魅せてよ、生まれ直しのアーティシズム
2020.7.19 SKY-HI Round A Ground 2020 -RESTART-
「レーザと曲が上手く馴染んでいてかっこよさが増していました」
「オンラインだからこそ出来るテクノロジーを体感できました」
「これを生で受け取れる日が待ち遠しい」
2022年、画面というフィルターを通さずに見た。
あまりにも没入した。
対SKY-HI。真っ向から来る。
一挙一動、演出含め一瞬・一瞬がハイライトのように私の脳裏にビシビシと張り付く。
それも相まっての本気の目とパフォーマンスでかかってくるSKY-HIなので、こちらも言わずもがな本気だ。バイブスで打ち返した。
ライブというのは演者とお客さんによる一対一だとよく表現されるが、これこそが本物の対峙だ。
色んな表情を持ち合わせたアーティストの真髄を、張り巡らされた軌跡の伏線とともに見た。
武道館で耳にした時は、これからもっと大きくなっていくのだろうなとただ漠然と捉えていた。
5年の時を経て受け取った馴染みすらある言葉に、宿った。
八面六臂とは、”多方面で活躍する人”の意。
だが、私が記しておきたいのはSKY-HIが”八面六臂”な人だからということだけではなく、アーティストとしての芯はブレずに、そのレッテルに慄くことなく、自分の好奇心に素直だからジャンル分けなんて到底できないね、ということである。
おそらく、自身にとってもターニングポイントになったであろう本ツアー。
取り巻く環境はあきらかに大きくなった。
それでも私はなぜか、近年のSKY-HIに対して「懐が一層広くなった」とライブに足を運ぶ度に実感する。
八面六臂を体験するほどに浮かんできた問い。
”ショーに括れるのか?”
というのも、私はSKY-HIのツアーのことを”ショー”と表現することがよくある。
実際、初めてこのツアーに参戦した時も、特に後半は”ショー劇”だったと表現している。
その時々で抱いた当時の感情が過ったり。今、これを歌うSKY-HIは何を思っているのか、など。
”Marble”を聴いてこんなに清々しい気持ちになったのは初めてだった。
そんなこんなで迎えた超・八面六臂ファイナル。
何回見ても何かしら発見がある、自分の感情・衝動。これが面白い。
ファイナルにしてやっと。
「君も気になったらおいでよ」
ぐらいのフラッと立ち寄れるオープンマインド。
この感覚を私の中でも昇華できた。
「いや、いつの彼を見てもウェルカム体制整っていたよ」
とツッこまれそうな気がしなくもないけど、そうではなくて。
今までの軌跡も現在の、もしくはこれからの伏線であって、そんな点と点が線になった瞬間を何度も目の当たりにさせられたツアーだからこそ、根っこの部分を改めてじっくり見れた。その到達点としての昇華。「懐が一層広くなった」の真意。
”どんな時も自分で居続けた”
と、MCで発していたことを裏付けるように芯の部分は何ら変わっていなかった。
歌って踊って演出で言葉で自分の感情を全力で表現するところを見たら安心できてしまう。と、2022年2月の私は言っている。
1人のFLYERSから見たSKY-HIは、それぐらいアーティシズムにブレが生じていないということだろう。
豊洲が帰ってくる。大切な仲間に囲まれて大切な時間を共有する。この日だけの特有の空気。
アルバムも出る。”THE DEBUT”
八面六臂で培ったあれこれを経ての、”生まれ直し”を目撃。
できそうな気がする。させてほしい。魅せて。
彼自身にとっても、取り巻く環境にとっても、ここからがまた勝負どころ。
出会ったことを契機に、良い方向に広がる。
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