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複雑な文章を、複雑なまま捉える
Webサイトの記事は、いかに読者の途中離脱を防ぐかに重きを置いているものが多いですよね。
無料でサクッと読めてしまうがゆえ、途中で飽きたり、理解しづらく感じた場合はすぐにブラウザバックしてしまう。
せっかく頑張って書いた記事も読んでもらえなきゃ意味がない。
だから、なるべく専門用語を使わず、平易な文章構成にし、なんとかして最後まで読んでもらおうとする。
仮に複雑な内容の文章になっていたとしても、たいていはその後に「例えば」とか「つまり」という接続詞があり、前半で述べたことを単純化した文章が続きます。
これが読者の理解を助けてくれるんですよね。
もし私がWebライティングをするとしても、おそらくこうすると思います。
でも…。
私、実は読みにくい文章がわりと好きなんです。
といっても、論理構造がめちゃくちゃだったり、論点ずらしが頻発するようなものではありません。
そうじゃなくて、論理的一貫性を保ちつつ、読みにくい文章。
専門用語がバンバン登場したり、前提知識が必要なことをなんの説明もなく書いていたり、一見すると論理飛躍してそうだけど実はそうじゃなかったり、一文がやたらと長かったり…。
一部の書籍や論文なんかでちょくちょく見かけます。
大学のゼミでたくさん論文を書きましたが、そのたびに先行論文や参考書籍の読解で苦しめられたのは良い思い出…。
先程、以下のように述べました。
仮に複雑な内容の文章になっていたとしても、たいていはその後に「例えば」とか「つまり」という接続詞があり、前半で述べたことを単純化した文章が続きます。
これ、読者的には接続詞以降の文を読んで理解できたような気になれるんですが、果たして本当にそうなんでしょうか。
本当の意味で理解できたと言ってよいのでしょうか。
文章を簡略化、単純化すると、どうしても書き手が伝えたい微妙なニュアンス、行間のニュアンスが削ぎ落とされてしまうことが多いように感じます。
実際、私も文章を書いていてそのように感じることがありますし。
本体から剥がれ落ちた部分に、よく見るとダイヤモンドが混ざっていた、なんてこともあるかもしれません。
複雑な文章を複雑なままとらえ、自分の力で噛み砕き、味わい、理解し、自分のものにする。
そうして初めて、得られる知識がある。
そうして初めて、見える世界がある。
だから私は、読解力を養いたい。
そして、それを生かせるだけの思考体力をつけたい。
より良い自分になるために。
深みのある人生を歩めるように。
情報のあふれる今の時代こそ、読解力は、最も重要視されるべき力のひとつであると思うのです。
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