3年生の授業を振り返る②演習系

音楽美学演習【前期:優/後期:優】

私の生涯のプチテーマである「音楽に伴われると言葉はなぜ力を持つのか問題」の答えが、美学にあると思ってたらなかったから次は科学に求めますってレポートに書いて、科学から美学に戻ってきたららまた違う景色が見えるかもよって言われた1年時の音楽美学概説(かなり脚色した言い方ですが)。新設されたこの東大の先生の授業がシラバス読む限り例年よりだいぶ基礎的な内容っぽかったから、戻るなら今かなと思って受けてみました。前期はグレイシックの『音楽の哲学入門』+いくつかの関連文献を、後期は源河亨の『悲しい曲の何が悲しいのか』を、学生が1章ずつ担当して発表する授業。後期のは科学系美学みたいな、私が求めてる題材だったはず、なのですが。

何だろう、すごく振り返るのが難しいことに振り返ろうとして気付くわけですが、総合的な印象としては「イライラした」が最も大きくて(笑)。その原因としては、水曜はせっかく長唄で外出できたのにこのリアルタイム授業のためにすぐ帰らなくちゃいけなかったこと、先生の自称「ロマン主義的」な話し方(情熱が迸りすぎて表現が要領を得ない)がおそらく「古典主義的」であろう私の脳ミソ構造(理路整然と表現してほしい)に合わなかったこと、そんな先生がしかもリモートで進めたために毎回ほぼ発表者と先生の議論に終始してしまい学生たちの意見があまり聞けなかったこと、といった外堀的なことも考えられるけれど、音楽美学っていう学問の在り方がやっぱり私に合わないっていう根本的な部分も大きいような気がする。

とは言え得たものも多く、特に「マルチモーダル知覚」という考え方は、この配信公演全盛の世で生の舞台と配信舞台の違いを考える上で大きな参考になりました。かなり雑に説明すると、人間は何かを鑑賞する時に必ず五感を使っている、例えば音楽を聴いてる時も聴覚だけじゃなく視覚とか触覚も働いてるって考え方なんだけど、多分私、人よりこれが激しいんだよな。だからリモート授業でも、レジュメ(止まってる)じゃなくしゃべってる先生の顔(動いてる)が映ってたほうが話が入ってきやすい、というかそうじゃないことがすごいストレスだし、演劇も空間の広がりとか周りの観客の空気とか感じながら観ないと観た気がしないし、見えてる演奏者の音が別の方向から聞こえてくるのがどうにも気持ち悪いのだと思います。

という新たなテーマだけじゃなく、生涯のプチテーマのほうに関する知見も得られたは得られたのだけど、何て言うのかな…音楽美学者特有の、音楽に詳しい人じゃないと音楽を語っちゃいけないみたいな態度とか(だって音楽聴くのって大半が素人じゃん?)、自分の考えに対する反対意見を封じ込めようとする論調とか(そこまで理論武装しなくても…)、それでいて肝心なことには目をつぶってる感じとか(何が肝心かは人それぞれだけど、そっちが何事も人それぞれだって認めてないみたいだから私も言わせてもらいます)が合わない。結果として、私も皆さんと同じように(いやもちろんそこまでたくさんの文献には当たりませんけども)色んなこと学んでそこから自分なりの答えを見つけていきますけど、皆さんみたいにこれが正しいって発表することはやめておきますね、みたいな気持ちになった授業でした。

音楽民族学演習【前期のみ:優】

ネット上で読める音楽民族学の論文の中から興味あるやつを自分で探して、それについて内容を要約して発表する授業。これは何しろ、「探す」という良い勉強になりました。ミュージカルに関する論文って、私が知らないだけでいっぱいあるんだろうなって漠然と思っていたのだけど(2年間もそんな漠然と過ごしてたのかってツッコまないで。その通りだから)、本当に数少ないんだなって分かって、卒論を書くにあたって必須の「先行研究探し」の大きな一助になったというか、この経験がなかったら私、卒論書けなかった気がするくらいです。まあ今も、書くと決めたわけではないけれど。

そもそもミュージカルって、「音楽的な」を意味するmusicalと同じ綴りだから、それだけだとmusical instrumentとかもうあらゆる音楽的な論文がヒットしちゃうってことで、検索にはコツが必要なのですね。この授業のお陰でそれなりのコツが身につき、いくつかは見つけることができたのだけど、「音楽民族学の」ってなると本当になかったので、見つけた論文は卒論で生かすことにして(あくまで「書くなら」ですけど)、ここでは仕方なくラップにおける英語と日本語を比較する論文を選択、無理やり『イン・ザ・ハイツ』と結び付けて発表しました。まあ、いつもの作戦です。

初のリモート発表だったからやる前はすっごい気が重かったんだけど、反応ないとメンタルやられるから反応してねって予め言っといたら、何人かの学生さんがちゃんと反応してくれて意外と楽しかった。私なんかは日本におけるラップ黎明期に青春を送ってるから、韻を踏むってことに対してちょっとした恥ずかしさがあったりするわけです。そのあたり今の学生さんはどうなのかなって思ったら、やっぱり恥ずかしいって子もいればもう慣れてるって子もいて、そういう複数世代での議論ができるってことにちょっと、私のような社会人が芸大に入った意義を、感じたり感じなかったりしたのでした。

レポートは発表内容の発展形で、みたいな話だったから『イン・ザ・ハイツ』話を勝手気ままにに膨らます気満々でいたら、正式に出た課題にそこまでの自由度はなく。当該論文と先行研究を比較した上で、さらに自分が発展させるとしたらどんな論文を書くか、研究計画を立てなさいみたいなやつで、これはこれでこのあと卒論の計画書を出すにあたってすごく参考になったので結果的には良い課題だったけど、さすがU先生(@とても優秀)って思う一方でやっぱり、ここで立てた研究計画の行方は…ってなってもいる。卒論ではアンドリュー・ロイド=ウェバーを取り上げるつもりだけど、『イン・ザ・ハイツ』のラップ詞の研究だってしたくなくはないのよ。だけどどんなにやりたいことも、強制されない限り絶対やらないのが私だからさ…。

ポピュラー音楽研究【前期のみ:優】

正式には演習じゃなく講義なのだけど、なんかとっても参加させられる感じだったからこちらに。楽理科じゃなく音楽環境創造科の授業で、本来なら千住校舎まで行かなきゃいけなかったからリモートでラッキーなパターンです。音楽学におけるミュージカルは、西洋音楽(楽曲分析とか)としても日本音楽(受容史とか)としても民族音楽(文化とか)としても論じられる曖昧で便利な立ち位置だけど、あえて分類するならポピュラー音楽だから、ポピュラー音楽研究にはどんなアプローチがあるのか知りたくて、2年時の別の授業に続いてこれを取ってみました。

ただこの「専門講義」にカテゴライズされる授業は、1~2年時は取ってなかったからよく分かってなかったのだけど、ある程度その分野を概観してくれる「概説」や「専門基礎科目」と違って、その先生が専門にしてることだけを話すことになってるみたいですね。この講義も、早稲田出身のチャラ目の先生の専門である音楽メディア史の話に終始した感じで、色んなアプローチ法に触れたいという願いは2年時に続いて叶わず。関係ないけどどっちも芸大の教授でも出身でもないチャラ目の先生で、別にチャラいことは悪いことでもなんでもないけど、とりあえず芸大がポピュラー音楽に重きを置いてないことは確実な気がしました。うん、まあそうだよね。

でも音楽メディア史も、それなりに面白くはありました。何がって主に、私が慣れ親しんでたカセットやMDはもちろんのこと、私にとっては新時代のメディアな認識だったダウンロードまで、このサブスク全盛の世にあっては「歴史」として紹介されること(笑)。CDをレンタルしてMDに落としてた話とか、ケータイで待ち受けメロディー自作してた話とか普通にしたらなんか、学生さんたちだけじゃなく先生(※年下です)からも無駄にちょっと一目置かれてしまったよ。でもそうやって、気軽にチャットとか音声で発言できる空気だったのはチャラい先生ならではだったかも。一人10分のミニ発表まであって、現役学生さんたちの生の声を一番たくさん聞けた授業でした。

私のミニ発表は、音楽民族学演習と違ってめちゃめちゃ自由度高かったから、コロナ禍のミュージカル上演の現状を好き勝手に紹介。再開明けすぐの8月時点での「現状」だから、あのパワポ資料のちのち読み返したら自分でもへ~あの頃はそうだったのかとか思いそう。レポートは発表を文字に落とし込むだけって話だったのに、直前になって文献3つは読んで関連付けましょうみたいな条件追加されて何だよって思ったけど、それを機に授業で紹介されてた渡辺裕の『聴衆の誕生』を読んだらとても面白かったからヨシとする。音楽の構造的聴取と軽やかな聴取みたいな、(音楽美学者なのに)音楽理解しないで聴く層も無視しない内容もさることながら、何しろこの人(音楽美学者なのに)文章が上手くて読みやすい! 発表内容とはほぼ関係ない本だったからまあ、レポートとしてはちぐはぐな感じになりましたけど。

楽書講読・仏【通年:秀】

フランス語で書かれた音楽学の文献をみんなで輪読する授業。ほかにドイツ語、イタリア語、ロシア語などもあり、いずれかは必修なので語学でフランス語取ってた私は必然的にこれを選んだわけですが、特にフランス音楽に興味があるわけじゃないのでね。前期はアルカン、後期はエルツ(マイナーだけどどっちもフランスの作曲家)の伝記の一部を読んだのだけど、知らない人の伝記読んでも特に何も学ぶことはありません。興味ない授業のために学校行くくらいなら卒業しない道を選びがちな私のこと、対面だったら途中でやめてたかなって思うけど、まあリモートだったのでほぼ皆勤。ちなみに今年度のほかの授業はほぼじゃなく全皆勤で、1回休んだのはこの授業だけなんだけど(笑)。

そりゃ興味持てるに越したことはないので、私もそれなりに頑張ってはみたのだよ。自分が訳す担当じゃないとこもさらっと予習してみたり、よく分かってないなりに少しでも気になったこと質問してみたり、先生以外は映像OFFがデフォルトな中であえて顔出して緊張感を持とうとしてみたり。でもどれも長続きしなくて、だんだん出先のカフェから顔だけ出したり(文字通り。訳す担当じゃない人にも毎週もれなく音読ターンは回ってくるんだけどパスさせてもらってた)、逆に家で受けながら自分の音読ターン以外の時間は洗濯物干したりアイロンかけたりするように…。こうなってくるともう、リモートでラッキーだったってことなのか、対面だったら頑張りが長続きして少しは身になってたかもって思うべきなのか、その判断はつきません。

諸々諦めてからの私のモチベーションは、楽理科の同級生と唯一情報交換できる場だったっていうところ。私含めて5人(後期から大学院のおじいさん学生が聴講で入って6人)しかいない授業で、そのうち4人が楽理科3年生だったから、卒論の指導担当決めた?あの先生ってどんな感じ?調査票もう出した?みたいなことがこの授業の前後に聞けて大変助かりました。でもこの3人、1~2年の時からわりとよく話す部類の子たちだったから、この授業が対面だったら前後だけじゃなく、授業中にももっと雑談に持っていけて楽しかったかもなーとも思ったり。現役学生さんを雑談に巻き込んじゃいけないでしょとの意見もありましょうが、私にとっては雑談こそ正義なので。

訳すターンが私に回ってきたのは半期に2~3回ずつ。語学の授業じゃないんだからどんなツール使ったって読めればいいんでしょとの判断で、毎回Google翻訳にがっつり助けてもらってました。仏和、英和はまだまだトンチンカンなGoogle君ですが、仏英ならば少なくとも私よりは高い精度で訳してくれるGoogle先生であり、英和ならば私もそこそこできるので。PDFから原文テキストが取り出せず、いちいち打ち込まなきゃいけないのは面倒だったけど、それこそこの授業の良い暇つぶしになるとの発見も。入学直後、この年でフランス語始めたってできるようになって絶対なんないって!と思った予想が外れることはなかったけれど、3年間で最低限の文法知識と最新ツールを組み合わせてそこそこの読み解けるようにはなったのだから、それはそれで収穫と言えないこともないのではなかろうか!






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