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このご時世に旅暮らしをはじめたキッカケ

突然の職場閉鎖、転勤からの離職。旅をしながらフリーランスと住み込みの二足の草鞋(たまに単発アルバイトに従事)ふらりふらりと漂うように生きるようになって、はや半年。

おかげさまで2021年は様々な出会いと別れに恵まれ、一時は激しい大波に煽られながらも、概ね幸せで満足な1年間を過ごすことができました。感謝。

#2021年の出会い 」についていざ書こうとすると、思い出のひとつひとつがかけがえのない大切な出来事ばかりで、何を書いたらいいのかわからなくなりますね。今回に限らずゆっくり書き連ねていけたらいいな…。

さて、今日は…
「旅をして暮らす」一歩を歩み出したキッカケについて。

予想外の事業所閉鎖→転勤

冒頭に少し書きましたが、昨年の3月末、勤めていた事業所が閉鎖しました。当時の自分にとって「人生で一番、職場の人間関係が良好で大好きだった」事業所でしたが、行政からの単年度事業の委託継続に至りませんでした。同時期に離婚も決まったため、そこそこ遠方の地域に転勤しました。

閉鎖が確定してから1週間で転勤・配属。ロクに引き継ぎがなされないまま実質1.5人体制で業務にあたり、現場を見ていない責任者と折り合いがつかず、人の生死・人生に多少なりとも関わる現場(福祉系対人援助職)ではあるが、緊急事態であっても現場職員間で相談できる状況にもない、法人内では疑心暗鬼な陰口ばかり等、書ききれないほどの理由で、程なくして衰弱しきってしまいました。

海辺の街でしたが、帰り道すがら、春の海に向けて歩みを進めそうになる、それくらいしんどかったです。。

何気ないひとこと

さて、その職場には正職員ではないけれども、サポーターとして関係してくれている(ボランティアスタッフのような)70代のおばあさまがいました。

配属前の状況もご存知が故に窮状について理解を示してくれて、責任者に対してさり気なくわたしの味方をしてくれていたり、帰り際に「夕飯として食べな」と手料理を持たせてくれたり………唯一愚痴を吐かせてくれる、わたしにとっての「セーフティゾーン」だったおばあさま。

「あんた(ろっち)さ、本当は何がしたいのさ?何もこんな職場を選ばなくたっていいだろうに。あたしはね、シングルマザーとして女手ひとつで子どもたちを育ててきたけれども、今の歳になって『自分のために生きてみたかった』と思うんだよね」

ある日、そう言われて「そういえばどうしたかったんだろう?」と、こころの中がとまってしまったわたし。何気ない雑談だったはずなのに、こころにずーんと響くような衝撃。

翌朝、あまりに天気が良かったものだから、会社に連絡した上でサボってしまいました。「天気が良かったから仕事する気がなくなった」だなんて社会人としてどうなのか?と思うし、普段の自分なら無理して出勤したけれども、その日は何故か力強く「これでいい」と思えたのです。

一息ついてはじめて、業務自体には不満がない…どころか、業務にはやりがいを感じていたけれども、とにかく法人内の人間関係に疲れてしまっていたことに気付きました。

「誰かの将来の幸せの為に」って必死に仕事していたけれども、わたしの幸せとは何だろうか?
空が高くて青い海を眺めているだけでも幸せ。
一日が無事に終わるたびに感謝。
でも働けど裕福になれる訳ではない。苦しい思いをした先の未来も思い描けない。

転勤後1ヶ月半で限界がきました。

診断名、適応障害。

とにかく悔しかった。

本当は「仕事(利用者)に対して責任を果たす」ために、もう少し粘り続けて、改善まで見届けたかった…。

「理念なき福祉は人身売買だ!」と、わたしにとっての正義で事を成そうとしても、こころがバラバラになって動けなくなってしまったので、自分が認識していない自分の本音によるギブアップだったのだと思います。

つまるところ、"我張り"すぎた。

「最終的に責任を果たさねばならないのは法人じゃないか」という論理で離職を決意して、果たしてそれが"正し"かったのかはわかりませんが、わたしは「誰かのため」に生きることをおやすみして、まずは「自分のため」に生きてみようと思いました。

子どもはいなくて離婚、両親や祖父母の面倒をみる必要がない。そんな今なら、何処にでも行けるし、何でもできるはず。って。

「旅をして暮らしてみたかった」

新型コロナウイルス感染症の影響で、旅(遠距離移動)自体が一定のタブーに感じられるような昨今ですが、仕事の一環として北海道を発つことにしました。

「仕事はしていかないと生きていけないので、わたしにとっては重要で必要なこと」

幸いなことにとんとん拍子で住み込みの仕事が決まり、細心の注意を払いながらレブル250とともに出発して………現在に至る。

バイクに乗るようになって毎日が最期の日。社会情勢も予想外の連続ばかりで、当たり前が当たり前じゃなくなってしまったからこそ、いつ死んでも悔いないように生きていきたいと思ったのです。


余談ですが、自分のための人生、いわば自由を謳歌するようになって「自分が守るべき・守りたいと思える存在」の大切さを思い知りました。「家族がいる」ってすごく大事なことなんだな〜と。

また、旅は非日常だから良いのであって、旅が日常になってしまうと、感覚的にただの転勤族でしかなくなってしまうなど、やってみてはじめて見えてくるものもありました。

夢描いてやらないよりは、まずはやってみた方が、生きる上で後悔しなくて済む。経済的な豊かさよりも、こころの豊かさを大切にしていきたい。

誰かを幸せにする前に…

数日前、旅先で出会った社長さんと「自分のために生きて、余裕を持つことによってはじめて、誰かのために動くことができるんだよな」という話で盛り上がりました。

「世の中の人は、誰かの為に犠牲になって生きることこそが"良い"と思っているようだが、俺にとっては逆」と話すその社長さんは、「俺は俺の楽しみのためにお前にご飯食わしてやる」と、その地域の名物をお腹いっぱい食べさせてくれて、綺麗な夜景の見える観光スポットにも連れ回してくれました。(その日、吹雪の中バイクで移動せざるを得ず、あやうく凍死しかけたり、あまりに散々な一日だった……)

「こうしておけば、お前はまたこの街に来たいって思えるだろ?」と茶目っ気たっぷりに言われちゃいましたが、どういう名目であっても「わたしにとって優しいと感じられたら優しい」ということで、有難くお世話になりました。

このお話はまた追々。


わたしなりの社会問題への向き合い方

自分自身が社会問題の隙間に落ちた経験があったり、対人援助職として働いたり、SDGsに関する活動をしていたり、そういう経緯を振り返ると「社会問題が次から次へと起こる」「誰かの苦しさが対岸の火事として見て見ぬフリされてしまう」「孤立してしまう」などという社会の現状は、人のこころに余裕がないからじゃないかと思うようになりました。

様々な社会問題に対して、福祉サービス制度を整備して対応するだけではなく、みんなが幸せになって、ほんの少しでも他人や社会や環境問題などに気を向けられるようになれば、より良い方向に循環していくようになるのではないか。

だから、前述の社長さんみたいに「自分のために生きていくこと」は必要。ただし単なる自己中な生き方で完結するのではなく、余力ができた部分を誰かと一緒に楽しむ。
その何気ない振る舞いこそが、相手にとって最大の優しさだったりする。
そんな気がしています。


何にせよ、わたしの人生は誰かとの出会いの連続で出来上がっている。
何かひとつでも欠けてしまえば、わたしという存在は別物になってしまう。

例え苦しくて嫌な出来事であったとしても、その出来事を通して新しい自分を発見して、学ばせていただいて、「より善い自分」を目指して生きていけます。

だから、過去に揉めた人であっても「出会ってくれて感謝」
もちろん今そばにいてくれる人たちにもこころから感謝。

数年前まで酷いことばかりの人生だったけど、今では「生きていて良かった」心の底からそう思います。


今年はどんな人とお会いできるのでしょうね、楽しみだー。

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