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仕事の話をしようじゃないか第2回

前回は前置きのみでしたが、今回も前置きかもしれません。

今回は私の新卒での就職の話を書きます。

結論として私はこの会社を1年ほどで辞めてしまうのですが、これが後々の転職活動の面接で、どう説明をつけたものかの悩みのタネになりました。

私は転職活動で、役に立たないダメキャリアを、どのように説明するようになったのでしょうか?

バブルが崩壊していたらしい

私はバブル崩壊直後の就職氷河期に、大学新卒での就職活動を経験しています。と、こう書くと、さぞかし就職活動が大変だったのだろうとか、バブルが崩壊していく大変な時代を知ってるんですねという感じになりますが、ここには誤解があります。

バブル崩壊の時点では、誰もバブルの崩壊に気づいていなかったのです。

そもそもバブルなんて言葉は誰も使ってませんでしたし、一時的な小休止はあっても、景気拡大は来年も再来年も続くと思われていました。

そのような中で私は金融業界を志望しました。

深い理由はありません。なんとなく景気が拡大し続けている中では、金融業界が世界をリードしているかのように見えていたのです。

就職氷河期の影響もなく大きな会社に入った

そこで、闇雲に無計画に金融業界といわれる会社を受けて回るのですが、銀行にも生命保険会社にも、全然受かりません。受かったのは証券会社2社だけ。

そこで、日本で第4位の規模を持つ証券会社に入社することにしました。
なんということはなく、万の単位の社員がいて500人もの新卒を採用する東証一部に上場している総合証券会社に入れてしまったのです。

一年後にあっさり辞めてしまうとは思ってなかったんだよね。

しばらくして仕事がわからなくなった

こんな感じで始めた仕事は外回りの営業でしたが、全然お客様も付かないですし、何も売れない日々がずっと続きます。そうなると、こんな考えが浮かびます。

私がやっているのは本当に仕事なのだろうか?

確かに、午前中はテレコールと称して見込み客リストに電話をし続け、午後には、何とかアポイントが取れた方のもとを訪問するという生活は続けていますが、会社には何の利益ももたらしていません。

そして、私の仕事が会社にとっても意味がないと思い込むと、次にはこんな考えが浮かんできます。

この仕事はじきに世の中にとって不要な仕事になるのではないか?

すでにファミコントレードは過去のものになっていましたが、今のようなインターネットの時代が来てしまえば、外を歩いてお客様とコミュニケーションを取る営業担当者なんて、必要なくなるのではないかと考えました。
そして、私は、この会社は将来性のない会社なのだなと浅はかな判断をして会社を辞めてしまいます。

このキャリアで得たことは何だったのか

特に何もせず、何も生産しなかったこの1年間で、私が成し遂げたことは何かというと、残念ながらその段階では何にもなっていません。

これをとある会社で「証券会社での就業経験があります」と説明するように試みましたが、得られたのは失笑だけ。当たり前ですよね、何もしてないんですから。じゃあ、どうするのか?

ダメなキャリアを説明する方法

退職から四半世紀を経ての転職面接の場においては、私はこのようにこのダメキャリアを説明しています。

私の最初のキャリアは証券会社の営業でした。
ここまでのすべての仕事の共通点は、お客様とのコミュニケーションの設計を行い実践する仕事であるという点です。
お客様とのコミュニケーションを行うチャネルはいろいろある中、私の原点は、対面でのコミュニケーションにあります。

特に自慢するキャリアではないので中身はありませんが、起点、原点であることは確かです。その後の仕事と結び付けて、且つ、これから追求する仕事ともつながりがあるのだという設定で説明をすることで、無理なく、最初のキャリアを説明することができました。

でもね、やっぱりなんで一年で辞めたんですか?と聞かれると苦しいんですよね。その質問の答えとして用意していたのはこれです。

1年で退職したことについては、反省しています。
そのときの価値観では、これからは足で稼ぐ営業ではなく、電話やデジタルのチャネルが有効になるという気持ちが先に出てしまい退職に至りました。が、もっと対面での経験を積んでおけば、その後のデジタルマーケティングのキャリアに役立つコミュニケーションの基礎がもっと学べたのではないかと振り返っています。

もっとも、この説明を使う機会はほとんどありませんでしたが。

今回は、ダメなキャリアを転職活動でどのように説明をするかという点について書きました。

次回は、もう少し、このダメなキャリアが「ダメ」になった理由をもう少し深堀してみたいと思います。

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