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うたが生まれる      万庭苔子

 猫というのはじつに規則正しい生き物だ。決まり事をとても大事にする。毎朝決まった時間に人間を起こす、時間ごとに決まった場所で眠る、人が新聞を広げたら乗る、箱があれば入る、ソファに座る人あれば横に飛び乗りブラッシングを所望する。
 はなは人が洗面所に行くたびにケツぽんをせがんだ。ケツぽんというのは尻をポンポン叩くことで、正確には背側の尻尾の付け根あたりのことである。要求がかなえられるまでしつこくアピールを繰り返す。洗面台の上に乗り、ごちんごちんとおでこをぶつけ体をこすりつけては最後に尻を向けてぶるぶると尻尾を震わせる。何度も肛門を見せつけられてもうれしくはないのだが、これも愛情表現らしい。愛情には愛情で応えてやりたいという気持ちはある。日に一度三十秒くらいであればこちらもうれしく楽しい。でも四度五度になると奉仕という趣になり、十回を超えればもはや労働になる。しかも単純作業の繰り返し、というわけでそれはそれでつらいものがある。同じ作業を延々と繰り返すために人はなにをするか。歌を歌うのである。農作業や酒の仕込みと同じだ。ケツぽんの歌もそうして生まれた。
〽おちりの自慢 おちりの自慢 自慢のおーちーりー
 メロディラインはもはやある年齢以上の人にしかわからないだろうが天地真理という人が虹の向こうは晴れなのかしら、と歌っていたものにちらっと似ている。だがその後曲調はがらっと変わる。
〽ソレ、ヤッショーマカショのハイ、ハイ、ハイ
 である。民謡なのかお囃子なのかよくわからない。が、とにかくそんな節回しで、ハイハイハイと猫のおケツをぽんぽんぽんしてやるのがおしまいの合図だ。猫のほうもそれが約束事と理解している。
 乳飲み子になるとそのルーティンワーク感は一挙に倍増する。三、四時間おきに乳を飲ませ排泄を促し汚れたら洗って拭いてやる。同じ作業を日に何度も繰り返すわけだ。子猫はかわいいが睡眠不足はつらい。当然労働歌が生まれる。たとえば、排泄を促す歌。
〽ちっこちっこ出るよ ちっこ出るよ ちっこちっこ出るよ いっぱい出るよ
 繰り返し歌って無事タスクを果たした暁には 〽いっぱい出たよ、で終わるわけだ。
 生まれてくるのはかならずしも労働歌だけではない。それぞれの猫のテーマソングみたいなのもある。たとえばはなの場合。
〽はならん はならん あたちははなよ はならん(ちゃっちゃちゃー) はならん(ちゃっちゃちゃ―) はならんらんらんらんらん らんららんらんららんらんららん らんらんらんらんらんらーん
 というピアノ練習曲のような曲調のテーマ1と、
〽子豚ちゃん 子豚ちゃん かわいい子豚ちゃん
 というテーマ2が、A面B面みたいにしてあった。
 かぼすとすだちという乳飲み子たちには明るいメロディの曲があった。幸せがあふれ出る旋律で元気いっぱい飛び跳ねるようなリズムが聞こえていた。しかし残念ながらメロディだけなので文字に記すことができない。
 まめ閣下のテーマソングは、男性二部コーラスとパイプオルガンの伴奏で荘厳に(脳内に)響き渡る大作だ。
〽おれはわんわんわん おれはわんわんわん (ねーこーなーのーにー)
 「にー」の部分にまた次の「おれは」の部分が重なり何度もリフレインされる。なぜわんわんわんなのか。わからない。ただ「わん」と鳴いているように聞こえたからである。
 閣下は二十歳まで生きたが、晩年は毎日心臓の薬を飲むようになり、この服薬の際にも歌があった。〽お薬飲むよ世界一、ぼくは世界一、と何度か繰り返すうちに上手に薬を飲んでくれたものだ。
 猫と暮らしているとでたらめな歌がいくつも生まれる。歌はどれもその猫固有のもので、他の猫と共有はされない。声や柄や体格や手触りが違うように、猫はそれぞれの音楽を持って生まれてくる。柔らかな毛の隙間から、しなやかな身のこなしから、ビー玉みたいに輝く瞳から、音は流れでてくる。
 いまはもう一緒に暮らす猫はなく、新しい歌は生まれなくなった。けれどそれぞれの歌は残り、歌うたびにその猫を思う。
〽おれはわんわんわん おれはわんわんわん
                   ねーこーなーのーにー
       おれはわんわんわん おれはわんわんわん
                        ねーこーなーのーにー
                            <以下永遠に>

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