見出し画像

ノイズがアートをつくる

「ノイズ」と聞いたとき、あなたは何を連想するだろうか。

だいたい「雑音」と訳されるが、画像、映像にもノイズはあるし、「日常生活のなかのノイズ」などと使われることもある。

ノイズとはもっぱら、不必要な要素、目的以外の成分、余分なデータ、乱れなどのことをいう。

これだけ読めば、ノイズはジャマモノだ。実際、たとえばかつて、オーディオでもビジュアルでも、アナログの記録媒体(テープやフィルム)にはノイズが多分に含まれていたため、なんとか取り除こうとした。

その後どちらもデジタル化され、これでノイズから開放されたと人々はよろこんだ。初めてデジタル録音の音楽を聴いたとき、そのクリーンさに感動したものだ。映像ではさらに、高感度ノイズなどの除去に、メーカーはやっきになった。

ところが、いざノイズがなくなってみると、なんだか物足りないのである。

あれだけ忌み嫌っていたはずのノイズを、音楽にも写真にも、わざと入れたりしてみた。

実はノイズは、アートにとって非常に大切なものなのだ。なぜなら、アートは常に「ノイズ」によってアップデートされ続けてきたからだ。

たとえばロックが登場したとき、過去の音楽に慣れた耳にそれはほとんど「ノイズ」に聞こえた。

歌舞伎が登場したときも、それは伝統的なものに比べ「ノイズ満載な」芝居だったに違いない。

だが、それら「ノイズ」は、若者や、新しいものに敏感な人々には、刺激的として歓迎された。かくして、新しいアートのかたちができた。

五感は違和感のあるものに反応する。たとえば、台所から異臭がしたとき、それまで意識していなかった嗅覚が急に反応するだろう。

その「違和感のあるもの」が、つまりノイズである。

逆に言えば、違和感のないものに、五感は反応しない。反応しないのだから、刺激がないのである。正確には、反応はしているが、意識することがない。現代の小学生にビートルズを聞かせても、当時のような反応はない。かつてのノイズは、未来の普通になったのだ。

ただし、だからと言ってノイズばかりのものがいいかと言えば、そんなことはない。ノイズの質や含有量の好みは人それぞれ違うから微妙ではあるが、「適度なノイズ」「ほどよいノイズ」がいいのである。

ノイズが大切なのはアートだけではない。

水も、混じり物のない純水は、吸収されにくい。

酒だって、適度な雑味が美味さだったりする。

睡眠でも、完全な無音の環境は、かえって寝づらくなる人が多いらしい。

人間関係でも、たとえばノイズフリーな会社が必ずしもうまくいくわけではない。適度に違う意見や問題があるほうが、いいアイディアが出たり、仕事の質が上がったりする。

サカナクションの山口一郎さんが「良い違和感」を大切にしているそうだが、まさにそういうことだ。

そんなわけで、私自身も制作において、ノイズを大切にしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?