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"存在"しないということ。

前回の記事からだいぶ経ってしまいました。
相も変わらず私は勉強漬けの日々です。
勉強机の木の模様をも覚えてしまいそうです。
大嘘です。

⚠️今回の記事はかなりセンシティブな話題(生死)を扱います。苦手な方は読むのを中止してブラウザバックしてください。





私のプロフィール欄にも記載がありますが
私は、本当にネガティブな人間です。
どの出来事においても悪い結果を結びつけて考えます。
(なお、もっと言えば私は"ペシミスト"です。"アンチナタリスト"の傾向もあります。)


さて、話は変わりますが
大抵の大人が、いや、子どもも気づいているかもしれません。
"生きることの意味" に関して。
生物学的に "生きることの意味" を考えると
シンプルに『子孫繁栄』ですよね。
倫理的に考えると
はて?一体なんの意味があるのでしょうか。
倫理や哲学の世界では解釈が様々ですが、
私の見解では『無い!!!』です。
"生きることの意味" は元々ありません。
"生きることの意味" は私たちが生まれてから私たち自信で見出すものだと思っています。
だから、結局は『ある』ことになります。
元々持っていないだけで、あるんだと思うんです。

私は、"生きることの意味" をまだ見つけていません。
何のために生きてるのか分かりません。
少なくとも『子孫繁栄』というのはあるでしょう。
まあ、でも、大体の人間は『幸せ』のために生きていることになるでしょう。かなり抽象的ですが。
それを脳裏に置きつつ、私はネチネチと"生きることの意味" について考え続けているのです。

さあ、ここから、ひどくネガティブな思考を展開していきますよ!!!!()
人間、恐ろしいことはたくさんありますが、その中でも私が酷く恐れているのは

【死】

必ず人間は死ぬ。私もあなたも死ぬ。
当然、私の目の前で死ぬ人もいるでしょう。
そしてそれは大抵私の大切な人です。
怖い、"存在"しなくなることが。
"存在"が無くなれば、話すことも笑うことも喧嘩することも慰め合うこともできない。
そこにもういない。
しかし、その人の影や言葉や思い出は記憶に残り続けるんです。記憶には"存在"するのです。
でも、記憶は記憶でしかなく、3次元の世界には結局"存在"しない。

これは、決まっていることです。
昔の人々はこれを受け入れてきたのです。
涙を流して、悔しがり、絶望に暮れても、
乗り越えて来たわけです。
しかし、怖いことには変わりない。

そしたら、【死】がなくなればよくない?

でも、今の世界では【死】が無くなることはありえない。

ならば、そもそも"存在"しなければ良かったのでは?

は?なんだこの乱暴な考えは。

私は気づいてしまったのです。

【最初から自分が存在しなければ、死の恐怖を体験することはなかったはず】

あーあ、なにをいってるのやら。
と思う方が多いでしょうが、
私はここに着地してしまったのです。

しかしですよ、こう思ってるのはきっと極少数で、多くの方は辛くても懸命に生きようとするんです。輝いて見えます。
そういう方々の生の否定をするのは明らかに間違っているので、
やはり、自分だけ存在しなければ良かったのではと、かなり極端ではありますが考えたのです。

"存在"していれば、必ず幸せなことが起こるでしょう。また、苦しいことも必ず起こるでしょう。
【死】というタイムリミットがあるからこそ、生物は成長でき、輝けるのでしょう。

やっぱり怖いけど、【死】があってこその人生なんだよな、頭では分かっています。
そうはいってもやっぱり受け入れられないんです。
生死は本当に難しいです。
今はここに着地していますが、また大空を飛び、違う場所へ着地するかもしれません。

この話題を考えることによって人生が変わるのか、それは分かりませんが、
これからも思考を続けたいと思います。



重い内容でしたが
お付き合い頂きありがとうございました。
人生経験をもっと積んで
さらに強固な思考をしていきたいと思います。




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