コロナとミュージカルと私 ~この2か月の備忘録~

2月18日(火)
ミュージカル関連で私がコロナを意識した一番古い記憶が多分この日で、まあ「関連」と言ってもただ観劇にマスクして行くべきかどうか迷ったってだけなんだけど。結局しないで行ったけど、それはこの時点ではまだそう非常識ではなく、むしろしてる人が「意識高い」って感じだった気がします。

2月26日(水)
某ミュージカルの製作発表があって、「大規模イベント」の開催が問題になり始めてる時だったから、直前まで「本当にやるのかな?」と思ってて。でも特に中止の連絡はなかったから、さすがに私もマスク着用で行ったら、関係者も全員しててものものしい雰囲気で、オーディエンス席にはチラホラ空席も見受けられました。そしてちょうどこの会見の最中に政府が中止要請を出して、会見後いつものようにカフェで仕事をしてたら劇団四季を筆頭に次々と色んな公演が中止を発表して、ツイッターから目が離せなくなって、仕事が手に付かなくなったので早めに退散。とてもザワついた日。

2月27日(木)
某デザイン事務所にて、翌々日の取材の打ち合わせ。私が取材するのとは別案件の公演パンフが完成間近の状態で置いてあって、公演延期が決定したから印刷はしないとのことだった。苦労して作ったものが日の目を見ないって…このあと何度となく体験する虚しさを多分初めて感じた日(この時点では他人事のはずなんだけど)。打ち合わせを終えて外に出てツイッターを確認したら、東宝をはじめさらに多くの公演が中止を発表してました。

2月28日(金)
友達とご飯を食べた最後の日。ってミュージカル関係ないじゃーんって感じだけど、この時に「今年1年何も公演がないとかもあり得るかもね」みたいな話をした記憶があり。ネガティブだから、こんな早いうちから最悪の顛末を一応想定はしてたんだよな。それでもそれが現実味を帯びていくたびに、律義に落ち込んでいくのがネガティブのネガティブたるゆえんです。

2月29日(土)
初めてマスク着用のまま取材をした日。そしてそのあと、この週末でほぼ唯一と言っていい「中止にならなかった公演」、パリ・オペラ座バレエ団を観に行った。入口にサーモグラフィがあったりと厳戒態勢の中で上演された『ジゼル』はそれはそれは美しく、「こんな時によく来てくれた!」という感動もあいまって涙(この時点ではフランスより全然日本のほうがヤバかった)。このころの私はまだ、断然「中止しなくていい派」でした。だって劇場、濃厚接触しないし。世間的にはライブハウスと一緒にされてるようだけど、日本の演劇ファンは想像を絶する大人しさですよ~って訴えようとしてました。そういう問題じゃないと気付くのは、もう少しあとのこと。

3月1日(日)
お仕事仲間のライターさんとの妄想ツイートがきっかけで始まった、クラウドファンディングによるインタビュー本のキックオフミーティング。この時点で中止が発表されていたのは概ね10日(火)までの公演で、その間に取材をしようというのが原点だったため、時間のなさに焦るあまり、ともすると「中止期間が延びたらいいのに」と願ってしまいそうになる自分との戦い。私には逆言霊(口にした願いは叶わない)があるから、いっそこの時この戦いに負けて口に出していたら、今こんなことになっていなかったかもしれない。野田秀樹が例の意見書を出したばかりのタイミングだったから、これで中止一辺倒の潮目も変わって中止期間の延長はないだろうと、この時は思ってひたすら焦ってました。

3月2日(月)・3日(火)
雑誌などの取材が3本。対象者がのきなみ中止になった公演の出演者で、不完全燃焼感が露わで不憫だったものの、取材自体はまだそんな厳戒態勢って感じではなく普通に行われてました。

3月6日(金)~8日(日)
クラファン本の取材が4本。公演しばりじゃないインタビューの楽しさに打ち震える。公演しばりだと、あれも聞かなきゃ、これも聞かなきゃ、同じような取材いっぱい受けるだろうから何かしら独自の話を引き出さなきゃ、とか思ってしまうのだけど、そういうのがないから。あと、結構な時間をもらえていて、普段の取材ならそろそろ切り上げなきゃいけない時間帯にさしかかったころから、空気が和んで本音が出てくるのが分かったから。こういう取材いっぱいできるならこの本楽しいなあ、コロナも悪いことばっかりじゃないかもしれないなあと、この時点ではのんきに思ってました。

3月8日(日)・9日(月)
並行して、某ミュージカルのパンフ取材@稽古場。アルコール消毒の励行と換気が徹底されていて頭が下がったものの、それでもキャストがマスクしてるわけにはいかないわけで、稽古場って劇場なんかよりずっと濃厚接触しちゃう場所だよね、これ世間にバレたらそのうち稽古も禁止になるのでは?と、思っていなくもなかった。このあたりで、色んな公演の中止期間の延長が発表に。ザワザワ。

3月10日(火)
クラファン本の取材が1本。世間話的に仕事への影響を聞かれ、「とりあえず公演はあるテイで、粛々と取材は進めているので今のところ大きな影響はない」と答えた記憶。そう、この時点ではそうだったのよ。あと、ブロードウェイもそろそろ危ないですよねみたいな話もしたな。実際に1か月の全公演中止が発表されたのは、この3日後のことでした。

3月11日(水)
某ミュージカルのパンフ取材@稽古場。公演があるかどうか分からない中で、さぞモチベーションが上がらないだろうなあと思っていたらそんなこと全くなく、演劇人のパワーに圧倒される。

3月12日(木)~18日(水)
いくつかのミュージカルのゲネを観た。どの公演も万全の対策を講じていたけど、それでもなんだか悪いことをしているような気になったし、本番の幕は開くんかいな?とか思ったら全然楽しめなかった。あとこの時期、公演も取材もすべて予定がコロコロ変わって、予定通りに進まない・先が見えないとメンタルが弱る私の法則にのっとってどんどん落ちていって、クラファン本にも前向きに取り組めなくなっていきました。このあとはほぼ、ライターとしてのみの参加です、言い出しっぺのくせにね。「演劇人のパワー」が自分にはないことを悟りに悟った期間。

3月13日(金)
結果的に私が参加できたのはこれが最後になった、クラファン本の取材。演劇人のパワーを少しだけ分けてもらう。

3月14日(土)
新規パンフの打ち合わせ。普段から、打ち合わせだけで終わる仕事があればいいのにって思ってるほど打ち合わせ好きだから、妄想企画いっぱいたてて楽しく終了。もちろん、すべて妄想のままで終わることになる。

3月15日(日)
某ミュージカルのパンフ取材@稽古場。相変わらずの濃厚接触ぶりに不安を覚えつつ、また演劇人のパワーをもらう。フリーライターになって8年、もっと遡ればインタビューの仕事を始めて20年近く、私は原稿を書くために仕方なく取材をするのであって、取材をせずに原稿が書けるのであればそれに越したことはないと思ってきたのだけど、こんな時になって初めて、ああ私、取材も意外と好きなんだなあ…と思ったりし始める。

3月17日(火)
初のスカイプ取材が1本。やっぱりそうだ、私は「対面取材」が好きなのだ。と、目が合わないスカイプ取材で改めて実感。失う寸前に気付くパターン、あるよね。

3月22日(日)
某ミュージカルを観劇。前の週に、公演回数が減って観たいのに観られない人が増えるだろうから、ゲネに行ける立場の人間はなるべくゲネで行くべきだろう、と変な遠慮をしてゲネに行きまくって全然楽しめない結果に終わっていたから普通に本番に行ったのだけど…やはり楽しめなかった。結果的に、これが最後の観劇となってしまいました。

3月23日(月)
大学の授業開始が遅れるとの一報。もともと、学期中は学業優先、夏休みと春休みに集中的に仕事をする、というのが私の基本スタンスで。4月からの学業優先期間に備えて3月中に終えるはずだった仕事が、この騒動で全然予定通りに進まず、その上クラファン本にまで手を出してしまったものだから、4月の私はどうなってしまうのか⁉と思っていた矢先だったたけに、変な話、とても安心する。安心して元気が出て、よしじゃあ4月は働くぞ!と思ってとりあえず、劇場は濃厚接触しないからちゃんと対策すれば全部を中止にする必要はないのでは?みたいな前向きなコラム原稿を書く。

3月24日(火)
某ミュージカルのパンフ取材@稽古場。またもや演劇人のパワーを分けてもらう。座談会取材だったんだけど、私が振らなくても皆さんのほうでぽんぽん話が弾む感じで本当に楽しかった。自画自賛になるけど、その雰囲気がそのまま伝わる原稿も書けた。まあ、ボツになりましたけど。

3月30日(月)
某ミュージカルのパンフ取材@稽古場。過去イチ演劇人のパワーを分けてもらった取材。本格的な外出自粛要請が出て稽古も休みになった週末が明けてすぐだったし、行く途中で志村けんショックが走ってもいたから、始まる前はどんな話をすればいいのか不安で不安で仕方なくて。でも始まったら、対象者が前だけを見ていて、それもバカみたいに希望的観測を持ってるわけじゃなくちゃんと色々分かった上でそうで、そんな話を聞いていたら私まで、この公演が上演されるころには世の中が元通りになってるに違いない…いや、違いなくはないのだろうけど少なくとも今はそう信じればいいじゃないか、という気持ちになっていました。あ~いい原稿が書けそうだ、早く世に出したい!と、強く思った日。

3月31日(火)
劇場が濃厚接触する場所かどうかとかは問題じゃなくて、もう本当に人と人が接触する機会を減らすしか今はないんだなと、このころにようやく悟り、1週間前に書いた前向きなコラム原稿の不掲載を依頼。

4月1日(水)
14日に打ち合わせをしてその後少しずつ色んなことを進めていた公演と、30日に取材をした公演の担当者から、作業ストップの連絡が入りました。前夜にはクドカンの感染も発覚し、いよいよ稽古場が3密であることが世間にバレて稽古中止→それに伴い5月くらいまでの公演は中止になるのかなと、勝手に覚悟はしていたのだけど、私の心の中だけじゃなく現実がそうなんだって思い知るのはやっぱりつらくて、ますますメンタルがやばいことに。

4月3日(金)
取材済みだった原稿をすべて書き上げる。週末は再びの外出自粛要請に従い、ずっと家にいた。自分が家にいると何もしないことはもう分かり切っている。昨日今日リモートワークを始めたわけではないのだ。

4月6日(月)
緊急事態宣言が発令される直前に雑誌の取材。発令の見通しはもう出ていたので、これが最後の取材になるのだろうなと思いながら、対象と十分な距離を取って。それでも楽しかったっていうのがなんかもう、むしろ残酷。

4月8日(水)
緊急事態宣言を受け、4~5月公演がほぼすべて中止になることが発表に。作業ストップがかかっていた案件のボツが決定に。外出自粛要請はさらに厳格に。家では何もしない、対面じゃない取材はしたくない、配信のミュージカルには興味が持てない三重苦(三重・コロナ禍の世の中を生き抜く力がない)私はさて、これからどうしていくのでしょうか…。事態がここまで深刻化する前は、公演が中止になっても同じメンバーのスケジュールは空いてるんだからパンフ(というか、なんらかのインタビューメディア)作ればいいんじゃない?と思っていたのだけど、取材すらできなくなるという想定外の展開になり、さらには本人による配信が活発になってインタビューメディア不要な未来が見えてきたりもして、とりあえず、ツイッターに鍵をかける。

4月14日(火)
明日1本スカイプ取材があるのでそれまではなんとか気力を保たねばと思い、こんなnoteを書いてるなう、なのでした。何の画像もないのもアレだし、ただの個人的備忘録に多少なりとも記録要素を持たせるべく、エクセルかなんかで中止ミュージカルの一覧作って貼り付けようかと思ったんだけど、5作品くらいで心が折れてしまった。まあこれから長らく暇そうだし、気が向いたら足していこう。

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