ラルフ・ギブソンが教えてくれた写真のおもしろさ
今回はすこし観念的な話になるが、ちょっとおつきあいいただきたい。
敬愛する写真家ラルフ・ギブソンが、白黒写真の魅力という文脈で、よくこういう意味のことを言う。
ラルフ・ギブソンに私が注目するようになったのは、2009年にタイのバンコクにあるルメルディアン・ホテルに泊まったときだった。
何も知らずにホテルの評判とロケーションだけで選んだのだったが、行ってみると、ロビーの壁に大きな白黒写真がある。それもすごくカッコいい。しかも「Gelatin Silver Print」と書いてある。
部屋に入っても、白黒写真が飾ってある。これはいったい誰の写真だと、くつろぐ前にネットで調べると、ラルフ・ギブソンだった。アートにインスパイアされたホテル、そのコンセプトの中心にいたのが彼であり、彼の写真だった。
その白黒写真は、強く、クリアで、抽象的だ。
その頃(今でも?)日本で流行っていた、ゆるく、淡く、あいまいなカラー写真の正反対にある。
どちらも説明的でない点では共通するが、抽象的で、解釈のおもしろさを喚起する彼の作品と、あいまいで、感情を喚起する日本のカラー写真は、ずいぶんちがう。
(余談だが、ラルフ・ギブソンの作品はどれもフレーミングが見事なので、一眼レフで撮られているのだろうと思っていたが、後になって、レンジファインダーのライカで撮られていることを知った。)
最近よく、写真のおもしろさってなんだろうと、考える。
仕組みとしては、録音や録画とも似ているが、それらとちがうおもしろさが写真にはある。
上記のラルフ・ギブソンの【2〜3段階の抽象化】の指摘も、写真のおもしろさの理由に他ならない。ただそれは、動画にも当てはまることだ。
私は写真には、もう1段階プラスの抽象化があるように思う。それが【動的→静的】という抽象化だ。
いわゆる現実が動的だとすれば、写真は静的。つまり、写真は静止している。
人間がいま持っている記録技術では(そもそもそれ以前に、人間の認識能力からして)、五感のうちの、視覚だけが、静止しているものを記録できるし、認識できる。
音も味も匂いも皮膚感覚も、瞬間を記録し、認識することはできない。録音はそれに近いことができるが、必ず時間軸を使わないといけない。そんななか、写真という媒体だけが、いわゆる現実を時間軸に頼らずに静止させることができる。
3ないし4段階の抽象化。それが写真のおもしろさ(の1側面)なんだろうと思う。
Cover photo by Masato Indo
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