ある男の22年間

このひとつ前の記事で、芸人さんが脱芸人をしようとする(とまで言ってはいないが)のと同じように、サラリーマンだって、ステップアップしていくものだぞという話を書きました。
しかし、ずっと同じ仕事をやり続ける人だっているよなと思い当たりましたので、今回は、ある男の22年間の働き方について書きます。

なお、私はその男のキャリアを否定はしていません。

ただ、そういう男がいて、この後の十数年をどう過ごすべきかという点は、就職氷河期世代ではよく聞かれる問題である。そしてそれは解決されるべきであると思っています。

専門学校を出たマニア(1995)

その男は、専門学校を卒業し、社会人として初めての仕事に就きます。

時代は1995年ごろ。世の中においてはMicrosoftがWindows95を発売したタイミングですので世はパソコンブームの真っただ中。彼はパソコンが得意な青年でした。

その彼が、パソコン好きの人にはうってつけの職に就きました。パソコンパーツショップ(当時の言葉ではDOS/Vショップ)の店員です。

専門学校時代からのパーツショップでアルバイトをしていましたので、ただそれを本職にしただけではありますが、店員の中でもパソコンのパーツに関する知識に秀でており、話しやすい雰囲気から、一躍、店舗の中でも重要な店員としての地位を築き上げます。

離合集散するパーツパショップ(1998)

ここから3年間ほどのパソコンパーツショップの状況ですが、常に最新のスペックのパーツを仕入れて店頭に並べておく必要がありました。
秋葉原のようにショップの数が多い街ではなおさら、品ぞろえが店の価値を決めるのです。そしてパーツが売れたらその売り上げを使ってすぐに最新のパーツを仕入れるという、自転車操業に近い経営を強いられていました。

そのような状態だったため、パソコンパーツショップの多くは、経営者が変わったり、従業員が独立して分裂したり、また、いくつかのショップが一つになったりと離合集散を繰り返します。

彼は先述のとおり知識面でも顧客コミュニケーションの面でも評価が高かったこともあり、経営層に気に入られて、新しい店を転々とすることとなりますが、ついに終わりが来ます。ある日ショップが夜逃げしてしまうのです。

パソコンサポートの仕事を始める(2000)

ショップに夜逃げされて置いて行かれてしまった彼は、新しい仕事を探します。とはいえ、ITバブルの2000年前後のころですので、彼の得意とするパソコン周りの仕事には事欠きません。

そろそろ立ち仕事にも疲れてきたタイミングですので、派遣会社に入りパソコンのサポートの担当者としてパソコンメーカーに派遣される仕事に就くことになりました。
ちょうどパソコンの大衆化も進みに進み、インターネットの普及もどんどん進みます。これまでパソコンを使ったことのない人たちが、次々とパソコンユーザーとなりますので、サポートセンターの電話は、パソコンの扱いがわからなくて困っている人で、いつも混雑していました。

まさに天職だったサポートの仕事(2004)

困った人を電話一つで助けるという仕事はとてもやりがいのあるものに感じられました。たまに、クレームを言う人もいますが、ほとんどの人は彼の技術力のおかげで問題を解決し、お礼を言って電話を切ります。
年に数回、お礼の手紙をいただくことがあり、社内の表彰制度で表彰されたこともあります。
このような中で、徐々に、パソコンのサポートセンターの勝手が少し変わってきます。
MicrosoftがWindows XPのService Pack 1が出てきて、インターネットの世界でもブロードバンドのADSLが普及してきました。パソコンの動作が安定してきて、パソコンやインターネット接続についての問い合わせの電話が徐々に減ってきたようです。

パソコンサポートの終焉(2010)

パソコンは、今、2020年代になっても生活は仕事になくてはならないツールですし、パソコンがあるからにはサポートセンターもあるわけですが、2008年ごろ、彼の勤めるパソコンのサポートセンターがなくなってしまいます。
彼の勤めてきたサポートセンターは、家電メーカーが製造するパソコンのサポートセンターでしたが、その家電メーカーがパソコンの製造販売から撤退することになったのです。
とはいえ、彼は、その家電メーカーのコールセンターを離れたわけではありませんでした。
今度は同じメーカーの携帯電話のサポートセンターで問い合わせの電話を受ける仕事に就いたのです。まさに即戦力です。

スマホ隆盛と携帯電話からの撤退(2015)

ときは2015年。彼は家電メーカーの携帯電話サポートセンターで問い合わせの受付をしていましたが時代はスマホの時代になっていきます。
家電メーカーが携帯電話からの撤退を進め始めると、また、サポートセンターが閉鎖されてしまいます。
パソコン、携帯電話と活躍の場を変えてきた彼が次に活躍する場は、スマホのサポートセンターです。メーカーのサポートではなく携帯電話キャリアのサポートセンターで電話を取る毎日が始まりました。

そして(2020)

携帯電話キャリアのサポートセンターで電話を取る仕事を続けましたが、ここ数年は彼は別な場所で電話を取り続けています。
銀行のサポートセンターで、ネットバンクの使い方などの質問を受ける担当をしています。
パソコンのパーツ店から始まった彼のキャリアは、22年を経て、今、ネットバンキングの使い方サポートセンターにたどり着いています。

何か問題でも?

実はこの22年間、彼は同じ会社で働き続けましたが、給与が上がっていません。それどころか下がっています
サポートセンターの派遣社員を始めた段階では時給は約2000円。ITバブルの崩壊やリーマンショックなどを経て、今では時給1500円まで下がっています。
彼の会社での役割は、ずっと変わっていません。
それであれば給与が下がる意味がわからないかもしれません。それでもなぜ下がるのか?
彼の役割の価値の相場が下がってきているのです。
同じ仕事をずっと続けるのは大事なことですが、その仕事の価値を下げないようにするのはとても大変なことなのです。

今回は、とある男の22年間を紹介しました。
これは一例に過ぎませんが、どうやらステップアップというのはしておいたほうが良いかもしれなくもない。。くらいの結論には到達できるのではないでしょうか?
私は彼のキャリアを否定はしませんが、もう40歳過ぎ。
ここから、さらにどういうキャリアを積むべきかについて、実は相談されたのですが、まだ結論が出せないでいるのです。




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