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脳の病気は無駄ではなかった。

「脳の病気になって前と同じように生活できなくなりました。」

そのように聞くと「可哀そうに」と思うかもしれません。

しかし、そうであっても、病気にならなければわからなかったことを知り、気づきを得ることができて、世界が広がったように感じます。



病気になる前はがつがつ仕事をし、趣味の登山に明け暮れていました。

それが病気をして、思うように生活や仕事ができない、好きな山に行けない。

そのような中、できないことに焦点をあてて悶々とするのか、自分のできることを探すのか、気持ちの持ち方で毎日の生活が変わってくるように思いました。


復職した当初は頭を使う仕事は疲れてしまうので、手始めに自分のペースで水回りやトイレ掃除、資料室の不要な書類の廃棄と残った書類の整理、倉庫のゴミ出し・お片付けをし、適切に管理すべき資料のデータベース化をしました。


そんなことをしていると、ぽつり、ぽつりと「ありがとう」「仕事の効率が上がった」「嫌な仕事をしてくれるから好き」「人の嫌がる仕事をするあの子はいい子だ(と言われる歳ではないのですが)」と言ってくれる人が出てきて、地道に腐らずにやればいいことがあるんだな、と思いました(自慢に聞こえたらごめんなさい)。


また、復職当初、自信がなくおどおどした私をののしった相手をみて「私も昔、そんなことをしていたかも」という気づきが得られましたし、妹に「病気になってから短絡的になって怒りっぽくなった」と言われて自省し、これまでの自分を変えたいと思うようになりました。

そして、思うようにいかないこととはどのようなものかについて知り、結局のところ、私は他の人の心に無頓着だったことに気がつきました。



就労訓練で色々な方にお会いしました。

障害があるので健常者と同じように働くことはできないけれど、職に就こう、戻ろうという気持ちで、それぞれの障害と向き合いながら真剣に課題に取り組んでおられる方。

自分の専門でお金を稼いで、狭くてよいから自分のスペースがほしい、とおっしゃる方。



そのようなお話を伺って、浅はかかもしれませんが、

部分的に障害があっても、ほかの人にはない優れた部分はないか?

得意分野を生かすことはできないか?

それぞれの役立つ部分と社会のニーズがマッチすれば、働ける場所があるのではないか?

障害があっても「生きている」という実感を持てるような社会が実現できないか?

と考えるようになりました。



脳の病気になって昔のようには暮らせないけれど、知らなかった世界を知り、自分の価値観を見直すきっかけとなったので、病気になったことは無駄ではなかったと思えます。

そんな経験を経たからこそ、私にできる何かがあるはず…。


これからの人生、私ができる恩返しを探求していきたいと思います。