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人生最高のエスプレッソ

それはフランスからイギリスに渡る朝だった。

シャンゼリゼに程近いアパルトマンを早朝に出ると、街は暗く、寒さがコートの内側にも感じられるほどだった。タクシーをつかまえ、北駅を運転手に告げた。ユーロスターに乗るのだ。

11月の、まだ暗く、暖色の街頭が灯るパリの朝は、クリスマスシーズン前の静けさに満ちていて、わずか2週間ほどの滞在であったにもかかわらず、流れゆく車窓に郷愁を感じた。

北駅に着き、小さな待合スペースで出発までの間に朝食を摂ることにした。

そこには唯一、家庭用簡易エスプレッソマシンで煎れる小さなカフェスタンドがあった。

ところで、フランスのカフェといえばカフェオレで、街のカフェに行ったらウェイターがコーヒーとミルクのポットを持ってきて目の前で混ぜてくれるという印象があった。ところが、いつからそうなったのかは知らないが、いまパリでカフェといえば、ポットで煎れるコーヒーではなく、エスプレッソ。

さて、私はその店で、カフェとクロワッサンを頼んだ。店員が、当時ヨーロッパで主流だったポッドタイプのエスプレッソ豆をフィルターに置き、取っ手を回してマシンに設置し、デミタスカップに抽出した。

カフェとクロワッサン、どちらを先に口に運んだかは覚えていないが、カフェを一口含むと、口いっぱいに香ばしいアロマが広がった。それは、やさしく、だが華やかで、力強い味だった。私はそれをいっきに飲み干した。

それから10年以上経ち、その間いろいろな店で、たくさんのバリスタが淹れるエスプレッソを飲んできたが、この日家庭用簡易エスプレッソマシンで女性店員が淹れてくれたものを超えるエスプレッソに、いまだ出会っていない。

味覚は相対的で、その時の体調やいっしょに食べるものによっても変わるし、視覚が味覚に影響することもわかっている。簡易マシンのほうが業務用よりいいとか、できあいのほうが挽きたてよりいいとか、素人のほうが熟練バリスタのよりいいとか、そういうことでもない。なにも特別なことはない、きわめて平凡でシンプルなものが、ベストな体験になり得るという話である。

その話を銀座の親しいバリスタに話したら、彼にとっての最高のエスプレッソは、イタリアの片田舎のガソリンスタンドでおばちゃんが淹れてくれたものだと話してくれた。バリスタ大会に出たり、すでにバリスタを育てる側にいて、世界中のバリスタのエスプレッソを味わっている彼が、である。そのとき彼が淹れてくれたエスプレッソもまた、深く美味かった。

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