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ジャック・ル=ゴフ (著) 菅沼 潤 (翻訳)『時代区分は本当に必要か? 連続性と不連続性を再考する』藤原書店 2016年


 歴史も、歴史の素材である時間も、まずは連続したものとしてあらわ
れる。しかし歴史はまた変化からもつくられている。だから専門家たち
は昔から、この連続のなかからいくつかの断片を切り出すことで、こう
した変化をしるし、定義しようとしてきた。これらの断片はまず歴史の
「年代」と呼ばれ、ついでその「時代」と呼ばれた。
  

「時代」という言葉が14-18世紀のあいだに「期間」や「年代」の意味をもつようになり、「時代区分」という言葉、その概念はやっと20世紀になって生まれたとしている。そして、この「時代区分」という言葉は人間が時間に対して働きかける行為であり、その区切りが中立ではないという事実に注意を喚起している。そして、「時代」「時代区分」という概念自体が歴史のなかで生まれてきたことを確認したうえで、「習慣的に「中世」「ルネサンス」と呼ばれているもののあいだの歴史的関係」を検証するとしている。

1「時代区分」とは何か 
 「時代区分」とは、長い過去を組織するために生成してきた存在ではあるが
、それは、単に時間的順序を表すものではなく、同時に移行や転換があること
と、前の時代の社会や価値観の否定さえもが表現されている。したがって時代
区分には特別な意味がある。時代区分は、時間を我がものとするための、時間
を利用するための助けとなるが、そこから過去の評価にまつわるさまざまな問
題が浮かび上がる。そこには主観性と、なるべく多くの人に受け入れられる結
果を生み出そうとする努力とが同時に込められている。そして、その時代区分
という「行為」には何らかの歴史観を要する。時代を区分する尺度・基準・視
座がなければならない。歴史家が後からつけた区分した歴史観と密接に関係し
ており、歴史家が歴史を書く時に便宜的使っているものである。
また、「歴史学」が合理的知の対象となった18世紀に大学や学校のなかに入
り教授のために時代区分が必要となった。この事実は「時代区分の歴史を理解
する」ために重要なことだと、主張している。つまり歴史が時代区分を受け入
れるような知になるためには、教育という活動を必要としていたということで
ある。

2「中世」という時代概念 
 「「闇の時代=中世」から「光の時代=ルネサンス」へ、という歴史観があ
るが「中世」という概念はいつ、どのようにして発生したのか、本著の「中世
の出現」の章で、ル=ゴフは、15世紀になって、ペトラルカに代表されるイタリアの詩人、作家たちが新たな時代の雰囲気のなかで、「想像上の古代と想像
上の現代のあいだ」に位置している時代を「中間の時代」と名づけたとしてい
る。そして、ルネサンスが先導役となって近代が切り開かれていくと理解して
いた。
 19世紀になって、ロマン主義の影響もあって、次第に「中世」に貼りついた
否定的な意味合いが弱くなり、ついには20世紀のマルク・ブロックとアナール
学派によって創造的な時代へと変貌し、光と影を併せもつ時代であったと考え
られるようになった。それでも、歴史家にとって中世のもつ軽蔑的な意味は消
え去ったとはいえ、「もはや中世ではないのだ」という言いまわしはまだ残っ
ていると、中世の暗黒イメージが存続している。

3「ルネサンス」という時代概念
一方、「ルネサンス」という概念はどうか、「ルネサンスの誕生」という章
で、ル=ゴフは「中世」と対比するイメージとして、新しい光を求め、この時
期に「ルネサンス」という名を与えたとされている。ここから、「ルネサンス
」という言葉は、中世に続く、中世に対立する歴史上の偉大な時代として定義
され、1840年から1860年のあいだにひろく知れわたり、ひとつの時代を指す
ものとして認められることになった。
 ミシュレは、ルネサンスを「近代世界への移行期」として定義した。この「
ルネサンス」に関して、ル=ゴフは、ブルクハルトの説で補強しつつ論じてい
る。ミシュレが「ルネサンス」という歴史概念を創りだし、ブルクハルトが「
イタリア・ルネサンス」を近代的個人を生むきっかけとみなした。
 このように「中世」と「ルネサンス」という時代概念の発生を跡付け、15世紀
のペトラルカから数世紀を経て、19世紀のあいだに「光のルネサンスと闇の中
世の対立がふたたびあらわれる」ことになったのだと、ル=ゴフは総括してい
ます。
 ル=ゴフは「闇の時代=中世」「光の時代=ルネサンス」という見方に対し
、異議を唱えている。


「ルネサンスは、たとえその重要性がいかなるものであったとしても、
歴史的持続のなかで個性を与えられる資格をどれほど有していても、私
に言わせれば特別な時代ではないのである。<ルネサンス>とは、長い中
世に含まれる最後の再生のことなのだ。」 


 本書の中心課題は、後世のルネサンス観の再検討に大きな比重がおかれて
いるという点で、ルネサンス論であるともいえる。しかし、ルネサンスという
時代そのものより、むしろ時代区分という「行為」をあつかっている。ル=ゴ
フの最終的な結論は、歴史の時代区分は保たなければならないとしている。そ
して、その時代区分を歴史が受け入れるような知に変貌するには、「教育」と
いう段階も必要であったと主張している。以下、時代区分と「教育」の関連性
から時代区分の必要性について述べる。
ル=ゴフは時代区分の発生の条件として「教育」があることを次のように述
べている。
「歴史をよりよく理解しその転機をしっかり把握するために、すなわち歴
 史を教育可能なものとするために、歴史家や教師は以後時代区分を体系
化する必要を感じるようになる。」 
そして、時代区分が正当化され、受け入れられるのは、歴史を科学たらしめ
るような要素によってである。教えられることで歴史は単なる文学ジャンルであることをやめ、その裾野を広げ、科学たらしめるようになったのである。時
代区分は教育によってその正当性を得たのである。
 歴史は12世紀末期以降ヨーロッパに誕生した大学は直ちに歴史を教育科目に
することはないものの教育機関に入り込む。17世紀には教育制度の変化と歴史
家の実践の後押しで大学の中に歴史教育が入り込む。こうして歴史は王位継承
者たちの教育にゆるやかにくみこまれたということができる。フランスでは18
世紀の終わり頃に幾つかの教育機関(陸軍学校準備級など)で歴史が教えられ
る。この教育の中心目標は「歴史は人生の師なり」(キケロ『弁論術』)であ
り、むしろ道徳規範の類であった。教育も善き市民を要請する目的に従ってい
るようである。1802年には「リセ」(フランスの後期中等教育機関)が創
設され、規模はまだ小さいものの、中等教育における歴史教育が義務化される
。そこでは王政復古の考えを植え付けたと考えられる。
このように歴史を教育する際、何を教えるかという目的のもと、時代区分を
することで必要に応じた歴史を記述することができた。
歴史は時の流れとともに移り変わってゆく人間の様々の行為の有様を記述す
るものだが、ただ流れのままに書くものではない。それを何かで計り、区切る
ことが必要である。つまり年代を決め時代区分をしなければならない。この時
代区分は前提条件のとりようによってさまざまに変わり得る流動的なものであ
る。その前提条件となるのは教育であったり、ルネサンス観、中世観を再検討
することであったりする。それぞれの歴史家が必要に応じ、それぞれの歴史観
を根底に置き、歴史を科学として正当化するために時代区分は必要であると言
える。


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