見出し画像

分断された満開の夢。

不思議な事に、人間様の仲間入りを果たして依頼、ワタクシは夢という物を見るのです。それは記憶の片隅。幻影。脳内の整理。はたまた願望なのです。それからワタクシはこれからお話しする、とある厄介な夢に悩まされておるのです。

”分断された満開の夢”

ワタクシは無我夢中で歩くのです。それが心地悪いなんてことは、思うわけもなく、なんとも心地が良く、はたまた意地が悪いことなのです。一先ずここは終わりの無い永遠の満開な桜畑の様子なのでした。それからワタクシについても終わりの無い、永遠の9歳頃の時分の様子でありました。

右をみても左をみても辺りは一面満開の桜が咲き誇り、そのすべてが身丈99尺(30m程度)腹は140尺(43m程度)はあろうかと、ワタクシはたくらんでおるのです。幾分か大きいだけで役に立ちはしない木々の間を、ワタクシはただひたすらまっすぐに歩くのです。”時間”の様に止まることは許されにないのです。無常、無慈悲、非情なのです。

幾数分か、歩いたそんな頃合いでありましょうか。ワタクシは眼前の様子の変容に悩まされ始めるのです。

フェンスであります。

左の彼方から、右の彼方へと世界を分断するフェンスなのであります。

ワタクシは、いつも、このわけもわからぬ風景を愉しむことを諦めてしまいそうになるのです。恐いのです。そして何か淋しいとさえ感じるのであります。そしてこのフェンスなんていう人間様お手製の産物は、薄情にも銀色で光沢なんて、これっぽっちも無いのです。身丈50尺(15m程度)はあろうかと推測されました。

ワタクシの恐怖とは裏腹に、ワタクシの両脚なんてものは残酷に、魔物や何かに後ろから追われる様に、前へ身体を進めるたがるのです。なんとも腹立たしいものなのです。フェンスに近くなります頃、ワタクシはフェンスの向こう側になにやら奇妙な影を見つけることに成功致しました。

「はて、なんぞや?」

紛れもなく人間様の大人と、人間様の子供の様子でありました。子供の方は、まるで夢の中のワタクシの年齢と同じ年ごろかと思われました。フェンスから10歩手前頃にはフェンスの向こう側におる、この奇妙な御二人の容姿がはっきりと見て取れたため、お話しすることと致しましょう。

人間様の大人は、年を50代中頃、男性でありましょうか。白髪白髭で、つかれたコゲチャ色のMA-1などを羽織り、眼鏡などはかけておらんのでありましたが、無口な様子でこちらを見ているのでした。

人間様の子供は、年を9歳頃(夢の中のワタクシと同じほどの年齢)、少女でありましょうか。ユーメラニン色素と比較的多量のフェオメラニン色素により特徴付けられたブロンドヘアなのでした。白いTシャツを纏い、こちらを見ているのでした。

ついに、ワタクシはフェンスの傍へとたどり着いてしまいました。”時間”も”脚”も動くことを諦め、ただひたすらに止まっていたい様でありました。フェンスの向こうに佇む彼らは、何やらぶつぶつとおのおのが独り言をつぶやいておるのです。奇妙奇天烈とは、どうやらこのありさまでしょうか。そしてそれは、どうやらワタクシには理解のできない言語の様でした。木星では公用語として使われている物とのことでしたが、ワタクシはこの寂しい地球の者でしたから、わかるはずも無いのです。そうこうしております間にも、幾分か止まった”時間”は再び動き出すのです。山登りの休憩を終えた老夫婦の様に、ずっしりとした重い腰を上げようと動き出すのです。そうかというと、少女は徐に(おもむろに)フェンスに手をかけて掴んだのでありました。

そしてワタクシは、いつもフェンスに手をかけて掴むのです。するとこの、何年来ワタクシを苦しめてきた難夢が、終わるということを知っているわけではないはずなのに、知っているのです。こうして幾百回とワタクシは桜畑から脱出して参ったのです。



あとがき

これは筆者が、9歳のころから2~3か月に一度見る夢の話です。シチュエーションはいつも同じ様子です。恐くもあり、淋しくもあるこの夢の正体は、24歳になった今でもわかるはずもなく、ただひたすら夢が始まり、終わると同時に起床するといった具合です。なんとも夢という物は不思議なものです。まあ夢占いに頼ろう等思ったこともありませんが、きっとほんとはこの夢の意味を筆者は知りたくて、知りたくないのだと思います。皆様にもそういった不思議な夢を見ることは、少なからずあると思います。でもどうか、その夢の意味を他人の言葉で形容しないであげてください。説明書きなどは読まないであげてください。本来夢とは意味をさぐるべきではないのです。それが夢であり、夢なのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?