M6事件と永遠のクエスチョン
ライカM6にちょっとした事件があった。
最初の1枚は息子の写真だった。
購入した日に白黒フィルムのTri-Xを入れ、翌朝、彼が毎朝通る通学路で撮った。いまは当たり前の風景だけど、いつかなつかしく感じるときが来るだろう。
その後、このように時間をかけて30数枚撮った。
最初の1本を撮るようすを動画にしてYouTubeに上げようと思っていたから、三脚を持っていって自撮りしたり、親しい人に頼んで動画を撮ってもらったりしていた。
カウンターが36枚を過ぎた。フィルム装填メカニズムのちがうM2を使っているときは、長年の修行の成果(?)で、毎回38枚撮れるようにフィルムを装填できる。だからM6でもきっと37か38いけるんだろうと思っていた。
ところが、その後、何枚撮ってもカウンターがいっこうに進まない。
やってしまった。
Tri-Xはちゃんと装填されておらず、おそらく1枚も撮れていなかった。M6あるある。かつて80年代バージョンのM6でもときもときどきやっていたことを、2022年バージョンでもやってしまった。
氣をとりなおし、装填しなおし、翌朝また、息子の登校写真からリスタートした。
その後、もともと遅い撮影ペースが、さらに遅くなった。まあ本来のペースだな。
先日も、撮影散歩に出て、3、40分歩いて、けっきょく1枚も撮らなかった。
「感動を写真に」「心が動いた瞬間にシャッターを切る」というような言葉をよく見る。
だが、感動したり、心が動いた瞬間の被写体が、暗室で印画紙にプリントしたいものと一致するとは限らない。心の動きは外的刺激と密にあって、刺激は自分が感じる美と必ずしも直結しないからだ。直結するときももちろんあるけど。
プリントから逆算してシーンを選んでいると、自然とさほどシャッターを切らなくなる。
加えて、ISO400の白黒フィルム、90cmしか寄れないレンズ、1/1000秒までしかシャッターを切れないカメラという制限もある。
ついさっき、そんな私とは正反対のような、noteでも1つの記事にたくさんの写真を載せる写真家さんの記事を見た。
おもしろい記事がたくさんあって、フォロワーもたくさんいて、正直ちょっとうらやましい。けどまあ、真似したいとは思わない。
ただ、彼の記事にある、どんどん画面をスクロールさせながら見る多量の写真から、ある種の「抽象性」を感じた。
1枚1枚の写真は、人の表情、景色、テーブルの上のもの、すべてが具体的だ。あいまいなぶらしやぼかしは一切ない。ところが、全体から受ける印象が抽象的。
その抽象性こそが、私が写真に望むことのひとつであり、シャッターを切るトリガーになること。インスピレーションのひとつの入り口。
写真はもちろん、作曲していても、絵を描いていても、感情的にのめり込みつつも、いつもどこかで抽象性のことを考えている。
永遠のクエスチョン。たぶん答えは出ない。しかも、制限のなかで、動きながら、手を汚しながら、かたちにしつづけながらでないと、答えらしきものに近づけない。
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