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💊一緒に勉強しよう 求めることと愛することの違い H&N(ヒア&ナウ)脅威のドーパミン学習法

という本を読んだ

ヒトを含む高等生物は強化学習を行っていると思われる。 神経科学においては、Schultzらが、黒質緻密部のドーパミン作動性ニューロンから電気記録をとり、その位相性の発火が報酬予測誤差信号をコードしていることを示唆して以来、哺乳類の脳において大脳基底核はドーパミンを介した強化学習を行う神経回路であるという仮説が有力視されている。

黒質や腹側被蓋野のドーパミンニューロンが、報酬予測誤差に反応してphasicなバースト発火を示すという発見から、大脳基底核が、報酬予測に基づく強化学習や行動選択のための神経基盤として考えられるようになってきた。多くの向精神薬の受容体が大脳基底核に高密度に発現しており(たとえばモルヒネ受容体であるμオピオイド受容体など)、薬物中毒や、習慣化した行動などにも関わっていると言われる

快楽と快感の違い。まだ見ぬ地平をドーパミンは見ている。

H&N(ヒア&ナウ)という用語が出てくるが、一般に言われているのかどうかは調べてみてもよくわからなかった。H&Nの働きとして、実際に快感を与えているのは、H&Nとグルーピングしている、オピオイドとかそういう内因性の化合物で、この本ではドーパミンとはそれとは違うものだと言っている。

いまここの生活と、まだ見ぬミライへの期待感

ドーパミンと報酬予測誤差の働きによって、当らない宝くじを買い続けたり、すぐ死ぬかもしれないのに老後の貯えをしたりする人の行動は説明できる。二元論的に考えると、H&Nはドーパミンと対峙する「いまここ」の考えであり、近代の超克がドーパミン的な予定調和に対する超克という側面はあるような気もする。例えば永劫回帰と言う言葉がある。

永劫回帰するのは、終末を迎えることなく時を越えて同一である物にして、且つ万物である。すなわち、永劫回帰は終末における救済というオプティミズムとの対比でしばしばペシミズムと結びつけて語られるが、その一方で、救済されるようにと今の行いを正す、という制約から解放された明るさもある。世界が何度めぐり来ても、いまここにある瞬間がかくあることを望む、という強い生の肯定の思想でもある。

知的な生命体がすべて報酬系で生きるならば、超人もまさにその仕組みの中で、アドレナリンをもつ存在なのだろうか?古代宇宙人説の提唱者はそういう。ヒストリーチャンネルで古代宇宙人説やるのは何もカルトとかSFじゃなくて、リテラシーとしての古代宗教みたいなものが分かりやすくファンタジー化できるからで、揺れ動かされるのはドーパミン的な期待感や予定調和だ。

同じように近代の超克とか永劫回帰がもう一度広く知れ渡ってもいいわけで、オルタードカーボンとか、脳髄直結で自我丸出しの記憶共有があると、ある部分はアスリートのようにストイックに道を究め真贋を得る場面があって、推理小説はヒア&ナウで神様の代わりに犯人を追い詰める告解の仕組みでもあり、解き明かす人はたいてい超人的に優れた人である必要があって、歴代のホームズも時には敏感な内因性の化合物からくる、超人的な観察眼に悩まされたりもする。超人がいるとしたら、周りの疲弊は想像に難くなく、ドーパミン的にあるかないか、あってもなくてもどっちでもいいものに全ベッドしたい気持ちは分からなくもない。天才の世紀であればあるほど、理不尽な射幸心は高まっていき、ドストエフスキーはばくち打ちで死刑も宣告されたことがあるが、アインシュタインの脳より内因性の化合物のしくみとしては、どんな人生だったのか見てみたい。今の人の生活や価値観にもマッチするものは、ドストエフスキーだったら得意かもしれない。例えばプレミアム・ガチャをやりつづけて罪を犯して罰をくらうなど。

原書はこちら


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