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人生を縁にゆだねる

将来の夢、趣味、打ち込めること

こういった、「打算的な考えなしにやりたいこと」というのは、その人の個性を形成する。もっと言うと、その人をその人たらしめる、いわばアイデンティティであったり、生きた証みたいなものにつながってくる。

私たちは、自分を自分たらしめるものを模索することに、結構時間を割いている。生きた証を残したいと考えている。そのため、日々自分に問いかける。

将来は何になりたいか、趣味は何か、打ち込めることはあるか

【イ】ある人はその答えを見つけ、進み始める。

【ロ】またある人はその答えを見つけられずに、変わり映えしない人生でもいいかと自分を諭す。

【ハ】またある人はその答えが見つからないことをストレスに感じ、自分はこれがしたいはずなんだと思い込み、答えを見つけたと信じこみ、それに対して時間を使うようになる。

【ニ】またある人は、そもそも自分を自分たらしめるものなど、めんどくさいから探さない。

俯瞰すればするほど、自分が本当にしたいことなど、無いように思えてくる。それでもその道を決めなければならない時が来る。受験とか、就活とか。そうなったときには、自分が将来進みそうな道、もう既に進み始めている道を、自分が進みたかった道はこれだと、無理にでも思い込む。【ハ】の流れだ。

私もそうだ。

医師というのは素晴らしい職業だと思う。また、多くの人があこがれているのもわかる。

しかし、自分は医師になりたいのだと、純度100%で声高らかに言えるだろうか。そう自問すると、他のいろんな選択肢が浮かばなくもないのだ。

私が医師になりたいと考え始めた10年前とかなら、そんな選択肢は浮かばず、純度100%の無鉄砲馬鹿野郎であったかもしれない。
しかしながら、俯瞰能力がついてしまった今、正直純度は60~70%くらいなのだ。

しかし、ここまで来たら引き下がれないから、自分は医師になりたいのだ、自分は医師に向いているのだと、無理にでも思い込むのだ。
そして医師として生きた証を残そうと、そこに向けて時間を割くようになるのだ。

ならば今私の頭に浮かんでいる、他の選択肢に進んでいたとしたら、どうだったのか。
結局、純度は高く見積もっても60~70%であったろうと思う。どのみち、俯瞰し始めてしまうと【ハ】のルートからは逃れられないのだ。

ならばどうすれば、他の可能性を穏便に諦めることができるのか。

その答えが、「縁にゆだねる」ということではないだろうか。

出会った人、読んだ本、たまたま見た映画、そういったもので簡単に気分が変わってしまう人間の性質を利用して、それにゆだねてみる。

それが自分の将来を決定するような場合であったとしても、それでいいではないか。

生きた証を残そうと、気張ってばかりいても、疲れる一方だ。「志」や「野望」などという代物、そう易々と抱けるものではない。

ならば、環境の力を借りて、自分の道を決めていく、というより、自分の道が勝手に決まっていく、というのも正解なのではないかと、そう思うのである。

これもすべて思い込みだったりするのだが。

私はこれから何科医になるのか、決めていかなければならない。おおむね方向性は決まっているが、バシッと一つに絞れているわけでは、決してない。

今日も、放っておくと焦りだす自分の心を、「縁にゆだねてみよーや」となだめては、また焦り始めては、、、を繰り返しているのだ。


ゴソノギ__国立医学生の日常

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