円周率の実用近似値の歴史

円周率の近似値を高精度で計算してきた人のことは、調べれば色々出てくる。けど、円周率を使う計算をする時、その時代に知られていた最も精密な値が常に使われてきたわけではない。

現代日本の学校では、3.14という値を習うけど、実際に円周率が使用される場面では、殆どコンピュータを使うだろう。今は、特に理由がなければ、倍精度浮動小数点数を使うから、$${ \dfrac{884279719003555}{2^{48}} }$$が最もよく使われている近似値になると思う。コンピュータが普及する以前、20世紀の技術者たちは、近似値3.14によって(計算尺などを使って)様々な計算をしていたのかもしれない。

結局のところ、現代数学者は別にして、大抵の人にとって、数学の最終的な仕事は、殆どの場合に近似的な数値を出すことで、近似精度と計算コストにはトレードオフがある。

では、もっと昔の人は、どういう数値を使ってきたのか。細かく見れば、数理天文学とそれ以外の(測量、建築、機器製作などで必要とされる)実用幾何学では、求められる精度も違っている。中世に円周率を高精度に計算した人(サマルカンドのアル・カーシーやインドのマーダヴァなど)は、天文学者が多く、天文学に要求される計算精度の向上を反映したと思われる。アル・カーシーとマーダヴァはおおまかに言って、1400年頃の人で、その約半世紀後、神聖ローマ帝国ではレギオモンタヌスが、かなり細かい三角関数表を作った。

ここでは、天文学以外の実用幾何学の分野で使われた円周率の値を、文献を追って見ていく。エジプトやメソポタミアの考古学的時代は扱わない。


シュルバ・スートラ

インドのシュルバ・スートラから始める。これは、ヴェーダの宗教儀式の祭場構築手順を説明した本らしく、6つあるヴェーダ補助学(ヴェーダーンガ)の一つ”カルパ"に属する。新しい数学の知識というよりは、伝統的手続きという面が強そうなので、これが成立した時代の最新知識だったわけではないかもしれない。インドで、"ganita"(数学と訳される)という分野が独立する以前の知識ではあるだろう。

シュルバ・スートラに、円周率の値が直接書かれてるわけではなく、与えられた円と等しい面積の正方形を作図する方法と、与えられた正方形に等しい面積の円を作図する方法が指示されている。勿論、厳密な作図は不可能なので、近似的作図に過ぎないが、この作図法で暗に想定された円周率の値を計算することが出来る。

例えば、円と等面積の正方形を作るためには、その一辺を直径の13/15倍すればいいと述べていて、円の半径を$${r}$$とすれば

$${\pi r^2 \approx (\dfrac{26}{15} r)^2}$$

と考えていたことになる。従って、

$${\pi \approx \dfrac{676}{225} = 3.00444\cdots }$$

となる。おそらく、当時のインド人が、数値を使って、円の面積を計算することがあった(そんなことがあったかは知らない)なら、円周率3を使ったと信じてもいいだろうと思われる。

正方形と等面積の円を作る方法は、以下のようである。正方形の対角線の長さと一辺の長さの差の1/3を正方形の一辺の長さに加えて、円の直径とする。言葉で書くと、多少ややこしいが、正方形の一辺の長さを$${a}$$とする時、円の直径は$${a + \dfrac{1}{3} (\sqrt{2} - 1)a = \dfrac{2 + \sqrt{2}}{3} a}$$ということ。従って

$${ \dfrac{\pi}{4} (\dfrac{2 + \sqrt{2}}{3} a)^2 \approx a^2 }$$

中学生レベルの計算で

$${ \pi \approx \dfrac{18}{3+2\sqrt{2}} = 3.08831175\cdots }$$

を得る。さっきよりは、いくらか大きい値となった。

張家山漢簡"算数書"

現在まで直接伝わっている中国の算術書で、最古の物は、”九章算術"(の注釈書)になる。劉徽の注釈書の成立がCE263年とされてるので、それより以前の、おそらく漢代成立だろうと考えられている。"周髀算経"も数学的内容を含むが、内容的には、暦算書、天文学書になる。惑星の扱いはなく、太陽と月の運行のみが対象。そもそも、"周髀算経"には、円周率を読み取れる箇所というのは多分ない。

”九章算術"は問題集形式なのに対して、"周髀算経"は対話形式を取っている点でも異なっている。その後の中国の算術書は、大抵、問題集形式であって、その形式は、江戸時代の和算書にも受け継がれた。問題集形式を取ってるかどうかを、東アジアの算術書の判定基準にしても差し支えないと思う。古代エジプトの数学パピルスも、問題集形式らしいけど、このスタイルが、向こうから来たものなのかは分からない。

表題の"算数書"は、1983年に発見され、2000年頃に公開された考古学的文献で、200枚近い木簡からなる。これも、問題集形式を取っている。内容的に、九章算術より前の知識と思われ、失伝していたものと思われる。ニーダム研究所が、英語訳と原文の文字起こしをPDFにして公開している。木簡の写真などは公開されているのか不明。

58〜63問あたりが、円錐や円柱の体積計算に関わる。

例えば、第58問(Strip146,147)では、円錐の体積=高さ×底面の周長の2乗/36で計算するように書いてある。底面の半径を$${r}$$、高さを$${h}$$とすれば

$${ \dfrac{\pi r^2}{3} h \approx (2 \pi r)^2 h / 36 }$$

だから、$${\pi \approx 3}$$だろう。直径とか半径でなく、周長から計算してる。縄などを使って測定する想定だったのか。九章算術でも、径と周長が提示されてたりする。

原文は、以下のようになってるらしい。

旋粟 旋米高五尺下周三丈積百廿五尺·二尺七寸而一石為米卌六石廿七分石之八其述曰下周自乘以高乘之卅六成一·大積四千五百尺…

仮訳:旋粟・旋米(穀物を入れる何かか?)の高さ5尺、下の円周3丈で、体積は125尺。2尺7寸で1石とすると米46石と8/27になる。その術に曰く、下周の2乗に高さを掛けて36で割る。("大積四千五百尺"以降は欠損しているが、$${ 30 \times 30 \times 5 = 4500 }$$という計算途中の数値を詳述したのだろう)

ウィトルウィウス"De Architectura"

ウィトルウィウスは、紀元前1世紀の(おそらく)ローマ市民で、De Architecturaという有名な本を書き、現在まで伝わっている。この本の10章9-1に、以下の文章がある

rotae, quae erunt in raeda, sint latae per medium diametrum pedum quaternûm et sextantes, ut, cum finitum locum habeat in se rota ab eoque incipiat progrediens in solo viae facere versationem, perveniendo ad eam finitionem, a qua coeperit versari, certum modum spatii habeat peractum pedes XII S.

大意は、直径が4+1/6フィート(pedum)の車輪が一回展すると、12.5フィート進むということで、従って、円周率は12.5 / (4+1/6) = 3であるとして計算されているのが分かる。

いくらか議論のあるところとして、リンク先にある1914年の英訳を見ると、 "four feet in diameter"となっていて、これによると、円周率を12.5/4=25/8と近似した計算になる。ウィトルウィウスの写本は数多くあり、その中には、"et sextantes"という部分が欠落したものもあるのかもしれない。どれが元の文章か追跡することはしないが、ウィトルウィウスは円周率の近似値として、3を使ったという方が尤もらしい

アレクサンドリアのヘロン"Metrica"

アレクサンドリアのヘロンは、三角形の三辺の長さから面積を求めるヘロンの公式で知られる。

生没年は不詳で、著作には、機会に関わる本が多い。一番有名なのがPneumatica(流体機会の本、サイフォンで始まる)、Automatopoeitica(自動機械、オートマトンの作り方。江戸時代のお茶くみロボットなどがオートマトン)、Mechanica(いわゆる機械学)などがヘロンの作とされているそうだ。ヘロンは、長らく、Pneumaticaによって最も知られていたようである。

ウィトルウィウスは、De Architecturaの7章prefaceで、

non minus de machinationibus, uti Diades, Archytas, Archimedes, Ctesibios, Nymphodorus, Philo Byzantius, Diphilos, Democles, Charias, Polyidos, Pyrros, Agesistratos.

仮訳:さらに、機械に関することについても、Diades、Archytas、Archimedes、Ctesibios、Nymphodorus、Philo Byzantius、Diphilos、Democles、Charias、Polyidos、Pyrros、Agesistratosなどが記しています。

と書いている。これらの多くは散逸しているが、ギリシア語文献であったらしい。これだけ機械の本を書いているヘロンの名前がないことを考えると、ヘロンは、ウィトルウィウス以降の人なのであろう。今は、1世紀頃の人と推定することが多いらしい。

 

19世紀のオスマン帝国で、ヘロンの書とされるMetricaの13世紀の写本が見つかったそうだ。これは、ギリシア語で書かれた散逸してない本の中で、最古の実用幾何学書と言える。ユークリッドの幾何学書は、数値例もなく、近似計算(平方根や立方根の近似計算、円周率の近似値は避けられない)にも触れてないので、実用的とは言えない。ユークリッド自身も、実用的であることを目的とはしてなかっただろう。

ヘロンの本は、長らく行方が分からなくなってので、ヨーロッパに与えた歴史的影響は少ないかもしれない。

1899年に出版されたヘロン全集3巻の65〜67ページに、アルキメデスによる近似値として、22/7が挙げられている。アルキメデスは、円周長と直径の比が211875/67441より大きいことを示したとあるが、211875/67441 = 3.14163…で、微妙に円周率より大きい。写本の誤植なのか、計算誤差によるアルキメデスのミスなのかは分からない。

円周率に3を使った場合、誤差$${\dfrac{\pi - 3}{\pi}}$$は、4.5%程度で、これは、昔の基準でも小さいとは言えないだろう。一方、22/7を使った場合は、0.04%程度で、多くの工学的用途では十分な水準と言える。3.14を使った場合、誤差$${\dfrac{\pi - 3.14}{\pi}}$$は、0.5%程度で、22/7の方がわずかにいい。

pneumaticsの補足

peumaticsの語幹であるpneuma(プネウマ)の由来は、風や息を意味したギリシア語とされる。pneumaticsはプネウマ学とかプネウマ論みたいな感じで、一般的に空気力学という訳語が使われる。ヘロンの本を見ると、空気や蒸気などの気体を利用した機械も多いが、サイフォンや水時計など気体を利用してるとは言えない装置もある。

紀元前3世紀のクテシビオスもpeumaticsの本を書いたそうだが、散逸している。元々は、気体を利用した装置のみを扱ってたのかもしれない。また、古代地中海人が、装置の原理を正しく理解してなければ、空気の作用ではないものを、空気の作用によるものと理解した可能性もある。

古代のpneumaticsは、"流体力学"と呼ぶ方が適切で、"流体工学"という方が更に適切だろう。現代的ニュアンスを回避したければ、"流体機械学"と訳してもいいと思う。pneumaticsは、今日の流体力学より広く、蒸気機関なども対象となった。通常の流体力学は温度を変数に含まないけど、現代でも、ラバールノズルの理論や、爆轟に関するChapman-Jouguet理論のように温度を含む理論が、(工学寄りの)流体力学の本で扱われることもある。

閑話。地水火風の4要素は、ギリシア語では、geo,hydro,pyro,aeroとなるそうだが、geodynamics(地球力学)、hydrodynamics(水の流体力学)、aerodynamics(空気の流体力学)はあって、pyrodynamics("火"の流体力学)だけ聞き慣れない。ラバールノズルや爆轟の解析は、pyrodynamicsと呼ぶと丁度いいと思う。もっと高温のプラズマの流体力学は電磁流体力学になる。

プネウマには他にも色々な意味がある。新約聖書では頻出単語の一つで、しばしば聖霊(Holy Spirit)と訳される。古代ギリシャ語文献だと、文脈によっては、霊魂などの訳語も使用される。霊といっても、人格を持つようなものではなく、人格に関わるのは、プシュケーと呼ばれたらしい。また、ユナニ医学では、プネウマ(アラビア語ではruh)は、中国の"気"やインドの"プラーナ"に近い概念で、その用法はヒポクラテスに遡るそうだ。

プラーナも、風や呼吸を意味する。多分、古人は、呼吸しないと人間は短時間で死ぬという観察から、呼吸によって生存に不可欠な何かを取り込んでいると推論し、その何かを、プネウマ、プラーナ、気と呼んだのだろう。この発想が各地で独立に出たものか、単一の発信源から拡散したものかは分からない。昔の学者は、それを生命の根源と考え、多くの仮説を作ったが、現代では、それが酸素分子だと誰でも知ってる。

pneumaticsは、機械製作を扱う分野で、職人の技術にも近く、迷信が入り込む余地は少ない。pneumaticsには自動ドアの作り方なども含まれる(ヘロンのPneumaticaの37,38番)が、古代に、自動ドアとか見た人は、心霊的な術と区別できなかったかもしれない。そう考えると、面白い分野名だと思う。

"九章算術"

九章算術は、写本も一杯あるのだろうし、中国哲学書電子化計画では、注釈なしの版もある。注釈も見たい場合は、どれがいいとか分からないので、適当に選んで方田の章を見ると

今有圓田周三十步徑十步(注:臣淳風等謹按術意以周三徑一為率周三十步合徑十步今依密率合徑九步十一分步之六)問為田幾何
荅曰七十五步(注:此於徽術當為田七十一步一百五十七分步之一百三臣淳風等謹依密率為田七十一步二十二分步之一十三)

などがある。問題は読みやすく、円周長30歩、直径10歩の円の面積を計算しろというだけで、問題文から、九章算術は、円周率を3としていたことが分かる。最初の注は、円周率3を使ったから、円周30歩に対して直径10歩だが、密率(ここでは22/7のことだろう)を使えば、直径は、9+6/11=105/11歩になることが書いてある。

2番目の注釈前半は、徽術(劉徽の解法)では、答えが"71+103/157=11250/157"(平方)歩になったことが書いてある。円周長を$${A=30}$$とすると

$${ \dfrac{A^{2} }{4 \pi} \approx \dfrac{11250}{157} }$$

から、$${\pi \approx 3.14 }$$が分かる。3世紀の劉徽は、3.14という近似値を算出していたらしい。

22/7については、随書 律曆志に、以下のようにある。

古之九數,圓周率三,圓徑率一,其術疏舛。自劉歆、張衡、劉徽、王蕃、皮延宗之徒,各設新率,未臻折衷。宋末,南徐州從事史祖沖之,更開密法,以圓徑一億為一丈,圓周盈數三丈一尺四寸一分五釐九毫二秒七忽,朒數三丈一尺四寸一分五釐九毫二秒六忽,正數在盈朒二限之間。密率,圓徑一百一十三,圓周三百五十五。約率,圓徑七,周二十二。又設開差冪,開差立,兼以正圓參之。指要精密,筭氏之最者也。所著之書,名為《綴術》,學官莫能究其深奧,是故廢而不理。

仮訳: 昔の"九数"(おそらく九章算術を指す?)において、円周率は3、円径率(?)は1であり、その方法は粗雑であった。劉歆、張衡、劉徽、王蕃、皮延宗らの人々はそれぞれ新たな率を考案したが、折り合いを付けるに至らなかった。(南北朝時代の)宋末期に、南徐州の從事史(?)だった祖沖之が新たな方法を開拓し、円の直径を一丈と置く時、円周の上限は三丈一尺四寸一分五釐九毫二秒七忽、下限は三丈一尺四寸一分五釐九毫二秒六忽で、正確な数値はこの二数の間に存在する。密率は、円の直径113に対し、円周355である。約率は、円の直径7に対し、円周22である。また、開差冪と開差立(?)を確立し、共に正円でこれを利用した(?)(この一文の意味は理解できない)。これは非常に精密で、算術家の中でも最も優れている。彼の著書は『綴術』と称され、学者たちもその深遠な内容を理解し切れず、結局無視されたままとなっている。

ここでは、22/7は約率と呼ばれ、355/113が密率と呼ばれている。多分、(簡約な)率、(精密な)率くらいの意味なんだろう。$${\dfrac{355/133 - \pi}{\pi} \approx 0.5 \times 10^{-8}}$$で、密率は約率より5桁くらい高精度だが、上限と下限を、同精度まで計算していることから、まぐれというわけではない。

『綴術』は散逸して伝わってないから、祖沖之が、何のために、(当時としては)高精度の数値を計算したのかは分からない。単なる暇潰しだったのかもしれない。中国で、この数値が計算に使われたことは殆どないと思われる。中国では、この評価が正しいかどうかすら、じきに分からなくなった可能性が高い。

Gerbert "De Geometria"

西ローマ帝国の時代以降、ラテン語で実用幾何学書を書いた人は多い。最初の一人は、ローマ教皇Silvester2世あるいは、AurillacのGerbertという人だろう。ローマ教皇就任が、西暦999年らしいので、大体、西暦1000年頃の人ということになる。覚えやすい。Gerbertは、当時ヨーロッパで一流の学者とされ、北アフリカなどにいたイスラム教徒から多くを学んだようである。

Gerbertの本は、問題パターンごとに計算法を述べているだけで、公理的スタイルでは全く無い。例として、Patrologiae cursus completusの138ページの57題目に半円の面積を計算する問題がある。19世紀出版の本らしいが、残念ながら、数値がグチャグチャである。

原文を修正なしで引くと

In hemicyclo, cujus basis sit pedum 28, diametrum 18, aream sic quaeras; per diametrum dueas basim; fient pedes 392. His undecies ductis fiunt pedes 312. Hujus sumpta decima quarta parte fiet 398; et tot pedum est hujus hemicycli area.

仮訳: 半円形の中に、底辺が28フィートで径が18フィートのものがある。この面積を求めよ。底辺と径を掛けると392フィートになる。この値に11を掛けると312フィートになる。この値の14分の1を取ると398になる。そして、これが半円形の面積全体のフィート数です。

となる。おそらく、正しい数値は、底辺(=直径)が28フィート、半径が14フィートで、底辺と半径の積が392平方フィート。11を掛けると、4312平方フィート。これを14で割ると、308平方フィートで、これが半円の面積。つまり、円周率を22/7として計算している。

原本の記述は確認していないが、Gerbertはアラビア数字を使い始めた初期ヨーロッパ人の人らしく、アラビア数字自体は使っていたのかもしれない。

 

ところで、10世紀以前に、アラビア語で書かれた実用幾何学書があるのか気になるけど、よく分からなかった。10世紀にバグダッドに存在した書籍の目録『フィフリスト』7章2節に、数学と天文学の書が列挙されている。本のタイトルから想像して尤もらしい候補を探したところ、例えば、Ibn Nājiyahという人が、測量に関する本を書いてるようだが、おそらく散逸してしまっている。

『フィフリスト』には、ヘロンの名前もひっそり出ていて、幾何学書らしきものがあるので、これがMetricaかもしれない。

『フィフリスト』にも名前が出てくるAbū al-Wafāは、『フィフリスト』には記載されてない本Kitāb fī mā yaḥtāj ilayh al-ṣāniʿ min al-aʿmāl al-handasiyya(A Book on Those Geometric Constructions Which Are Necessary for a Craftsman)があるが、私のアラビア語理解が正しいとして、作図法の指示のみで、円周率を読み取れるような記述もないように思う。

Hugh of Saint Victor "Practica Geometriae"

Saint VictorのHugh(1096〜1141)は、12世紀初頭の修道士で、フランスにSaint Victor修道院というのがあったそうだ。出身は、ザクセン公国らしい。多くの著作があるが、Practica Geometriaeというのもある。あまりいい訳とは思わないが、1915年に英訳が出ている。ラテン語版を探すのが面倒くさいので、これで済ます。

1915年の英訳のページには、地球の直径に3+1/7=22/7を掛けると、地球の周長が得られると書いてある。

バースカラ二世"リーラ・ヴァーティ"

バースカラ2世(1114〜1185)は12世紀インドの数学者で天文学者。"リーラ・ヴァーティ"は娘の名前とかいう伝説があるそうだけど、本当かは分からない。

バースカラ二世は天文学者なので若干インチキっぽいけど、"リーラ・ヴァーティ"は天文学的内容は含んでないのでセーフとする。

インド天文学・数学集に日本語訳が収録されている。この本の319ページに、精密さを求めるなら、3927/1250を用い、粗くてもいいなら、22/7を用いるよう書かれている。前者は、3.1416であるが、その値は、西暦500年の天文学書アーリヤバティヤに見られる(之も同じ本に収録されている)ものである。そこでは、直径20000の円周の長さが62832である述べられている。

$${ \dfrac{3.1416 - \pi}{\pi} \approx 2.3 \times 10^{-6}}$$

なので、355/113には劣るものの、いい精度ではある。インド天文学では、12世紀にも、この値が使われてたのだろう。

フィボナッチ"De Practica Geometriae"

フィボナッチは、1202年のLiber Abaci(算盤の書)で知られるが、1223年にはDe Practica Geometrieを完成させた。Web上で公開されてるのを見つけられなかったが、中世ラテン語圏の例にもれず、22/7が採用されている。

程大位 "算法統宗"

1592年に程大位が書いた算術書。程大位は科挙などに合格した人ではないそうだが、何をして生活費を稼いでた人かは不明。当時既に、マテオ・リッチのようなイエズス会宣教師が、中国に到着してはいたが、邂逅したかも分からない。

覆月と題された問題には、以下のようにある。

假如覆月田弦長五十六步矢澗二十八步問積步若干
答曰一千一百七十六歩

弦長が56歩で、矢の長さが28歩の円弧があったとして、面積はいくらか問うている。円弧の周から弦までの最大距離が矢長で、この円弧は半円である。$${28 \times 28 \times \pi / 2 \approx 1176}$$から、円周率を3と近似していることが分かる。

算法統宗では、この次の孤矢の問題で、半円ではない円弧の例が出てるが、九章算術(方田の章)でも、同様の問題が合って、まず半円になる問題、次に半円でないケースが扱われている。九章算術を殆どそのまま持ってきた構成なんだろう。

算法統宗より遡ること500年ほど前、北宋末期の進士(科挙の合格者)で天文学者でもあった沈活は、"会円の術"と呼んだ計算法を、まさに、この問題の解法を変形することで導出した。"会円の術"は、三角関数表なしに、三角関数と逆三角関数の近似を与える計算法で、円周率3を基本にしていると言える。

"会円の術"については、以前に仮想数学史:会円術の先にあったかもしれない数学で調べた。この方法は、計算精度が低いが、中国では、数理天文学ですら、この方法を利用した。中国は、それほど厳しく計算精度を追求しなかったらしい。元代には、イスラム教徒天文学者とも接する機会があって、三角関数表を使う計算も知りえたはずだけど、キリスト教宣教師が来るまで三角関数表を導入しようとした形跡はない。

中国では、円周率の精密な値は知られていたが、実地に利用する時は、殆ど3を使っていたかもしれない。中国では、宋〜元代の数学的成果の多くが、明代にリセットされたので、その時代のことは、もう少し検討すべきかもしれない。リセットの理由は分からない。公式の暦法などで使われた数学は別に失われかったようだし、民間数学者や地位の低い役人の成果には注意を払われなかっただけかもしれない。

クリストファー・クラヴィウス" Geometria Practica"

16〜17世紀にも、ラテン語で書かれた多くの実用幾何学書がある。

クラヴィウス(1538~1612)は、イエズス会士で、グレゴリオ暦改暦を推進した一人であり、ガリレオに大学の仕事を斡旋した。ガリレオの宗教裁判時には、クラヴィウスは死んでたが、生きてたら、何らかの擁護が得られたかは分からない。

多くの学術書を書いたが、ユークリッド原論の注釈書と実用幾何学書"Geometria Practica"も書いた。円周率のことは第4巻にあるが、目次を見れば十分

COROLLARIUM. Diameter per 3 & 1/7. multiplicata gignit numerum maiorem circumferentia : multiplicata vero per 3 & 10/71, facit numerum circumferentia minorem. E contrario circumferentia diuifa per 3 & 1/7. procreat numerum minorem diametro : diuifa vero per 3 & 10/71. producit numerum diametro maiorem.
Propositio III. Circulus quilibet ad quadratum diametri proportionem habet, quam 11 ad 14 proxime.

大意は、円周率は、223/71=3.14084…より大きく22/7より小さいと書いていて、面積と直径の2乗の比率は、11/14に近いと述べている。計算するだけなら、円周率22/7を使えばいいってことだろう。

塵劫記

和算家の使った円周率については、既に詳しく調べられていて、特に何か付け加えることはできない。問題として、江戸時代の本が、くずし字とかいうグチャグチャの字で書かれてて、原本を全く確認できない。中国哲学書電子化計画みたいに、文字起こししたり、標準テキストを提供してくれるサイトもない。

塵劫記は、算法統宗の約35年後、1627年に日本で出版された最初の和算書の一つ。物凄く沢山の写本があり、異同も多いらしい。そもそも、上中下の3巻構成だったり、4巻構成だったりする。

頑張って、塵劫記. 巻中を眺めると、中巻「けんちの事」に、円法七九、円廻法三一六と書いてあるらしい。数字以外は、読み取れないが。中巻「萬づに升目積る事」にも、円法七九というのがある。

$${\pi/4}$$を0.79で近似したのが、円法だろう。当時のヨーロッパでも、小数点の利用は普及してないだろうから、小数点はないが、そろばんの使用が前提なので、位取りは後からやれって意図だと思う。0.79を4倍すれば、3.16なので、3.14より精度は落ちるが、むしろ一貫性はあるのかもしれない。

円周率3.14も、古くから知られていた可能性が高く、3.14を使う和算家も多く出た。理由は分からないけれど、中国のように円周率3で良しとする和算家はいなかったらしい。


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