会議は単なる社長の意見表明と伝達の場だけになってしまいます。しばしば、「会議は無駄」という批判を耳にしますが、私は、それは、会議が無駄なのではなく、会議を予定調和にするから無駄なのだと思います。

もし、会議で建設的な議論が行われれば、その会議は有意義になり、また、それが本当の会議であって、組織には必要なものです。とはいえ、議論が行われることは重要ということは理解できても、会議の場で「自由に意見を述べて欲しい」と伝えても、なかなか、意見がでないということを指摘する経営者の方も少なくないと思います。確かにそういうことはあると思いますが、そうなってしまう要因の1つは、心理的安全性が確保されていないことであり、もう1つは、参加メンバーの習熟度が期待するほど高くないということだと思います。

したがって、厳しい意見が議論される会議は、直ちに実現できないという会社も多いと思います。でも、社長がトップダウンで決めてしまう会議よりも、闊達な議論が行われる会議の方が有意義であり、そういう会議が行われる会社の競争力は高まります。そこで、現在は、会議であまり有意義な議論が行われていない会社は、時間がかかってでも、「悪魔の代弁者」がいる会議が行われるようにすることを目指すことが大切だと、私は考えています。

2024/10/27 No.2874

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