年収300万円時代って知ってる?

これは、「仕事の話をしようじゃないか」の」第5回目です。
タイトルが同じものが続くとよくわからなくなりますから、今回から変えました。

で、「年収300万円時代」という言葉を聞いて「今、そんな時代だよね」と思った人には「若者」の称号を差し上げます!

実は、この言葉は平成15年に経済アナリストの森永卓郎氏の著書のタイトルとなった言葉です。そして、このタイトルを見て私たちはこう思ったんですよ。「そんな年収が低い時代が来るわけないじゃんかよ」

当時の普通は年収500万円くらいでした

平成15年ごろの感覚としては、普通の年収が大体500万円くらいという雰囲気。高年収というとだいたい年収1000万円といった感じです。

とはいえ、もちろん500万円の年収がない人もいっぱいいたんですよ。でも、みんな通過点としての500万円を目指していたし、そこそこ普通に年次が上がっていけば、ちゃんと500万円に到達してさらに上を目指せたんです。

みんな自分のことを貧乏人とは思っておりませんし、中流意識を持っていました。ただ、どことなく妙なことは起きていましたね。マクドナルドのハンバーガーが異様に安かったんです。65円とか59円とか、少し値上がりして80円とか。

貧困でもマクドナルドで食事ができた

変なタイトルを付けちゃいましたが、当時の円相場で1ドルは120円くらいでした。今はやりのSDGsで言われる「貧困」の状態で一日に使えるお金は1.25ドルですから、当時の円相場で言えば120円×1.25の150円。150円あれば65円のハンバーガーは、2.3個買えます。

一日暮らせそうですよね?

そうすると、この時代は「貧困」でもマクドナルドで食事ができたと言えますし、逆に言えば、この貧困並みの金額でマクドナルドのハンバーガーが買えることに喜んでいた年収500万円の人たちという、妙な図式があったわけです、その時代には。

なぜ年収300万円時代が実現したのか

これは森永卓郎氏の最近の発言や著書によれば、小泉構造改革をきっかけとして、非正規労働者が増えたというのが一つ。さらに、不良債権処理の名の下に、資産価値のある企業を赤字の企業と認定して、どんどん潰して外資系のファンドに売却していったからというのがもう一つ。

まぁ、そういうことで日本企業の占める資産価値の国際シェアが30パーセントほどから6パーセントまで下がり、国としての国際競争力も全部外資系ファンドを通じて日本から出て行ってしまいましたというのは正しそうです。

ただ、そうしている中で、私がなんとなく感じているのは、会社でやる仕事がなんだか簡単になってきたなということです。

コンプライアンスがどうのこうのというのにがんじがらめになり、ルールに反したことはできなくなり、それゆえに決まったことを決まったとおりに決まった時間までに終わらせれば良くなったように思えます。

世帯年収はそんなに下がっていないのでは

年収300万円時代でも、結婚して共働きをするのであれば、世帯年収は600万円となります。

よく年収300万ではとても結婚できないという意見も聞きますが、共働きが当たり前の時代としては、逆に結婚しないとやっていけないと考えたほうが正しそうです。共働きでは出産や子育ての負担が大きいのでは?という点については、サポートの制度を探すとして、それは別のお話としましょう。

でも世帯年収600万というのは、そんなに悪いくらいではないでしょう。

共働きにシフトできなかった世代

この年収300万時代を迎えて、うまく乗り切った世代もあれば、これに飲まれた世代もあると思っておりまして、いわゆる就職氷河期世代と呼ばれる世代の方は、この流れにうまく乗れなかった世代なのではないかと思います。

確かに就職氷河期だったのでしょうが、それは古い価値観での「就職」がうまくいかない時代にすぎず、年収300万の共働きの時代を受け入れていれば、その時代を氷河期と呼ぶ必要もなかったはずです。

それを、バブル世代の大企業に入れなかったことを嘆き呪い、一方で専業主婦になりたいという願望も隠し切れず、ということをやっているうちに、更なる少子高齢化社会を作り上げてしまったと。その世代の人間として私は思うのです。

このことを高齢者のせいにする人は多いけど、私は、就職氷河期世代のせいだと思って自省しておる次第です。

ただ300万に甘んじたくはないよね

そうなんですよ。だからこれを増やしていく方法は考えたいものですよね。
この辺りは次回に考えてみたいと思います。


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