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【おばあちゃんの煮物のような…出汁のやさしさ沁みる作品/アカデミー賞ノミネート トム・ハンクスだからこそ生まれる最上の深み】

3. A Beautiful Day in the Neighborhood/幸せへのまわり道(2019)

(注意:ネタバレ含みます)

ジャンル:ドラマ                          お勧め度:★★★★☆                          感動:★★★★☆                          笑い:★★☆☆☆

この映画を作ってくださった方々、そして、“フレッド・ロジャース”氏に、心からの感謝を伝えたい。


「Mister Rogers’ Neighborhood」のオルゴールサウンドで幕を開けて109分後のクレジットを見送った時に、全身が包まれるのだ。
軽率に言葉にしたくない安心感と心が温もった感覚に…
それは、何にも代えがたい、「幸せ」そのものだった。

これは、アメリカの子供向け番組「Mister Rogers’ Neighborhood」(1968-2001)の司会・製作・楽曲製作を務め、全米で愛された“Fred McFeely Rogers/フレッド・マクフィーリー・ロジャース”氏の人生を基にした映画である。
彼を取材する事で親しくなったジャーナリスト“ロイド・ヴォ―ゲル”と、その家族の関係を通して、フレッド・ロジャース氏が人生を通して大切にしていた「自分の感情と上手に向き合う」方法や彼の生き様が温かく描かれている。
原作は、アメリカのジャーナリスト“トム・ジュノー”氏が1998年に雑誌「エスクァイア」に寄稿した「Can You Say… Hero?」。

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ロイドが父親に抱く恨みの感情を早くに見抜いたロジャース氏。
ロイドは優秀仕事で評価されていたが、幼い頃のトラウマや父親との確執が、彼の“こわい”という感情を“怒り”の引き金に変え、素直になることを抑制していた。
ロジャース氏と交流して、後に彼はそんな自分に気が付く。

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そんなロイドは、多くの人々に愛されるロジャース氏を、「聖人」と呼び、これまでの彼の出演番組をチェックして、「“ミスター・ロジャース”というヒーローになりきっているだけの演技に過ぎない」と決めつけた。

実際にロジャース氏も行っていた事だが、例えば病気の子供もスタジオに招き、分け隔てなく優しく語り掛ける。                 そんな姿を見て「これは慈善活動ですか?」とスタッフに問うロイド。

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「彼の化けの皮を剝がしてやる」と意気込んだ取材中、彼の意地悪な質問にも感謝の言葉で返すロジャース氏に嫌悪感を抱く表情を浮かべ、彼に心を開くことは出来なかった。
そうは言いつつも、彼はロジャース氏と会話を始めて直ぐ、彼に父親との殴り合いのケンカの傷について尋ねられ、うっかり、彼に打ち明けてしまうのだった。
日常でも、そんなことはよくある。
特に、受容の心を持った温かい雰囲気の人にはなおさら、導かれるようにして心を打ち明けてしまう。

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ロジャース氏の妻ジョアンヌ・ロジャースの言葉や、ロジャース氏との交流を通して、彼はこんなことにも気が付く。
当初自分が抱いたロジャース氏への印象は誤っており、彼は決して「聖人」ではないのだ。という事。
ジョアンヌの言う通り、ロジャースは努力や工夫で自分の感情と丁寧に向き合っていた。
だからこそ溢れる、優しい雰囲気・語り口・人を大切にする姿勢。
これが、ミスター・ロジャースの姿だった。

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“フレッド・ロジャース”氏の人生を基にした話だが、忠実に事実に基づいた伝記映画ではない。
確かに、トム・ハンクス氏の動きや雰囲気、口調など、ロジャース氏のそれらを彷彿とさせる姿には深みも加わり、何度見てもその度に非常に引き込まれる。
今作の批評家支持率95%(Rotten Tomatoes)、アカデミー賞主演男優賞ノミネート、という結果は当然だと思う。むしろ、彼が受賞を逃したことで、俳優たちのレベルの高さが窺える。
ただ、人の生き様を真似ただけでは鑑賞後にここまで深い温もりに包まれる事はないと思う。

仮に、彼をアカデミー俳優のトム・ハンクスと知らなくても、また、今作を鑑賞する前の私の様に彼が演じるロジャース氏について知らなかったとしても、彼の演じる姿に誰もが心を打ち明けて相談してみたくなるだろうと想像できる。

これが、私がその様に思う根拠だ。

写真:フレッド・ロジャース氏は色覚異常である。(先天性若しくは後天性のもので、区別をつけにくい色がある)ながらも、「Mister Rogers Neighborhood」のセットや衣装は、暖色が多い。壁のあおも、やわらかな色合いにしているのは、子供たちに親しみやすさや安心を与える意図があったのではないかと思う。


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フレッド・ロジャース氏を演じたトム・ハンクス氏(左)と、本人。
「Mister Rogers Neighborhood」にて

そして、今作は単にロジャース氏を輝かしく再現してその栄光を称える為のようなものに留まらない。彼の生き方から私たちが学べる事、大切な事を丁寧に描いた作品だ。けれど、それは決して押しつけがましくないのだ。

ロジャース氏の“生地”を基に作り上げているが、この映画は、トム・ハンクス、マシュー・リース、スーザン・ケレチ・ワトソン           (This is Us/2016~2022)、そしてクリス・クーパーといった俳優たちが、 その”生地”を薄く延ばして焼き上げた“パン”ではない。
彼らがそれぞれ重ねた人生が、その生地に練りこまれ、旨味あるトッピングをしてじっくり焼き上げた、笑顔がこぼれる“ピザ”のような映画だ。

日本の料理で例えるならば、この映画の温もりは、“おばあちゃんが作ってくれる煮物”である。
ほっこりした懐かしい安心感のある美味しさをかみしめるかのような…          例えるのなら、そんな感覚…だろうか。

ロジャース氏に酷似させる生地は、材料・レシピ・腕前が揃えば作れる。
つまり、必要な俳優や映像技術が揃えば、彼の伝記映画を観る事はできる。
この映画の素晴らしい所は、噛みしめる程“おばあちゃんの煮物”の味がする事だ。
若い時には出せない、旨味のある出汁や心地よい濃さの味付け、そして安心感だ。

その味わいを、トム・ハンクスが十分に出し切ってくれている。
“Forrest Gump/フォレスト・ガンプ 一期一会(1994)”で、負傷した仲間を担いで戦地を勇敢に駆け抜けた主人公フォレスト・ガンプを演じた彼を全く想像できない。

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“Forrest Gump/フォレスト・ガンプ 一期一会(1994)”

ただ単に年齢を重ね、トーンを落とした口調に変えれば出来る。
…決して、そんな演技には見えないのは、前述のとおりである。

写真:テントと格闘するロジャース氏


と、早速取り掛かったトム・ハンクス(フレッド・ロジャース)。だが、暫く格闘しても中々テントは言う事を聞いてくれない。諦めて一旦中止させ、スタッフが撮り直しを提案するも、彼はモニターチェック後、「いや、いい映像だ。このままでいこう」というのだ。

何事か?と、ロイドが取材中に彼にその理由を聞いた。

「子供たちが、大人でもうまくできない事があると知る事は大切なことだからさ」

ぽろっと出た彼の一言。

実は、実際にこのシーンは存在する。ロジャース氏は、全米の子供たちにそつなくこなす自信の姿を披露する事よりも、「誰もが完ぺきなわけではないんだよ」という事を伝えたかったのだ。親だから、先生だから…そんな人でも、勿論すべて完璧にこなせるわけではない。これは、私自身も幼い頃に気付けなかったとても大切なことだ。

当時このシーンを観た親や子供たちは、その正直で誠実な姿に、勇気をもらった事だろう。


この映画は、恐らく一般的な映画よりもセリフが少ない。
この点は、製作者が意図している事だと思う。
フレッド・ロジャース氏の人生もまた、恐らく言葉数はそれほど多くなかったのではないか、と思う。
単に、寡黙と言いたい訳ではない。
「人の心を受容し、様々な経験を重ねた温かい人は、口にする言葉が少ない。」
そう思う。
頭と心でじっくりと考え、本当に大切な言葉だけを選んで人を包み込むように語る。
相手を信じるからこそ、自分の考え全てを分かってほしいという想いで口にせず、ぐっと堪えて余計な言葉を付け加えない。
会話の中の沈黙や言葉の“間”の中に、そんな、心の強さと優しさが込められている。

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写真:ロジャース氏の番組に登場する”ダニエル”というクマの人形。
  ロジャース氏のお友達の一人。             
      彼も多くを語らないけれど、日常の中で気が付いた大切なことを、
テレビの前の子供たちに伝えてくれていたのだと思う。

相手を信じ、解釈の猶予や自由を与えてくれる。
“間”の中に含む、“語りつくさない”姿勢とは、そういう心の強さや優しさの表れなのだと思う。
引き込まれるハリウッド映画の演出や脚本にも共通する事だ。

そういう“間”が、この映画には物凄く取り込まれている。

“トム・ハンクス”氏や監督が、ロジャースという人の生地を真似して作っても、この映画に彼の人生の“間”を取り込むことは難しいと思う。
最大の“間”は、ロジャース氏がロイドにある事を伝えるときに訪れる。
「1分間、時間を欲しい」と言われて3回目の鑑賞時に計ってみた時間は80秒ほどもあった。エンターテイメントにおいて沈黙がもたらす結果は「放送事故」という印象の場合が多く、その間を避けるようにして、言葉や音楽で埋め尽くされることが多い。
しかし実際の人生で“間”がもたらすのは、そういった気まずさだけではない。

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写真:トム・ハンクスとマシュー・リースの80秒の間

この80秒の間をトム・ハンクス氏と共に演じた“マシュー・リース”氏の表情や心情の変化の表現の素晴らしさに、圧倒された。
他にも、父親との確執についてロジャース氏に問われたときの彼の感情表現も非常に引き込まれるものがある。
「この映画のキーは、この2人が作り出す沈黙の80秒なのではないか。」
そう思う。

ロジャース氏への取材を始めた当初は多くの者に敵意を示すような陰のある表情だったが、ここで彼の心の氷が融けたかのような、柔らかく温かい笑顔に変わる。融けた氷から溢れた涙も見せながら。
彼の演技には、セリフでは補いきれない心の奥にある深い感情が込められている。
ちなみに、ロイドからは英国のアクセントを感じなかったが、実は、彼はウェールズ出身。ウェールズ語も堪能だ。

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写真:ロイド・ヴォ―ゲルを演じたマシュー・リース。
このシーンから、彼の優しい表情が見え始める。

脚本は2013年にハリウッド映画界で注目される“The Black List”にリスト入りした作品だ。
“The Black List”。
日本では聞きなれないが、注目されていない優秀な脚本家を発掘する事を目的として設立されたマッチング・プロジェクトだ。ここで発掘作品から、アカデミー賞やゴールデングローブ賞も多数誕生している。

フレッド・ロジャース氏は、引退から間もなく発覚した胃癌により2003年2月27日息を引き取った。
この映画の終わり方は、そんな彼の人生の終末を示唆しているようだった…
「Mister Rogers’ Neighborhood」の撮影を終えてモニターチェックの際、腰の痛みを感じているのか俯き気味な歩き方で、ピアノに向かう。
「感情をコントロールする為に、出来るだけ早く泳いだり、ピアノの低音の鍵盤を叩いてみたりするよ」という彼の言葉を思い出す。


日本の教育番組では、「みんななかよく、ともだちになろうよ」…そんな言葉が多い。
対して、ロジャース氏の「Mister Rogers’ Neighborhood」の歌、「ご近所さんになりませんか?」という歌詞からは、心地よい優しさが伝わってくる。
「詮索したり無理に距離を縮めたりしないよ。でも、いつでも見守っているよ。」
“ご近所さん”の歌は、だからこそ心地よく、一度聴いたら中々忘れられない。


「本当に大切なことは、誰かが教えてくれるわけではない…自分で気が付くのだ」
そんな事を、ロジャース氏とロイドの交流を通して、再認識する。
ロジャース氏は、多くの人の心に、大切な事を届けてきた。
けれど、彼がしたことは、すべてを教え込むことではなく、彼自身も謙虚に自分の感情と向き合いつつ、全米の子供たちに、「大切な事のきっかけ」を、丁寧に温かく伝えていたのだと思う。
私も、幼い時に彼の番組を観たかった。

母が亡くなる時姿を現さなかった父親を恨んで彼を遠ざけていたロイドであったが、ロジャース氏と出会って徐々に心に変化があったロイドは、病気に苦しむ父親に寄り添う事を決意すると、自然と彼もロイドに歩み寄ったのだ。

「自分を愛して欲しければ、先ずは自分が人に心を開けばいい」…

そんな事も、この映画から感じられる。

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大切な言葉や音楽、想いだけが抽出された109分。
この映画を観て包まれた安心感、温もりという「幸せ」は、私達が、温かくて心の優しい“フレッド・ロジャース”氏の “neighborhood/ご近所さん” になることが出来たから…なのかもしれない。

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tribute to Mr. Fred Rogers…

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