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ジョナサン・フランゼン『ピュリティ』を読む

情報戦 覇権争いの今を描く  

−–ジョナサン・フランゼン『ピュリティ』(早川書房)

「ベルリンの壁」の崩壊以降に、世界の政治・経済的秩序は大きく変化し、今では米国と中国が覇権争いをしている。争点になっているのが、ビッグデータを利用した情報テクノロジー産業であることは言を俟たない。


 日本語訳にして八百ページを超える大作であるが、東西冷戦時代にまでさかのぼりつつ、そんな覇権争いの「今」を扱う意欲作だ。


 現代アメリカ文学を代表するこの作家は、心理描写を得意とするオールドスクールの技量の持ち主でもある。家族の人間関係の中に世界の縮図を読みとり、それを寓話として描くことに定評がある。


 例えば、全七章あるなかの三つの章で視点人物の役割を与えられている若いアメリカ人女性を見てみよう。

 ニックネームで「ピップ」と呼ばれるが、本名は、本書のタイトルでもある「ピュリティ」。純潔や潔癖といった意味だが、アメリカ合衆国を建国した「ピューリタン(清教徒)」やその厳格な思想を連想させる。トランプ政権の重要な支持層の一角に担う「福音主義者」たちに通じる、勤勉と禁欲を重んじる思想だ。


 象徴的なのは、ピップは頑迷な母親から父親が誰であるかを教えてもらえないことだ。母親は改名して世捨て人のように北カリフォルニアの森に暮らすが、若い頃はパンクで過激なアーティストとして異性関係は激しかった。

 娘は母親の抑圧的なくびきを断ち切り、父親探しの旅に出て、ジェンダーの壁をはじめ、さまざまな試練を乗り越えねばならない。そんな娘の「成長物語」が本書の読みどころであり、その成長プロセスはアメリカ国家・国民の進むべき方向を示唆しているかもしれない。


 一方、ピップと同じくらい重要な位置と分量を与えられている人物がいる。アンドレアスという名の、冷戦時代の東ドイツに生まれ育った男だ。監視社会で体制を揶揄する詩を書いて、秘密警察にマークされ地下生活を送る。

 自分が愛する少女が継父によってセクハラを受けており、その継父を殺した暗い過去を持つ。米国のベンチャー投資家から巨額の融資を得て、南米ボリビアの左派政権の後ろ盾のもと、かの地にゲリラ的な基地を作り、欧米の政府や大企業を脅かす内部告発サイトを立ちあげる。


 このカリスマ的な「罪人」は、先ほどのアメリカ人の娘をおびき寄せ、「不在の父」の代わりに狂気の「教育」を施すが、インターネット時代のグローバル社会も、東ドイツの監視社会と同じだと主張する。人々に全体主義的な恐怖を植えつけ、異分子を排除しようとするのだから。


 <ウィキリークス>の創設者アサンジ氏がどんな動機を持っているのか、どんな心理の持ち主なのか。この「怪物」を追うことで、そんなことを知る楽しみもある小説だ。

(初出は『日経新聞』2019.6.15ですが、多少加筆しました)

#ジョナサン・フランゼン  #アメリカ文学 #ウィキリークス #アサンジ #米中貿易戦争

 

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