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「ハッタツフェス」という答え
5月6日。
ついにその日がやってきました。
ハッタツフェス当日。
2月末から準備を始めて、約2ヶ月半。
始まる前は不安でいっぱいで、なんでこんなことやろうとか言い出したんや!なんて後悔したり、思うようにことが進まなくて投げ出したくなったり、しておりました。
それでもなんとか、多くの人の協力もあって、無事開演。
終わってみれば、60名近くの方々と最高のフェスを作り上げることができました。
いや
ヘルプマークに書ききれない自分のこと
【生息地】
大阪府大阪市内生まれ
→大阪府泉佐野市育ち
→就職のため24歳で東京進出
(国分寺3年→高円寺2年→六本木6年→阿佐ヶ谷2ヶ月)
【生年月日】
1983年5月6日
【血液型】
O型
【仕事】
・アニメ制作会社(制作進行)
→飲食業(寿司屋→焼肉屋)
・webライターとかイベント企画出演とか
【診断】診断日:2017年12月5日
ADHD(成人型注意欠陥多動性障害)
全検査IQ
ハタチの自分と15年後の自分
本日は成人式。日本各地で新成人たちがはしゃいだり酒飲んだりちょっと怒られたりしていることでしょう。
僕も今年で35歳。気が付けば成人式が15年前の出来事だ。いやなんかもう、びっくりするわ。当時は浪人生活が終わって大学を決めたばっかりで、何にも考えてなかった。ただただ、春から始まる新生活に期待しかなかった。
10代の時はずーっと好き勝手やっていた。学校の成績はそれなりに良かったし、地域で1番の進
新年の目標なんて意味ないやんけ
2018年になりました。今年もよろしくお願いします。
とりあえず、年明け早々実家の隣にある神社に初詣へ。いつも通り神社の神主さんに挨拶をし、賽銭を投げて手を合わせる。特に何か願い事をするわけではない。言ってみればルーティーンみたいなもんで、今年もまた1年生きていられたという確認作業だ。
そしてもうひとつ毎年元旦に行っていたことがある。それは、1年の目標を立てること。でも今年はやらなかった。
今年のまとめとこれからと
2017年もあと1時間を切った。今僕は大阪に帰ってきて、実家のリビングでこの日記を書いている。除夜の鐘も鳴り出した。
今年1年はほんっとうに色々あった。それこそ今まで生きてきた価値観が根底からひっくり返るほどに。振り返ってみようにも時間が足りなさすぎる。
ダイジェスト的にまとめると
【前期】仕事も副業もめちゃめちゃがんばって最高の成果を出してやろうと決める。そのためにフットワークを軽く、行き
12月は飲食業界の繁忙期
飲食店にとって12月は最大の繁忙期。うちの店もおかげさまで忙しい日々を送らせてもらっている。でもまあそれも、クリスマスまでがピーク。あとは、年末に向けてじわじわ落ち着いていく。
というわけで、ちょっと一息。やっとまた日記を書く気力が戻ってきた。
昨日まではどれだけ時間があってもとにかく休むことが最優先。なにしろADHDの影響なのか、心身が不安定になってからは1日1日の営業が生きるか死ぬかの勝負
店長会議でADHDを宣言してきた
ボクは今、東京で飲食店の店長をやっている。自分の店ではないのでいわゆる雇われ店長ってやつだ。そして、今日は会社の店長会議だった。
いつもなら社長からの話があって、各店舗からの報告があって、全体の総括をして終わりという流れなのだが、今日はちょっと違う。会議の最後にボクが店長辞任の挨拶があるからだ。
ADHDが発覚してからすぐに考えたのが「このまま自分が店長を続けていっていいのか」ということ。そも
自分は障害者なんだという衝撃
ADHDを和訳すると「成人型注意欠陥多動性障害」という長ったらしい名前になり、発達障害の一種ということになっている。
「障害」という文字が付いているだけあって、この診断を受ければ法律上も立派な障害者だ。
ちなみに「障害者」には4種類あり「身体障害」「精神障害」「知能障害」「発達障害」に分けられる。始めの3つは昔からあったが、「発達障害」は1980年代以降認知されるようになった比較的新しい障害ら
【2017年12月5日】成人型注意欠陥多動性障害(ADHD)と診断されました
はじめまして。六角人と申します。
ボクは生まれてからずっと自分は普通だと思って生きてきました。
しかし、30歳を超えて、仕事でも管理職を任せられるようになり、まわりとの違和感を強く感じるようになりました。忘れ物が多かったり、必要な情報共有が行われていなかったり、自分では本気でやっているつもりでもやる気がないと言われていまったり。
もしかして、自分は人と違うんじゃないか?
仕事を続ければ続け