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【ショートショート】勘違いの真ん中で


 今日は珍しく創作モノです。


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 冷たい風が頬を刺す。

 まだ11月とはいえ、仙台の夜は冷える。特に今日は最低気温が氷点下に近づくほどの冬日だ。マスクに跳ね返された吐息が肌にまとわりついて、蒸発する暇も与えられずに凍り付いてしまうそうなほど、厳しい寒さである。今しがたバンドのリハーサルを終えたばかりで火照った体には、この寒さは余計に堪える。冷凍庫で急速冷凍される生野菜って、もしかしたらこんな気持ちなのかも。生きた心地がしない。

 それにしても今日は寒い。肩をすくめてアウターのファスナーを閉めようと手を伸ばしたが、俺の手は虚しく空を掻いた。どうやらライダースジャケットをスタジオに忘れてきてしまったらしい。道理で寒いわけだ。
舌打ちしながら、ジャケットを取りにスタジオへ踵を返す。



 俺たちのバンドがお世話になってるスタジオは、クリスロードの路地裏をちょっと行ったところに軒を構える老舗の音楽スタジオだ。これだけ年季が入ってりゃ有名なミュージシャンのサインの一つや二つくらい飾ってありそうなもんだが、生憎ここにそんなものはない。真空管アンプも置いてなけりゃ、道路に面しているこの店には階段を下って地下へ潜り込んでいくアンダーグラウンドなロマンだってない。自動ドアですらない埃まみれの扉を押し開けて、俺はロビーへ足を踏み入れた。

 ロビーに入ると、スタッフルームにライダースを保管してあるから好きに持って行け、とマスターの書置きがカウンターに貼られていた。店内に客は俺以外に誰もいなくて、ついさっきまでカウンターに立ってたバイトの姉ちゃんもどこかへと消えていた。夢を持つのはいいことだけど、その夢を育てる場所はもっと慎重に考えないといけないのかもしれない。休日の夜だというのに誰も練習していないリハーサルスタジオの常連になってしまった俺に、明るい未来は待っていないように思えた。


 カウンターを開けて奥のスタッフルームに入る。色気づいたマスターが洒落こんで「スタッフルーム」なんて呼んでいるが、実態は物置と呼んだほうが近いようだった。弦の切れたまま何年も放置された安いギターや、袋とじを途中まで開けかけたままになっている週刊誌で雑然としている狭いその部屋の一番奥に、俺のライダースは畳んでおいてあった。マスターなりに気を利かせてくれたのだろうが、悪いけどライダースジャケットというものは畳んで置いておくようなものじゃない。ガキのパジャマじゃないんだから。


 ライダースを拾い上げると、古いバンドスコアが開いたまま置いてあった。レッチリの名盤「Stadium Arcadium」のスコアで、「Dani California」のページが開かれたままだ。ずいぶん長い間こうして放置されていたようで、背表紙には折り目が付いている。ギターソロ後半で速弾きする箇所には「最悪アドリブでもいける」とメモが書いてある。こんなふざけたコメントを残した持ち主は、さぞいい加減なギタリストなんだろう、とスコアを眺めていると、ほどなくしてその筆跡が自分のものであることに気が付いた。




 今から10年以上も前のこと。高校生になって初めての冬休み、俺はクラスメートを誘ってバンドを組んだ。その初ライブで演奏したのが紛れもなく「Dani California」だったのだ。初めてのライブハウスで、初めてのマーシャルアンプで、初めての客前で、要するに初めてのステージ。そういう大切な思い出に限って興奮でよく覚えていないものだが、断片的には忘れられない景色ばかりだ。拳を突き上げて盛り上がるオーディエンス。緊張で引き攣った相棒の横顔。客席に轟く歪んだエレキギターのディストーションサウンド。爆音。そしてそれを自分が鳴らしているという事実。急騰する心拍数。

 熱狂。

 

 10年前の自分のギターなんてただウルサイだけで、とてもじゃないけど聴けたもんじゃなかったはずだ。それにも関わらずあれだけ熱いライブになったのは、当時の俺たちにとって音楽が特別な存在だったからに違いない。指の間から砂が零れ落ちていくように聴いているそばから消えていく音楽の刹那的な美しさは、生演奏であればこそよりいっそう際立つ。そんなこと、当時からわかっていたわけじゃない。今だって完全に理解しているわけじゃないけど、あの日のステージで俺たちは、刹那的であればこそ一つになれたことは確かだった。

 スタッフルームに置き去りにされていたレッチリのスコアは、当時の俺がスタジオに置き忘れたものをマスターが保管してくれていたものなのだろうと思った。最近はとにかく、なんとしてでも売れる音楽を作ろうと必死で、自分の好きな音楽に没頭する機会なんて全くなかった。

 俺はスコアに溜まっていた埃をはらって、部屋の奥に立てかけた。ライダースを羽織り、店の外に出て煙草に灯をつける。ライターの灯が一瞬、俺の目を眩ませた。俺たちの夢も、ライターの灯みたいなものなのだろうか。直視すると目が眩んでしまうような、そういった類のものなのだろうか。


 ほどなくして雪が降ってきた。力なく風に流されながらひらひらと宙に舞うやわらかい雪だ。「Dani California」を演奏した初ライブの日も同じような粉雪の夜だった。大盛況のライブを終えて浮かれまくっていた俺に一個上のガールズバンドのボーカルが近づいてきて、一言囁いたのだった。


「今はまだいいけど、いつまでも勘違いしてちゃダメだよ」

 

 10年前は意味が分からなかったその一言も、今思い出すと急に重みのある言葉に感じられる。意味が分かるようになっただけ成長したと思っていいのかな。俺はまだ、勘違いの真ん中で立ち止まったままなのだろうか。知らない間に静かに積もっている雪のように、夢だって、いつかは笑えない戯言に変わってしまうのだろうか。


 雪がやむまでもう一本吸おうか。深く積もってしまう前に、今のうちに帰ろうか。深くため息をつく。

 あの日、先輩の声は白い息とともに冬の夜空へ立ち昇って消えた。そんな思い出が今でも心臓を刺すのだ。

(2021.07.10 一部加筆・修正)


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昨年の11月にTwitterで「こんなお話しいかがですか」っていう診断メーカーみたいなのがあって、それに自分の名前を入力すると、

あなたのストーリーは○○で始まり××で終わります

と答えてくれるというものでした。


自分の名前を入力したら

ジュンペイのお話は「冷たい風が頬を刺す」で始まり「そんな思い出が今でも心臓を刺すのだ」で終わります。

という結果でした。


このお話は、実際にその始まりと終わりに沿って書いた、ある若いバンドマンのストーリー。


このお話は、あくまでフィクションです。





みなさまの支えのおかげで今日を生きております。いつもありがとうございます。