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言葉の解像度


ラジオを聴いているとき、なぜかパーソナリティの体験談を自分も擬似体験しているように感じることがあるんです。



「ある日の〇〇の番組のロケで〜、どこどこに行ったんです、でね〜」
から始まる芸人さんのフリートークとか

その場所に行ったことがないのに、そこの景色やスタッフさんとの会話の雰囲気とかを自分も横で感じられるような

そんな疑似体験です。



ラジオのフリートークでは、ほんの些細な出来事でも笑いが起こるように話したり、時には哲学のような話に掘り下げてくれます。



毎週のラジオで話すネタを探して生活しているからそうなれるのだろうけど



もし自分が話す立場になったら非常に難しいことに感じます。



毎週どこかへ旅行に行って非日常を体感していれば別ですが、当たり前の日常を言葉にするのは案外難しいです。

頻繁に食べてるご飯のおかずの話とか
会社へ向かういつもの道の話とか
動画見ながら酒飲んで寝るって話とか
誰かに語ろうにも抑揚のつけどころもオチもない話になりそうで…
(工夫すれば余裕で話せると思いますけどね!ツヨガリ)



たぶん僕たちは当たり前の日常を解像度を低くみているのでしょうね。
脳の処理とか?
脳が疲れない自然の仕組み的な?
遺伝子の仕業なのでしょう。




だからなのか、あらがいたい気持ちも出てくるんですよね。
言葉の解像度をたまにでも高くしたいって


noteを書く理由はここにありかもです。
絵を描く理由もそこにありかもです。
(絵は目に見えたことを言葉にしてから描く世界だと思うので…この話はまたいつかします)





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