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東京都知事選と秀吉の「京都改造」

(本稿は 2024/7/10 に『不動産経済Focus&Research』に発表した論考で、盛り上がる東京都知事選を眺めつつ、かつて豊臣秀吉が為した「首都改造」に比して考えたことを述べたもので、それを再公表するものです。)
【冒頭写真は明治神宮外苑の再開発計画パース】


 いま都知事選で世間は沸いている。私は都民でないが、我が国の首都の施政者が誰になるかは、他人事と等閑視を決め込むことでは無い気もしてくる。

 中世の混乱に終止符を打ち、統一政権を立てたのは豊臣秀吉だが、彼は本拠を当時の首都たる京都に置いて「大改造」を断行し、い まの京都の原型を成した立役者でもある。秀吉の首都改造の取り組みに比すれば、現状の都政、あるいは都知事候補者たちの唱える政策には疑念を覚えてしまう。ただ、公約を成さずとも何らペナルティが課されぬどころか再選可能な現選挙制度下では、各候補者の掲げる政策を取り上げるのが無意味にしか思えぬ が、そこは捨象して思うところを述べてみたい。

要塞化した京都

 秀吉は京都に政庁、そして城郭としての「聚楽第」を築いたが、その“大外堀”となる「御土居」という都市全域を取り囲む土塁を構築し、その出入りは「京の七口」に限定して封鎖した。それは江戸期に順次解体されていくが、現代に至る“洛中/洛外”の境界を定めた、ともされる。また、御土居を設けた秀吉の意図は京都を防衛するためと説明されることが多いが、もう少し緻密な政略が在ったはず、と私は見ている。

 つまり、秀吉はただ物理的防衛線を構築するだけでなく、精神面も含めたセキュリティを手当てしたように思える。これに関して現都知事が築地市場移転の折に土壌汚染等の客観的証拠は見出せぬものの人びとの不安が残ると言い立てて「安全だが安心ではない」との迷言を放ったことを思い起こす。人心を落ち着かせるのは施政者の任務のはずだが、むしろその不安を煽り立てるその姿勢に呆れた覚えがある。

 古来、都市とは富が集積する場で、常に部外者による略奪の的(まと)となり、首都となればなおさらであった。秀吉は戦乱による延焼や、戦略上の焼き払いを被った人びとの不安を一掃し、今後は安心して経済活動に注力できるよう図ったのだ。

グローバリゼーションへの対抗


 現代日本ではグローバリゼーションにより、 国富が海外に収奪される事態がより深刻化しているが、戦国期も南欧(スペイン、ポルトガル) が世界征服を企て、対象国にキリスト教を浸透させて、それを内応する「尖兵」として侵略 に利用するのが常套(じょうとう)であった。だからこそ秀吉は伴天連(バテレン)追放令を発したわけだが、その「唐入り」も既にフィリピンを植民地化したスペインが大陸に食指を伸ばすのに先手を打ち、彼らによるアジアの奴隷化を防ごうとしたとする説には説得力を感じる。

 古代、平安京は大陸の「都城」を模したものの、本場とは異なり外周を囲繞(いにょう)する城壁が無く、“剥(む)き出し”の状態であった。秀吉は南蛮のみならず明(中国)の使節来訪を念頭に置き、彼らに海内無双の大阪城とともに首都に相応しい「都城」としての威容を示したかったのであろう。つまり、御土居は「国威発揚」のためでもあったが、それは朝臣としての自身、すなわち首都に御座す皇室の威信を高めることと同義であっただろう。

 同様に我が国の文化たる多くの寺社を秀吉は復興させた。都知事選で問題視されている神宮外苑の再開発については、明治神宮が内苑に抱える広大な森の維持管理費を賄うためにそれが必要なことには言及されていない。 GHQ 製憲法による我が国の精神性を毀損せんとする政教分離ばかり慮(おもんばか)るのでなく、明治帝を祀った「国民の神社」への支援を訴える候補者を見ぬことを嘆かわしく思う。また、ここ数年、犯罪認知件数は増加傾向にあり、背景には(不法滞在者含む)移民の増大も取り沙汰されるが、外国人が靖国神社はじめ寺社に狼藉を働く行為に適切な処断は行えているのか。それどころか、「おもてなし」を履き違えた過剰な外国人保護や、インバウンド歓迎から は、都政が誰のための便益を図るべきかが適切に認識されているのか、とも。
 
 さらに、現都知事は太陽光パネルの新築住宅への設置を義務付け、有力候補者はメガソーラー敷設を主張しているが、同措置は我が国土の環境破壊を促し、その最大供給者たる中国を利するばかりではないのか。別の有力候補者は、二重国籍疑惑など、我が国益に資す人物なのか疑わしいどころか、我が領土にミサイルを撃ち込み、同胞を拉致して平然とする隣国のスパイ養成校に補助金を出すと公言している。秀吉のように、グローバリゼーションから自国の富や生命を護ることを大事とする人物が都知事になるべきと思うが、その願いは果たされぬのであろうか。


「由らしむべし」


 秀吉が御土居で最も意識したのは、人びとを馴らすことではなかったか。戦国期に為政者 同士の抗争で京都が荒廃すると、町衆、つまり〈まち〉の施政を担った有力な町人たちは、 為政者を頼りにせずに「自衛」をはじめた。すなわち、京都は上京と下京に分断されるが、 町衆たちは武装して、それぞれの〈まち〉の外周に濠を穿ち、塀を巡らして「惣構(そうがまえ)」を構築したのだ。
 
 当時の町衆の多くは日蓮宗信徒であり、現世利益を重んじ、現実の困難を克服するために自力で「社会をつくる」動意(ダイナモ)に富んでいた。秀吉はそういう意味での「自立心」を削ごうとしたのではないか。「刀狩り」はその一環であり、 人びとの武装を解除するとともに、「惣構」を御土居に発展解消していくことで「自衛」を“用 済み”とさせたのだ。

 江戸幕末から明治維新後に生きた福沢諭吉は、「江戸幕府は民の力を挫(くじ)き、明治政府はその心を奪う」と評した。人びとを強制的に抑えつけるより、公共の設備やサービスの充実によって「お上」への依存心を植え付けるのを得策としたのだ。

 メディアが大騒ぎして盛り上がる都知事選を眺めつつ、為政者が誰になればよいかとの「他人任せ」、つまりは人びとの「自立心」を排することを促しているのではないか、とつい疑ってしまう。秀吉のような国益を優先せんとする為政者が独裁的に振舞うのならまだしも、デモ クラシーの仮面を被った為政者によって自国よりも他国を利する事態の進行に危機感を持たぬ人びとが増殖するなら、人びと自身が為政者たるべきデモクラシーなど形骸化も甚だしい、とも。

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