「子どもに言われた一言」から「祈り」ってものを考えた
小3だった息子に言われて、印象に残っている言葉がある。
「オレはいつも幸せじゃなくちゃいけないのか?」
大けがしないように、自転車は交通ルールをちゃんとわかってから乗って欲しかったし、
学校に行くのに、決まった時間にちっとも間に合わなくて、毎朝ピンポンしてくれる友達がいつかあきれちゃうんじやないかと心配だったし、
宿題全然しなかったら、いつか学校嫌いになっちゃうんじゃないかとか不安だったりして
きっとあれこれ私がうるさかったんだと思う。
「幸せになってほしくていってるの。」って言ってたんだよね。
大きなお世話だったのかもしれない。そんな風に思えるきっかけの言葉だった。
何回かヒヤっとしながら交通ルールを覚えたっていいし、
友達にあきれられてから、奮起して朝時間通りに出発できるようになってもいいし、
学校嫌いになってもまた好きになればいい。
朝ずーっと時間通りに出発できなくても、学校嫌いでも 別に どんなふうだって息子のことは大切なんだよね。
で、それからずいぶん私はおとなしくなったわけなんだけど、
それでもさ、
やっぱり
「幸せでありますように。」
とか
「ケガしませんように。」
とか私は祈っちゃうな。
正しい「祈り」って、全部受け止めるけど、それでも「こうだといいな」と願うことなのかもしれない。
例えば子どもの受験の合格祈願とかさ。
別に不合格でもかまわないんだけど
とってもよく頑張ってたから
合格できたらいいのにな。
みたいな。
病気治癒祈願
とかも病気が治らなかったら
その人(自分でも同じこと)の価値が無いみたいな勢いでやらないのがいいんだろうな。
全部受け止めるけど
それでも願わずにいられないっていうのが「祈り」だと思う。
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