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【備忘録】助詞を大事に

■仮説

「空気を読む」、「行間を読む」の「読む」は助詞を発見することにあるのではないか。対象となるモノ・コト・ヒトの認知はそれほど難しくはないが、そのあとに続く助詞を見つけ出し、用いることができるかが重要であると思われる。

あまりに日常過ぎて考えることのない「助詞」を、日本人として数十年生きた今、考察してみることで、思考のクセ、他者とのコミュニケーションの在り様を再考できるのではないか。それは人生という「文脈」の中で、モノ・コト・ヒトをとらえなおし、新たな発見につながるかもしれない。

■雑感

ことばはコミュニケーションの道具でもあり、思考の道具でもある。その目的を果たせればよく、ことばを使う負荷をできるだけ小さくしようとする。なぜなら、ヒトは基本的に怠惰だからだ。昔から「ら抜きことば」などが指摘されているところであろう。そして、昨今顕著なのが助詞の省略。逆を言えば、現代のコミュニケーションでは、助詞を言わず・書かずであっても、少なくとも当人同士において、意味のやり取りや、文脈に顕著な差は出ないということか。

使われなくなった「助詞」に対し、特にネット上のコミュニケーションにおいて「間」が助詞の代わりを果たすようになってきていると感じる。ネットであれば、どこでも情報を共有することが可能であるが、例えばLINEは順序はもちろん、その「間」が大きな意味を帯びてきた。

この「間」というのは、助詞に取って代わるほど、多義で多様な、実に日本的なコミュニケーションや思考の手段、道具であろう。もとは「間」の表現として助詞を用いていたということなのか、とも思えてくる。

■メモ・コピペ

・変幻自在な助詞

助詞の基本的な使い方や語順が、会話や文章の流れのなかで変化するのが、日本語の大きな特徴。

そもそも、英語と日本語では言葉の論理構築が異なっている。英語は語順が違うと意味が変わるか通じないことが殆どであり、語順を重視して意味を捉えようとする。一方、日本語は「て」、「に」、「を」、「は」等の助詞によって、語順がばらばらでもつじつまを合わせる事が出来、日本人は個々の単語の意味を重視して全体の意味を捉えようとする。

・助詞で意味を表す

表意文字を持たない英語は、文字の音に意味がある言語。英語の音節とは、話す相手に言葉の意味が伝わるように音を分けている。一方、日本語は表意文字である漢字や、イメージを喚起するカタカナ表記など、文字の形に意味がある言語。音節をあまり意識する必要がなく、語と語との関係、意味をそえる役割は助詞が担っている。そのため、聞き手は相手の言うことを最後まで聞かなくても、助詞を聞いた段階で、後続の動詞情報をある程度予測することが可能になっている。

・含みをもたらす助詞

日本人の言葉にはふくみがあるとよく言われる。この「ふくみ」は助詞の使い方によるものであり、ふくみを生み出すためには、共通した文化や感性がなければ成り立たない。

しかし、現在のSNS等で話し言葉を主とした文においては、この共通の領域が限定的かつ濃密になるため、短い単文やほぼ単語、絵文字のみでもコミュニケーションが成り立つことある。そこでは、語の関係や意味付けなどの助詞の役割は「間」が果たしていると考えられる。

この「ふくみ」のある助詞の役割は失われていき、5W1Hを成り立たせるために必要な助詞だけが残っていくことになるかもしれない。

・乎古止点(ヲコト点)

漢文訓読の際に読み添える動詞活用語尾や助動詞、助詞を符号で示したもの。漢字の四隅や上下の所定の位置に点や線をつけたもので、平安初期から室町時代頃まで使われた。符号の位置と形とによって読み方を定め、片仮名がまだ十分発達していなかっ た平安時代初期に、漢文により知識を得て学問を修めるために、文書も傷まず 「速く記入できる符号」として発達したもの。

漢文訓読とは、外国語である漢文を解釈するものであり、その「てにをは」(弖爾乎波)が合わなければ、意味が理解ができなかった。今でも「弖爾乎波が合わない」という成句(慣用句)は、言葉の使い方や文章がおかしいこと、文章能力が低いことから転じて、話のつじつまが合わないこと、整合性がないことを指すようになっている。

・文化とことばによるコミュニケーションの違い

<高文脈文化>
高文脈文化のコミュニケーションとは、実際に言葉として表現された内容よりも言葉にされていないのに相手に理解される(理解したと思われる)内容のほうが豊かな伝達方式。日本語がその代表例。

全体主義的な文化では人間関係が密接で、情報の共有、言葉以外の文脈や状況までコミュニケーションの前提としている。また、協調や調和を大事にするため、主体的でない間接表現が多く、遠まわしで曖昧な言い回しが多い。

高文脈文化はより抽象的な表現での会話が可能であるがため、受け手の誤解などによる情報伝達の齟齬も生じうる。

<低文脈文化>
低文脈文化のコミュニケーションでは、言葉に表現された内容のみが情報としての意味を持ち、言葉にしていない内容は伝わらないとされる。

個人主義的な考えを持つ文化では、個性を重視した主体的なコミュニケーションに価値をおくため、伝達される情報は言葉の中にすべて入っており語られない言葉にはメッセージが存在しない事になる。分りきった内容でも言葉として表現する必要があり、複雑な文法的なルールが存在する。

低文脈文化では具象的な表現を行い、会話の文中に全ての情報が入っているため、行間を読む必要もなく、受け手は理解できる。



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