見出し画像

どうして私は「覚醒のヨーガ」を多くの方に知ってほしいのか

今日は、「覚醒のヨーガ」を多くの方に知ってほしいと願っている理由について書いてみたいと思います。


「覚醒のヨーガ」に出会ったときの状況

もともと人の些細な言葉やしぐさに過剰に反応して、落ち込んだりイラっとする性格だった私は、病気のあと、余計なことを考える時間が増えて、それに拍車がかかっていました。

自分のやることに集中すればよいのに落ち着きがなく、周りのことが気になって、人の話を聞いてはイライラ…。心や体に怒りをためてイライラを増幅させ、たまに大爆発を起こして人の心を傷つける自分を呪って落ち込むことの繰り返し。

とにかく感情の波が大きく、そんな自分にほとほと嫌気がさして、どうにかならないかというときに「覚醒のヨーガ」に出会いました。


「これこそ私が探し求めてきたものだ」

こちらの本には当時の私が陥っていた、なくしたいと切望していた障害(=落ち着きがなく、集中ができず、自分の感情に振り回され、周りの人に迷惑をかけては落ち込む状態)そのものがズバリと書かれていました。

それまで心について書かれている本を読んできましたが、私の抱えている問題そのものと、その対応について本質的に書かれた本は初めてでした。

また、自分が何に苦しんでいるのかを代弁してもらったようで「これこそ私が長年探し求めてきたものだ」という感動に震えました。

「覚醒のヨーガ」に出会って自分に起きた変化

私は自分に自信がなく、人付き合いも得意でなく、自己肯定感は決して高くはありません。

人間関係に悩む当時の私の望みは、悲しいかな、自分ばかりに執着しているくせに「自分を好きになってから死にたい」というものでした。

そんな私でしたが、この本に出会って「ダメな自分を変えられるのかもしれない」という希望の光、生きる指針を得たのです。


呼吸と姿勢を整え、自分を客観的にみるようになって、少しずつですが、感情をコントロールできるようになり、「自分を好きになってから死にたい」が「自分も人も心から愛して死にたい」に変わっていきました。


他の部分でも変化がみられました。

「ものごとの捉え方が変わった。」
「私のものの見方はゆがんでいたんだ。」
と気づいたり、これまで何気なくみていた日常が愛おしく、感動的だと感じる機会が増えてきたのです。


たとえば、ある国が自国の権益を確保しようと他国や領海に侵入するという報道をみて「仲良くすればそんなことをしなくてもいいのに…。」という言葉が心の底から自然に浮かんできて驚きました。それまでの私は「それは理想だけど、きれいごとだけではね…。」と思っていたからです。


初めは嫌な自分を変えることを目的として始めたヨーガでしたが、ヨーガはそれ以上のものでした。


「覚醒のヨーガ」は人の心に変容をもたらし、よりよい世界に導く力がある。


「覚醒のヨーガ」は人の心に変容をもたらし、よりよい世界に導く力がある。

そのように心で感じた経験から、平和で幸せに満ちた世界は一人ひとりがヨーガで覚醒して光輝いて生きることから始まるに違いないと思いました。

この「覚醒のヨーガ」はその道しるべとなるものなので、多くの人が手に取ってほしいと心から願っています。