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彷徨えるイノシシ、屈折10年を経てみつけた世界


いつも思うんですけど、日の出と日の入りって、ほとんどの人が区別つかないんじゃないか、と。

でも
「夜明けだーーー」
「夕陽だーーー」
って見つめているから、そういうことになるんだと思うのです。

そうしたらなんだか神々しくて、最高に有難いものだと思えてしまう。
日の出なら朝日が。
日の入りなら夕陽が。

結局のところ、認知ってそんなもんだなぁって。
「そんなもん」
って最近すごく良い言葉だなって、一周まわって思う今日このごろ。



おい、失礼だが、その通りぢゃあないか…


で、私のお話です。

あるとき、誰かが、私に向かって無邪気に言い放ちました。
「あなたって、ある意味イノシシみたい」

なぬ?
イノシシ?

「なんかさ、これは!って気になった瞬間、一気にばぁーーーってすごい勢いでアクションして、しばらくしたらシレっと何事もなかったかのように終わってるでしょ。
イノシシっぽいwww」

黙れ、黙れ、無礼者。

そんなもん、身に覚えが…、

あ、ありすぎるではないか…

そうなのですよ。
一旦、気になったもの、やりたいとなった途端に、瞬間風速50m的に集中して時間・お金・労力を投下する私。

でもいつも、一通りのことをやって時間が経てば夢から醒めたみたいに冷静になって元通りに。

色々なところで猪突猛進した経験は何かしらの血肉となっていることは間違いないのですが、何がどうなったのか?詳細のReturnは正直よくわかりません。

自己啓発、ビジネス塾、資格取得、コーチング等々
その期間は約10年間、金額にして1000万円超。

この時間とお金をかけ、一体私は何をやってきたというのでしょうか?

え、まさか人に訊いてんの?

そんなん、知らんがな。

なんですけど、ずっと、誰かに教えてほしかったんだろうなぁと、今になって思います。

ほぼゴダイゴ・ガンダーラな世界



シンプルに表現すると
「やりたいこと探し」
です。

言い方を変えると
「自分らしい自分探し」
です。

さらに別の表現をすると
「どこかにいるはずのもっと素敵な自分探し」
です。

目的はあるはずなのに、決してゴールが見えない旅路。
到達することはない遥かな世界。
もう、遠いです。
果てしなく遠い。

ほぼ、ガンダーラです。
おおむね、ゴダイゴです。

40歳以上の人はわかるでしょう。

旅を終えた瞬間の心の声


そのままを表現すると。

おぉ、あぅ、えぇっと…

あー…、そういうことなの???

です。

自分の want to がクリアになった瞬間であり、旅が終わった瞬間でした。

そこにいたのは
「どこかにいるはずのもっと素敵な自分」
などではありませんでしたが
「絶対に私、完全に私、やっぱり私」
でした。


want to がちょいズレしている感覚


これ、体感値としてもっている人、けっこう多いと思っています。
特にコーチとして活躍し始めた方、なろうとする方は、解像度も高いがゆえに「それなり」の感じで誤魔化すこともできない。

これがどんな感じか、違和感かは、体験した人しかわからないくらい微妙な感じですよね。

私も、ずっと
「自分自身がやりたいと認知していること」

「自分が実際にやってもたらされる体感的フィードバック」
がうまくハマりきらない感覚がありました。

方向性は間違えていないはず。
やっていることも楽しい。
Goalも設定してみた。

でも、本当にそこへ行きたい!とは思わない自分がいました。

今思えば、この状態を解明することができずにモヤモヤしていたからこそ、色々なところへ行っては「私って誰?」「何する人?」って確認していた
気がします。

2020年の後半にボスと出会い、2021年からお仕事の一分野をお手伝いすることになりました。

すぐに20分以内くらいの短い時間、 want to についてセッションしていただいた結果、さきほどの
あー…、そういうことなの???
からの、ガンダーラへの旅路は終了、となったわけです。

※ガンダーラ、ゴダイゴ、何ぞ?と思う方はググって歌詞を確認してみてください。そして、くだらなさいに怒らないでください。



want to はちょいズレるとまったく別モノ


私の want to については、すでにコラムやNoteで書いていますので、知ってくださっている方にはネタバレでごめんなさい。

実際なにが起こっていたかというと…
私が「やりたいことだ!」と認知していたことと「実際にやっていたこと」には思いがけない接続点があり、その接続点こそが私の want to だったのです。

もとの want to
「Story Telling」

本当の want to
「つなぐ」

Story Tellingは実際によくやっていました。
研修講師や講演家という職業は、仕事で求められるし、その精度は評価にも直結します。
楽しくないとできないでしょう。
だからStory Tellingが want to だと疑わなかったのですが、どこかでしっくりこない感じも否めなかったんですね。

私がリアルにやっていたのは、これだったんだーーー!

Story TellingでAとBをつなぐこと。

そして、つなぐほうが私にはより強い欲求だった。
確かに、確かに、確かにーーー!!!

だから、つなぐものがないのに「Story Tellingしましょう」は意味がわからないし、やりたくない。
自分なりにもつなぐ対象が見いだせればできるのですが、AとBを強制されるのは吐き気がするほど嫌い。
真の want to だから、AもBも自分の中に落ちたものでしか扱いたくない。

このシンプルだけけど大事な構造に気づかずにいたから、
「Story Tellingしましょう」
を一生懸命なんとかしようとして
「つなぐ」
が濁ってしまっていたんですね。

これじゃあ、しっくりこないわけだよなぁと。
完全に主従が逆ですから。


結果、手段はなんだっていい


と、思います。
私が、ガンダーラガンダーラだったとき(どんなときだ)、真の want to に辿りつけていればそれでよかったんです。
でも、私は自力では辿りつけなかった。
自力っつっても、10年1000万円かけましたけど(しつこい)

ただ言いたいのは、
「ちょっと違う want to は、実はけっこうしんどいですよね」
ということ。

そして、真の want to が掴めるとやっぱりいろいろな景色が変わってみえるなぁっていうこと。

んなことぁ、言われなくてもわかってんだよ!
という方には、お付き合いさせてごめんなさいでした。

みなさんが、真の want to を掴まれることをけっこう本気で祈念しています!(だってしんどいから)


Power Telling



最後に。
ボスのオリジナルプログラムで、落ちてきたこれからの自分の方向性があります(おい、なにめっちゃ参加してんだ、事務局)

それは、
つなぐことを目的として
Story Tellingを体系化した、
Power Telling
を、広めていくこと。

すごい、楽しみです。

もし未来のどこかでご縁があったら、よろしくお願いいたします(^^

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。









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