マガジンのカバー画像

この国の常識を疑ってみる散文

24
物事の捉え方や、言葉の意味を自分なりに掘り下げてみると、自分の思い込みだったことだけでなく、多くのオトナが誤解していたり、歪んだ常識に無関心になっていることに気づく。
運営しているクリエイター

#無形資産はあらゆる価値づくりの土台

習慣の質(男子トイレの実情)

この実情は、過去何度となくFacebookでもTwitterでも、その昔はmixiでもアウトプットしているが、やはりあらためて記述せざるを得ない。 この年末年始は、公共のトイレを使う機会が多かった。 高速道路SA、アウトレット施設、ショッピングモール…数日の間に公共トイレを使うことは10回以上あったが、今から伝えることは紛れもない事実だ。 小さな用を足した人で男性の大半が… トイレから出る前に手洗いをしていない特に小便後の手洗い無しの人は9割以上 (この年末年始での公

失敗の経験が活きたコミュニティ運営

平成の後期くらいから、巷SNSなどでも「コミュニティの重要性」「コミュニティマネージャー」「コミュニティビジネス」という言葉を、随分目にするようになりました。「コミュニティ」は、随分前から存在するものでしたが、この数年、急に着目されているようです。 そうした中、ボク自身も、いくつかの「コミュニティ」を運営する立場となることが長く続く中で、個人的に感じていることを一度したためておくことにします。 有機的に長く続くコミュニティ ボク自身が絡むどのコミュニティも、気づけば結果

One for All よりも One for the future

One for All , All for one これは、「全てがチームのために」という合言葉に置き換えられがちで、「個」の犠牲を美徳化してしまう同調圧力的な危険な言葉になりつつある。 「One for All」ばかりを虐げられ「All for one」の見返りなどほとんどない。そういう場面は、少年スポーツでも、職場でも蔓延している。 「個」が活きること。 自分を活かして生きる者こそが、「生活者」だ。 だから、ボクらはこう思うんだよね。 One for the f

「やればできる」を空回りさせない

やってみたものは、「本当に自分がやりたいことだったのか…または、自分がやりたいことに、どうつかながるのか」の意味を、自分に問う機会をつくること。 これを怠ったままで「やればできる」と背中を押しているばかりというのは、言われている本人には、空回りが起きやすい。 やりたくもないことを、無理矢理やらされ続けているなのなら…できたとしても、本人はそれほど嬉しいわけでもないし、できなかったとしても、周りに残念がられるほど気にはしていないからだ。 要は、やらないといけないよと「人の説

学校でも家庭でも…反省よりも内省を!

反省ばかりさせないでもらいたい学校や家庭での教育現場で、子供に「反省」はさせても「内省」の機会を与えられる所が、なかなか無い。 これはのちのち、社会人と成った時も、価値創造力を高めるチームづくりにおいて、大きな弊害の要因となっていることを実感している。 「反省」はするが、日頃から「内省」をしない人ばかりが集まっても、その組織はクリエイティブ性には欠け、イノベーションを起こすなど、程遠い話となる。 ボクらは、「内省」とは「自分の行動にどんな意味があったのかを振り返ること」

「宇宙を動かせ」~セレンディピティを磨いて人生を楽しむコツ

序章:セレンディピティ 「無意識の作用によって、偶然的な幸運に巡り合う力」…そういう理想的なチカラがある人。 これを「セレンディピティが強い人」と表現される。 「それは、特殊な能力の持ち主の話で、自分はそういう夢物語とは無関係」と諦めている人がとても多い。 そればかりか…「自分が楽しいことばかりしていると、マジメな人達に後ろめたい気になる」と罪悪感に近いものを感じてしまう人も然り…。  そう感じている時点で、「セレンディピティ」は芽生えないと断言できる。 一方で…

納得できないことで得る空虚な安定

本来は個性があったはず「納得」できることを放棄することが増えると、最初は意図していなかったのに、いつの間にか「自己犠牲こそが美徳…働くとはそういうこと」という正当性の主張まで飛び出すようになる。 ところが、その先の成れの果てに、守ってくれていると信じてきた場所で、自分の存在価値そのものが薄れていることに気づいてしまった時に迎える虚しさほど、残酷なことはない。 あれ?自分は何のために頑張ってきたんだっけ…? 自分の「納得」よりも、チカラある人や組織に迎合して、結果として「満