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夢幻鉄道―僕とテルの不思議な帰り道―


地下鉄の構内から地上へ出ると、お祭り騒ぎの人々の熱気が押し寄せてきた。

「こないださぁ」「お前、それはないわー。」

人々をかき分け進むと、鴨川が見える。川沿いにお店の川床が張り出している。明かりが川面を反射するのを見ながら橋を渡ると商店街に着く。古い都の雅さと新しい街の粋が調和した通りを抜けると小さな川が流れている。

間に合うかな。

右から左から、わたがし片手に着物をきた人やヨーヨー片手にお面を被った人があらわれる。今日はお祭りだ。そう思った時、通りの向こうに真っ白い毛並みをした猫がこちらをじっと見ているのが目に入った。

きれいなねこだ。

その猫は首をかしげ、そっと鳴いた後立ち上がった。こちらをもう一度見た後、細い小道に向かって歩き出した。なにかに吸い込まれるように猫の後を追った。猫もこちらがついてきているか確認するかのようにときどき身体をくねらせながら振り返る。過ぎ去る店ののれんや提灯は段々と古風なものに変わっていった。

「おにぃさん、ちょっとよっておくんなし。」「あら、あんた男前どすなぁ。」

猫を追って小道を抜けると、紅色に塗られた太鼓橋の向こうにレンガ造りの立派な建物が現れた。千客万来と大きく書かれた提灯がそこかしこにぶら下がっている。古風な建物からは煙が湧き出ていて、中からこぼれた光を乱反射させている。でかでかと垂れ下がっているのれんの向こうには、どっしりとして蒸気機関車がうっすら見える。

「さとる、遅いよ。早く来て。」

久しぶりに聞いたその声に、身体が驚いてしまった。

「テル、なんで、お前ここに。」
「そこは、ごめん、待たせた、じゃない?早くしないと、間に合わないよ。」

こちらの言うことを聞かずにテルは僕の手を引いて橋を渡り始めた。久しぶりに触れたテルの手は少し冷たかった。久しぶりに見たテルの横顔はどこかやつれていた。建物からもれた煙が、秋のひんやりした空気とともに、もくもくと鼻いっぱいに拡がってきた。橋を渡りきるとどこからともなく、制服に身を包んだ、小綺麗な老人が現れた。

「ようこそ、いらっしゃいました。どうぞ、こちらへ。」

真っ赤に染まった大きなのれんを老人がかき分けると、シルクハットを被った紳士やつまようじ片手に着物を着崩した青年が目に入る。中に入ると、立ち食いそば屋に天婦羅屋、色とりどりのパンが並ぶコーヒー屋が軒を連ねていた。どの店も必ず赤色の提灯をぶら下げていて、空間全体がほんのりと赤く染まっていた。建物の奥には、煙をわんさかふかしながら、どっしりと蒸気機関車が、佇んでいた。

「本日は、どちらまでいかれますか?」

いつの間にか、さきほどの老人が隣に立っていた。

「んー、そうだな。“心の底”まで。いけるかな?」
「かしこまりました。ではこちらに」

ガチャン、と扉を開けると、僕らは中に通された。

「それでは、よい、想い出を。」

ゆっくりと車輪が動き出し、汽笛が鳴る。

こうして、僕とテルの旅が始まった。

夢幻鉄道―僕とテルの不思議な帰り道―

テルはバイオリニストだ。小さな頃から神童ともてはやされていた。でも本人は周りの声は気にせず努力し続けた。同じところで堂々巡りしている僕を置いてどんどん前に進んでいった。

でも神様は無情だ。

留学先では結果が出ず、日本に帰ってきた。自分の努力が足りないだけだから、とどんどん追い詰められていくテルを見るのは苦しかった。今月末に始まる大きな国際コンクールに、全てを掛けて望むつもりだった。

最後の合わせでは前奏が終わったところでテルはバイオリンを下ろした。

「やっぱり違うと思うんだよね。」

「え、違うように弾こうか?」

僕が弾いたやり方が気に入らなかったのだと思った。でもテルはにっこり笑って、バイオリンをケースにしまった。それが最後の合わせだった。

帰り道、テルは車に轢かれた。


ーーーーーー

「さて、どこに向かおうか?」

「どこって、まずこの列車はどこ行きなんだよ。」

「どこでも、さ。」

品のある赤い絨毯をススのついたランプから出た光がうっすらと照らしている。列車は暗い夜道をひたすら走っていた。森を抜けたり、トンネルを抜けたり、川の横を通ったりした。

「それより、テル、身体は大丈夫なのか?」

「なんともないよ。この身体ならどこでもいける気がするんだ。」

そういいながら、テルはずっしりとした窓を両手で開けた。煙と共にひんやりとした外気が入ってくる。

「そうだ、せっかくだからホールで練習しようか。」

そう言うとさっきまで、川や森を通っていた列車は、ビルの隣を走り出した。居酒屋や住宅街が目に入ってくる。車輪にブレーキがかかり、徐々に速度が落ちてきた。ごつごつとした革張りの壁に手を置きながら、扉の方に歩いて行った。列車が完全に停止すると鈍い音を立てながら扉が開いた。外には若い車掌が立っていた。

「どうぞ、こちらへ。」

「いこっか。」

テルに促されて外に出ると道路の真ん中に出た。いつも通っているはずの車は全く見当たらず、信号は全ての色が消えていた。その光景をみた僕は不思議と納得した。

「ここ、久しぶりだよね。」
「テル、ここに来るといつも緊張するよな。」
「今もしてるよ。」

僕らが進むのに合わせて、町の街頭がついたり消えたりした。まるでこの世界には僕とテルの二人しかいないかのように。

「もうすぐホールだ。」

入口は開いていて、僕らが乗るとエスカレーターはひとりでに動き出した。おもたげな緑色の扉を開けると客席の後ろ側に出る。

「さぁ、一緒に弾こう。」

舞台の上にはピアノが置いてあった。テルはいつの間にか背中にバイオリンのケースを掛けていた。僕の手を取って舞台の上にのぼる。

ベートーベン、バイオリンソナタ第9番「クロイチェルソナタ」 バイオリンの華やかなアルペジオに続いて、ピアノの序奏が続く。ピアノとバイオリンのやり取りが続いた後、曲の中心部分が始まる。

「やっぱり、だめだ。」

主題に入ったところでバイオリンを下ろして言った。

「違うと思うんだ。」

なんで、とか、どうして、は聞かずに、そうか、とつぶやいた。

「うん。」

しばらくして僕らは錦町のあたりを歩いていた。両脇には赤い提灯がぶら下がっている。

「ほんとにすごいんだよ。全部理論立てて説明してさ。こうしたらもっと見えやすいとか、こうしたら人の感性に寄り添うことが出来るとか、もうとにかくすごいんだよ。」

テルが最近ハマっているイラストレーターについて喋っている。興奮する度にほんのりと赤い光が道を照らした気がした。

「やっぱり、そうやって喋っているテルが好きだよ。」

一瞬閃光のようなものがあたりを包み、頭上ではなにかの影が通った。ぽかんとした表情で僕を見つめたテルは、しばらくして柔らかい表情に戻って口角を緩めた。

しばらくすると商店街の中にある神社についた。テルは背中からバイオリンケースを下ろして地面に置いた。ケースからバイオリンを取り出した。

「これ知ってる?」

「知らない。いい曲だね、誰の曲?」

「僕の曲。」

テルは嬉しそうに弾き続ける。即興のように、でも時々他の人の曲が入る。時間が経つにつれて周りにぶらさがっている提灯に明かりが灯る。壁に掛かったどでかい提灯が、あかあかと僕らを照らす。いつのまにか僕らに加わった白い猫と一緒にありとあらゆる動物がどこからともなく現れた。角の生えた馬ややたらと胴の長いカモシカ。上のほうでは羽の生えたペンギンや銀白に輝くクジラが、まるで海の底にいるかのごとく泳いでいる。次第に着物にちょんまげ姿の男性や、コルセットに身を包んだマダムなど様々な人が、祭りだ祭りだと声を上げながら僕らに加わった。


あぁ、そうか。だって、これはテルの夢の中だから。テルの“心の底”だから。


そう思って、とびっきりの笑顔で投げかけた。

「テル、そうやって弾いてるテルが好きだ!今までの事なんて気にするな。めちゃくちゃ頑張ってきたのは知ってるし、無駄だとは思わない。テルが好きだと思えるもの、テルが楽しいと思えるもの、テルが生命を賭けれると思うもの。それを全力でやって欲しい!その風景を、僕にも見せて欲しい!そんなテルが、僕は好きだ!」

そういった瞬間、周りの風景は吹き飛んで、どこまでも続く水平線の上に僕と、テルと、白い猫は立っていた。太陽と月が同じ方向に浮かんでいた。下では朱い炎と蒼い水が溶け合っている。テルはバイオリンを持つ手を下ろしていたけれど、音楽は鳴り止まない。音に共鳴した波紋は、どこまでもどこまでも広がっていった。

テルは近づいてきて、僕の手を取って、とびっきりの笑顔で言った。

「ありがとう。」

白い猫は嬉しそうにゴロゴロとのどを鳴らしていた。

ーーーーーーーー

どこまでも続くと思われた水平線。列車が進むにつれて町並みが戻ってくる。ポツン、ポツンと建物が見えてくる。向かいの座席には誰も座っていない。

「大丈夫。必ず戻るから。待っててほしい。」

着いた駅は真っ暗で月明かりしか頼れなかった。紅色に塗られた太鼓橋を渡って振り返るとそこにはレンガ作りの建物は無く、ただ旧家が続いていた。電話が鳴った。テルが意識を取り戻したらしい。

急いで病院に向かって、部屋の扉を開けるとテルが白い猫と戯れていた。

僕を見たテルはとびっきりの笑顔で言った。

「さとる、遅いよ。」

僕は言った。

「ごめん、待たせた。」

白い猫が満足そうにゴロゴロとのどを鳴らした。

夢幻鉄道―僕とテルの不思議な帰り道―

―完―


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