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こころを病むということ

・こころの不調のはじまり

生まれてこころの不調を感じたのは、子どもが産まれて妻のうつ病が酷くなり、解離性障害、パニック障害を併発したころだ。

当時は、フリーライターとして精神科を受診している人の取材だけでなく、メール相談にも乗っていた。未熟だった僕は、限界設定もせずに相談を受けまくっていた。

プライベートでも妻の病状は、一進一退を繰り返して対応に追われていた。にもかかわらず、メール相談から電話相談も行い始めて、ある日の朝、僕のココロは弾け飛んだ。

気持ちが落ち込むだけでなく、焦燥感やイライラが心から湧き上がる。そんな状態でも妻の対応もあり、抗うつ薬や抗不安薬が精神科で処方され、それでしのいだ。
妻の病状も寛解に向かい、私のこころも修復されてきた。しかし、その後も周期的に不眠などの症状は出てきた。それでも、短期的なもので、心が弾け飛ぶことはなかった。

数年が経ち、長男が高校を不登校になったのをきっかけに、長男が精神科受診し、自閉症スペクトラム障害であるとわかった。小学校4年生のときに、衝動的な行動が多々見られるので、児童精神科受診したが、特に問題なしとのことだった。

長男は、WAISでは、かなり高い数値が出たが、偏りがかなりあった。生育歴からも生きづらさを抱えていた。その後も高校には通ったが、「高校という場が嫌い」が原因で退学。通信制高校に編入した。

一方、私は43歳にしてかなりのマルチタスクを課される職場に入った。それまで、マルチタスクといってもたかがしれていた。しかし、思った以上に物忘れが酷い自分に気づいた。認知症ではない。メモした紙を紛失してしまう、メモ帳のどこにメモしたか忘れてしまう…。

社会福祉士の資格があるからこそ、自分を知る必要があると思い、自閉症スペクトラム障害の検査を受けた。

結果は、不注意優勢型ADHD及び二次障害としてのうつ病・不眠症。

45歳にして知るというか、自覚はあったから「やっぱり感」とは思った。抗うつ薬とコンサータを服薬するようになり、落ち着いてはいた。

しかし、心の病は簡単に安定しない。気持ちがどよーんとして、布団から起きあがれないこともしばしば。社会福祉士の資格があるというプライドから、うつ病の自分に悲観的になり「存在価値ないなぁ…」などと思うこともある。

妻は、病状もよくなっているので、逆に私が休むことで不安定になる。私は有給も使い切ったから、欠勤が増えるだけなので当たり前なのだが…。

子どもたちは心配してくれるが、どちらかというと自分の将来がどうなるか不安な様子。これもよくわかる。

なまじ、精神保健福祉士、公認心理師の勉強なんかしてるから、休職など頭を過ぎるがそこまでではない。リワークとか知識だけが頭の中に浮かんでは、消え…。

ただ、福祉関係の職場ゆえになんとかクビの皮一枚繋がっている。管理職には話をして診断書も出してある。

こころを病むことは、自分の今までの生活を振り返り、新しい生活形態を考えるきっかけにもなっている。

以前は、長いトンネルの中を海底に向かって沈むために進んでいるような感覚だった。

しかし、今は職場のみんなに迷惑を掛けて、休んだのだからこそ、しっかり休養しようと思う。

仕事のことをプライベートの時間に考えすぎるのはやめた。意識を切り替えることの修行。マインドフルネス。これを少しずつ心身に根付かせて、残り少ない人生を生き切りたい。

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