3年生の授業を振り返る③講義系

日本音楽史講義【前期のみ:秀】

これも「講義」に属する授業なので先生が自分の専門分野をひたすら語る感じ。この先生の専門は歌舞伎音楽の東西交流という、私も興味の持てる分野だったので普通に面白かったです。配信されるのが動画じゃなく音声のみだったことと、出席代わりのレスポンスシートに質問を書き込んでも書き込んでも何も返ってこないことには閉口したけれど(授業全部終わってレポートも出し終わってからまとめて返事きたけど、その頃にはもう私の興味は失われていた。リモート授業あるある。いや違う)。

江戸時代の歌舞伎役者と囃子方の人たちは、どうやら江戸と上方の間を結構行き来していたようです。それによって流行が移動したりパワーバランスが変わったりっていうのがなんか、今のブロードウェイとウエストエンドみたいだなって思ったのと、囃子方の往来を調べる方法が当時の番付(プログラム)とか評判記をひたすら集めてデータ化するしかないっていうのもなんか、膨大なプレイビルからオケメンクレジットだけを抽出する感じかなと思ったのとで――つまりはまたもや、ミュージカルに置き換えることで楽しんでいた感じ。レポートはそれを実際にやっても面白そうだったけど、本筋とはちょっと離れたところで紹介された文献をどうしても読みたかったのでそっちにしました。昔の歌舞伎役者は本人も歌っていたらしいという私にとって興味深すぎる事実について、いつかちゃんと調べたいってずっと思ってたんだけど、なかなか文献を見つけられずにいたのです。

で、読んだらなんと、本当に歌っていたってよ! ソロもデュエットもあったし、花道を歌いながらハケたりとかもしてたようで、それって全くもってミュージカルじゃんね。ミュージカルと歌舞伎の一番の違いは役者が歌うかどうかで、現代の和製ミュージカルが全般に不自然なのは、日本人には喋っていた人が急に歌い出すのはおかしいという認識が伝統的にあるからなのかな、とか思ってたんだけど、全然そんなことなかったじゃんと。これは本当に、私が今後和製ミュージカルというものを考えていくにあたって大いに参考になる知識。それだけでも本当、この授業取って良かったです。

オペラ史【通年:秀】

ミュージカルの先祖であるオペラについて知りたい、あわよくば終盤ミュージカルにも少しでも触れてもらえたら…という淡い期待をもって取った授業。誕生からの流れ、時代・場所ごとの特徴、各作曲家の音楽史的意義など本当に幅広く、しかも毎回オペラ公演の映像とともに教えてもらえて、前者については完璧に果たされました。ジュリー・テイモア演出公演の映像を「オペラのこと全然分かってない人が演出してるから邪魔な要素が多い」とかって注釈付きで見せるあたりにアンチミュージカルが感じられる先生で、淡い期待のほうは見事に裏切られましたけど(笑)。

声楽科の子たちを中心に200人くらいが受ける(芸大にしては)大きな授業だったこともあり、基本はリアルタイムだけどアーカイブも残り(=いつ受けてもいい!)、しかもテストもリモート=問題掲示しておくから期日までに答えておいてね方式。1~2年の時からずっと、オーバー30学生にテスト受けさせても無駄ですよ、必死で覚えたってどうせすぐ忘れちゃうんだから!って心の中で訴えていた私には最高の評価方法でした。ただ、ミュージカル誕生の歴史って意外と曖昧にしか知らないから、どこかでちゃんと調べてレポートに残しておきたい気持ちはずっとあり、バラッドオペラとかオペレッタの話までは出てきたこの授業はそのチャンスだったのかもなと思うと、レポートのほうが尚ありがたかったような気もしたり。ミュージカル誕生の歴史を調べるチャンスは、来年度探っていきたいと思います。

音声学【前期:秀/後期:秀】

人間の発声の仕組みを耳鼻科の先生が教えてくれる授業。日本人と外国人(特に黒人)の声帯の違いに常々興味がありまたビブラートフェチでもある身としてはずっと気になっていながら1限ということでほぼ諦めていて、リモートチャンスに乗っかってみたのだが、一度も授業せず毎週ただただプリント配る方式だったからほとんど何も理解できなかった。リモートになる前から、出席取らない上にテスト問題を答えと共に事前に教えてくれる超絶ラクな授業として有名だった一般教養だから、受講生の数はおそらくオペラ史以上。そうなると質問したところで、そりゃ答えなんて返ってこないよね。

人間の祖先はエラ呼吸をする魚であり、エラ以外で呼吸するために発達した色んな器官を今たまたま発声に使っているだけだから、思い通りに操って歌うことなんてできなくて当たり前だっていうこと。故に、上手く歌うためにはとにかく姿勢を良くしてアゴを引くしかないんだっていうこと。この2点を1年間かけて手を変え品を変え説明されただけという感じで、質問によってかろうじて得られた知識も、声帯そのものに人種間の違いはないってことと、ビブラートもまた姿勢を良くしてアゴを引いて歌えば自然に付くものだってことくらい。なんで日本人は概して歌が下手なのか、その中でなんでたまにすごく上手い人がいるのかは、引き続き自分で探るしかなさそうです。

まあでも、それは仕方ないと思うんだ。諦めかけてた授業を受けられただけでありがたく、それは私がリモート授業はプラスのほうが多いと判断した要素のひとつ。だけどこの先生が、テスト問題を答えと共に事前に教えてくれるシステムをリモートテストでも採用したことには、やはり少々疑問を禁じ得ず…。リモートじゃなければ、教えられた答えを暗記するという最低限の手間は生じるけど、リモートだと答えを見ながら回答できちゃうわけで、それってさすがにバカにし過ぎじゃない?みたいなね。この先生の矜持は「超絶ラクな授業をし、学生に単位を与えること」にあるのかな。それはそれで立派だし必要なのかもしれないとは思うけど、本気で音声学に興味がある学生のこも少しは考えてくれたら、同じリモート授業でももうちょっと違うものになったんじゃないかなと思ってしまったりもしたのでした。

仏語上級【前期:秀/後期:優】

この授業こそ、リモートになったことの最大のプラス面。どうせ覚えられないんだから云々の最たるものがフランス語で、実際初級・中級と2年やってきててもetreとavoir(英語で言うbe動詞)の活用すら覚えられてなかったから、このまま上級までやっても意味ないよなあって、上級まで必修ななかでは卒業どうするかな案件になってたんだけど、いつ見てもいい動画授業だったから。当てられる心配ないから予習しなくていいし、テストもなく何回か課題を提出すればいいだけだったから。とかく「自分の今後の人生に必要ないことを無理してやってまで卒業するべきだろうか?」と考えてしまいがちな私ですが、負担が少なければ余計なことは考えなくて済むわけです。

前期に関しては教材がミュージカル映画の論文だったから、最初はリモートじゃなくてもこれなら頑張れたかなって、なんなら来年度対面でもう1回取ろうかなくらいの気持ちだったんだけど、先生が時間ない時間ない進まない進まない言いながらしっかりミュージカルの悪口は言う(ミュージカル映画は好きだが舞台は嫌いなタイプ)なかなかにめんどくさい感じだったからやっぱりリモートで良かった(笑)。しかしまあ、ミュージカル映画についてフランス語で書かれた論文なんて自分からは絶対読まないのでとても面白くはありました。特に「ディエジェティック」という、前から気にはなってたけど自分のものになってはなかった言葉をやっとちゃんと身に着けた感。

論文の続きが読みたい気持ちVSリモートに乗じて上級の単位取り切っちゃいたい気持ちの戦いは後者が勝利を納め、結局後期も履修。後期の教材はがっつり美術のほうで(この授業は美術学部・音楽学部合同)、語学的にも概念的にも難し過ぎて半分くらいしか理解できなかったけど、美術学部の授業も一つくらいは取りたいなって入学時から思ってたからまあその代用と思って耐えてみた。後述の西洋音楽史と勝手に考え合わせて、人間の営みは形式を作る→形式から逸脱する→形式をぶっ壊す→まだ形式が欲しくなる、の繰り返しなのかなあみたいなことを思ったり。あと関係ないけど、前後の授業の関係で毎回1.2倍速再生してたから、いつかこの先生の対面授業を受ける機会があったら、伸びたテープを聴くような面白さを味わわせてもらえそう。

西洋音楽史【聴講】

3~4人の先生がそれぞれ自分の得意な時代を担当する持ち回り授業。1年の時に履修し終わってたんだけど、当時は古典派担当のT先生が退官間際だったため周りがT先生優先モードになってて、T先生が喋り過ぎて現代まで全然行き着かなかったのと(笑)、私も2年経って少しは音楽学のこと分かってきたから今聞いたらまた違うかなと思ったのとで、リモートに乗じて古典派以降(=後期から)を聴講してみた。T先生は、教科書的な音楽史は各自勉強してくださいって参考文献表を配るだけで、授業では気ままにお話をされてたから私にはすごく難しい印象があったのだけど、新しいN先生は教科書的な音楽史をちゃんと教えてくれる人で、T先生のほぼ最後の学生になれたのはラッキーだったともちろん思う一方で、1年生の時にN先生のこの授業を受けられてたら私もあそこまで落ちこぼれ感を覚えずに済んでたかも、とも。

そんなわけで、音大生活3年目後期にしてようやく「古典派~ロマン派」というクラシック音楽史上最も重要な流れを理解した私です。そしてもちろん、理解したそばから忘れて行った私でもあります。というのはさておき、N先生はきっちり7回でご自分の担当を終えられたので、1年時にはなんと1回しかなかった、現代音楽担当のF先生の授業が5回も。これまた、音大生活3年目後期にしてようやく感、1~2年で受けたほかの授業で出てきたあれってこれのことだったのか感が満載でとても勉強になりました。

具体的に何が勉強になったかは例によってもちろんもう忘れてるわけですが、3年目にして今さら改めて思った、ぜひとも備忘録しておきたいことが二つほど。西洋音楽史の「西洋」ってドイツ・イタリア・フランスだけで、ミュージカル部としては一番気になるイギリスって全然出てこないのね?っていうのと、私のなかでクラシック音楽界最大の天才であるチャイコフスキーって、音楽史上はそんな重要じゃないのね?っていうのです。歴史の書かれ方という根本的な問題に絡んでくるのかもしれないし、逆に授業回数とか分担の関係でたまたま出てこなかっただけかもしれない、色んなレベルの理由が考えられすぎて気軽に気軽に「なんで?」とは聞きづらいんだけど…だからこそ気軽に「なんで?」って聞きたいところでもある(笑)。リモートに乗じて聴講した授業だったけど、結果的には対面を望まされ、まだ画面上でしか見たことがないN先生といつか気軽に話せる日が来ることを願います。

音楽分析論【聴講】

音楽分析はできるようになりたいけど私のソルフェージュ能力じゃ無理そう(また落ちこぼれ感に苛まれそう)だなって、聴講すら諦めてた授業をこれまたリモートに乗じて。前期と後期ではほぼ別科目で先生も違って、前期はソルフェでやるアナリーゼの延長みたいなクラシック音楽の基本的な分析をオール配布物形式で、後期は現代音楽も含めた幅広い楽曲の分析をリアルタイムのリモート形式で。どっちも課題モリモリで、出してコメントもらうことで、より学びが深まっていくのでしょう。分かる、分かるけど、一度も出さなくてもすごく勉強になったよ、それが聴講の良さでは?って、私なんかは思っちゃう。後期の先生とか特に、自分でやってみなきゃ何も身に付かないって何回も言ってたから多分、対面だったらこんな受け身な聴講生は追い出されていたんだろうな(笑)。ほらやっぱり、リモートって素敵。

何が勉強になったかというと、まず音楽分析に決まったやり方はなく、音楽の種類とか研究内容によってアプローチは違っていいと分かったこと。つまり、ソルフェージュ能力の低い私には両先生のような分析はできないけど、ロイドウェバーの楽曲の特徴に私なりに迫ることはできるのです。もう一つは、自分の興味が「印象の正体」を探ることにあると気付いたこと。この気付きの要因はこの授業に限ったことではないのだけど、後期の先生がラヴェルのボレロとかリストのバラードとかのスゴい曲のスゴさの秘密を分析して教えてくれたのが大興奮レベルで楽しくて、一方ブーレーズとかデュティユーとかのワケ分かんない曲だと、同じ方法で分析した結果を教えられても何も感じない。音楽に限らず、何これスゴい!と思ったものがなぜスゴいのか、私は考えたい人間なのだと改めて思えたことが勉強だったのでした。




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