💊一緒に勉強しよう 求めることと愛することの違い H&N(ヒア&ナウ)脅威のドーパミン学習法
という本を読んだ
快楽と快感の違い。まだ見ぬ地平をドーパミンは見ている。
H&N(ヒア&ナウ)という用語が出てくるが、一般に言われているのかどうかは調べてみてもよくわからなかった。H&Nの働きとして、実際に快感を与えているのは、H&Nとグルーピングしている、オピオイドとかそういう内因性の化合物で、この本ではドーパミンとはそれとは違うものだと言っている。
いまここの生活と、まだ見ぬミライへの期待感
ドーパミンと報酬予測誤差の働きによって、当らない宝くじを買い続けたり、すぐ死ぬかもしれないのに老後の貯えをしたりする人の行動は説明できる。二元論的に考えると、H&Nはドーパミンと対峙する「いまここ」の考えであり、近代の超克がドーパミン的な予定調和に対する超克という側面はあるような気もする。例えば永劫回帰と言う言葉がある。
知的な生命体がすべて報酬系で生きるならば、超人もまさにその仕組みの中で、アドレナリンをもつ存在なのだろうか?古代宇宙人説の提唱者はそういう。ヒストリーチャンネルで古代宇宙人説やるのは何もカルトとかSFじゃなくて、リテラシーとしての古代宗教みたいなものが分かりやすくファンタジー化できるからで、揺れ動かされるのはドーパミン的な期待感や予定調和だ。
同じように近代の超克とか永劫回帰がもう一度広く知れ渡ってもいいわけで、オルタードカーボンとか、脳髄直結で自我丸出しの記憶共有があると、ある部分はアスリートのようにストイックに道を究め真贋を得る場面があって、推理小説はヒア&ナウで神様の代わりに犯人を追い詰める告解の仕組みでもあり、解き明かす人はたいてい超人的に優れた人である必要があって、歴代のホームズも時には敏感な内因性の化合物からくる、超人的な観察眼に悩まされたりもする。超人がいるとしたら、周りの疲弊は想像に難くなく、ドーパミン的にあるかないか、あってもなくてもどっちでもいいものに全ベッドしたい気持ちは分からなくもない。天才の世紀であればあるほど、理不尽な射幸心は高まっていき、ドストエフスキーはばくち打ちで死刑も宣告されたことがあるが、アインシュタインの脳より内因性の化合物のしくみとしては、どんな人生だったのか見てみたい。今の人の生活や価値観にもマッチするものは、ドストエフスキーだったら得意かもしれない。例えばプレミアム・ガチャをやりつづけて罪を犯して罰をくらうなど。
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