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「第3章 プラゼーレシュ霊園 - アマリアはもうここにいません。」アントニオ・タブッキの「レクイエム」で巡るリスボン

あまりの暑さに、主人公は偽物のラコステのシャツをプラゼーレシュ霊園前の路上で買う。普通のシャツにワニのワッペンを貼ったものである。
プラゼーレシュ霊園と言えば、少し前まではガイドブックに載る人気スポットだった。お墓が人気スポットとは? そう、以前そこにはポルトガルで一番有名な人物が葬られていたからだ。

アマリア・ロドリゲス

ポルトガルを代表する世界的な歌手。1999 年の10 月に亡くなった。私が初めてポルトガルに行って、帰ってきて一週間後ぐらいだった。あ、お土産のCD の人だ、と瞬間思った。ポルトガルに行くことがなければ、新聞記事を見逃していたもしれない。CDは、まだ封も開けていなかったことも思い出した。

2002 年に再びポルトガルを訪れたとき、市電に乗って終点であるこの墓地のある停留所に降り立った。が、閉門時間の17 時を少し過ぎていて、もちろん門はしっかりと閉じられてしまっていた。当時はアマリアや、その墓地にさほど思い入れがあったわけでもなかったし、28番線の市電に乗ることができて、それだけで満足したものだった。

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アマリアのお墓は現在、アルファマの高台にそびえたつ、サンタ・エングラシア教会(Igreja de SantaEngrácia)にある。訪れたときは2014年の8月の終わりで、灼熱とは言わないまでも、石畳に照り付ける太陽を受けながら、上まで登るのはかなりきつかった。しかし、教会のテラスからのテージョ川の眺めは美しく、今も忘れることのない風景だ。

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ただ、ここは墓地ではなく、レクイエムの世界を感じることができる場所でもない。ポルトガルの墓地の雰囲気は、別の地元の墓地で、はからずも味うことがあった。夫のリスボン留学時代の恩人の一人で、彼が「ポルトガルの母」と呼んでいた、ある女性ファディスタが亡くなり葬られた墓地に、ポルトガルへ渡るたびにお参りに行っていた時期があった。

初めて出かけた日は、教えてもらったお墓の位置(住所)を頼りに、くっきりと地面に塗り込まれたような日陰を選んで、お墓の場所を探し歩いた記憶がある。お墓の前に座り込んで、泣きながら何かを語りかけているおばあさん、墓地で働く人たちと談笑する男性。死は日常なのだ、と再確認する場所でもあった。展示物のように置かれている棺の前では感じられない、ある感情。「わたしはここに居ません」という歌があったが、私は、今はもう会えない人たちにやはりお墓に会いに行く。それは生きている日々のなかで、とても大切なことだと思うから。

葬られていたファディスタは、アマリアのように誰でもが知っているような歌手ではなく、私自身そのファディスタと会ったことは一度もなかった。けれど、名もないお墓の前に行くことで彼女と会い、何かを話していたのかもしれない、と感じたりもした。

現在、いろいろな事情があちらにあって、彼女のお墓はそこにはすでになく、もう二度と行くことはない場所になってしまった。だからなのか、この墓地のことは思い出すたび胸の奥に小さな穴がぽっと開く。これが、サウダーデなのかと、ふと思ったりする。

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物語に戻ろう。主人公は、プラゼーレシュ霊園で、今は亡き友人と出会う。


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