発達障害でうつ病で機能不全家族育ちだけどなんとか生きてるアラフォーです。その1

はじめまして、ロディと申します。

表題の通り、 発達障害 + うつ病 + 機能不全家族育ち のトリプル役満ですが、なんとか生きています。

この記事がひとつめの記事ということで、今回は私の自己紹介をしたいと思います。

なお、私はこの note の中で、私と同じ障害や病気、境遇の人と情報交換をしたり、発達障害やうつをよく知らない人にも知ってもらいたいという気持ちでいますので、それらを軸に書いていきたいと思います。


▼自己紹介

■発達障害について


私は、発達障害の 「広汎性発達障害(ASD)」 と 「注意欠如・多動性症(ADHD)」 の両方を持っています。
ASDについては知的な遅れのないアスペルガー症候群で、ADHDは不注意優勢型です。

特に人とのコミュニケーションが苦手で、これまでの人生ずっと生きづらい思いをしてきました。
会話や雑談が格段に下手で、学校生活では友達もほとんどおらず、社会に出てからは職場でうまく馴染めずに転職を何度か経験しました。
それがまさか障害によるものだとは夢にも思わず、「引っ込み思案がこじれた程度のこと」「自分の努力が足りないだけ」だと思って生きてきました。

しかし、2019年の8月ごろ、コンビニに置いてあった発達障害に関する本が目に留まり、それが自分にとって必要な本だと直感して購入しました。
その本に書いてあったことは全て自分の体験と重なり、「自分はこの発達障害というものかもしれない」と思いました。
1冊だけでは判断できないと思った私は、発達障害に関する書籍をいくつか購入して読みましたが、発達障害かもしれないという思いはどんどん強くなっていきました。

その後、この生きづらさの正体が本当に発達障害によるものか知りたいと思った私は、発達障害のできる機関・病院探すことになります。
何箇所めかの病院で発達障害の検査が受けられることになりましたが、当時、発達障害の認知度が上がってきたこともあり、検査は数ヶ月待ちでした。
最終的に、数ヶ月の検査待ちと、数ヶ月の検査を経て発達障害という診断がおりました。

発達障害の診断がおりれば、福祉のサービスを受けることができます。
また、生きづらさの正体がわかれば対策をたてることもできます。
診断がおりてから、精神障害者福祉手帳の取得や就労移行支援サービスなどを利用し、昔よりは多少生きやすくなったような気がしています。
しかし、発達障害やうつ病を受け入れて、新しい生き方をするということは、なかなか簡単にできることではありません。
今はまだもがいている最中です。


■うつ病について

病院から正式にうつ病の診断がおりたのは30代半ばの頃でしたが、今になって思い返せば、発達障害の二次障害として、中学生の頃からずっとうつ病を発症していたように思います。

中学生の頃は私の人生で一番の暗黒時代でした。
当時は、学校に馴染めず半不登校、機能不全家族により心の拠り所が無く、それによりうつ状態と群発頭痛の併発という状況で、日常的に希死念慮もありました。

高校の頃は良いことも悪いことも無く、凪の状態でした。
思い出が無いためその時期の記憶もほとんどありません。

社会に出てからは、一人暮らしをした(機能不全家族のもとを離れた)こともあり多少人生に明るさが差してきましたが、代わりに発達特性が原因で職場の人間関係が良好に築けず、何度か転職を繰り返すことになります。

前述の通り、30代半ばの頃にうつ病の診断がおりることになりますが、この話は長くなるのでまた今度書きたいと思います。


■機能不全家族について

私は、父親、母親、弟(4歳下)の4人家族で育ちました。

父は発達障害の検査は受けていないものの、その言動から明らかにASDとADHDを併発しており、私の発達障害は父から遺伝しているものだと思います。
父は発達特性ゆえ、会話のキャッチボールがあまり成り立ちません。
人と会話をする場合でも、一方的に一人で話して、相手の返事や相槌を待たずに一人で延々と喋ります。
また、古い家父長制時代の人間だからなのか、発達特性によって子供とどう接していいかわからないからなのかは分かりませんが、育児には参加しない人でした。
概ね仕事人間で、仕事から帰ってくると飯酒風呂でさっさと寝る、目立った趣味もなく、休日にどこかに連れて行ってくれることも稀でした。
子供当時の私にとって、正直父はよくわからない人でした。

父が育児に参加せず、コミュニケーションも難があったため、私も弟も母に育てられてきたのですが、母は母で問題のある人でした。
大人になった今ならわかるのですが、母は自尊心がとても低い人でした。
その自尊心を慰めるため、機嫌が悪いときに子どもに当たり散らすのです。
具体的には、不機嫌をあらわにして子どもに機嫌を取らせようとする、思い通りにいかなければ鬼の形相で怒鳴り散らす、もしくは徹底的に無視を決め込むなどです。

子どもは親がいなければ生きていけません。
だから私は、どんなに母親が理不尽でも我慢するしかありませんでした。
子供の頃から私の行動の最優先事項は、母親を怒らせないことだったので、子供らしい無邪気さや挑戦心、失敗しても受け入れられる安心感などといった自己肯定感は育たず、アラフォーになった今でも他人とのコミュニケーションでは 怯え が先に来てしまいます。 

この両親に育てられた私ですが、高校卒業と同時に家を出ることができたという点で、社会に出てなんとか今まで生きてくることができました。

しかし、私の4歳下の弟は、中学生のときにスクールカーストに巻き込まれて不登校になってしまいました。
今思えば、このときすぐに対処ができていれば引きこもりにならずに済んだかもしれませんが、肝心の親は前述の通り、親としての機能を果たさず、結果的に弟は今でも社会に出られずに苦しんでいます。


▼さいごに


冒頭で述べた通り、この記事やこれから書く記事は、同じような境遇の方と繋がったり、障害や病気について知らない人に知ってほしいという気持ちで書いていますが、もうひとつ、文章にすることで私自身が心の整理をして自分を癒やすために書いているという意図もあります。

この 癒やす過程 で、どうしても過去の辛かった経験を書き出す必要がありますので、そういう辛いものを見るのが嫌な方は見るのを控えていただいたほうが良いかもしれません。
今後も読んでくださる方は引き続きよろしくお願いします。

ではまた次回。

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