ミチクサカンナ

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最近の記事

今を生きるとはどういうことか考えてみた

百年続く風景とは。 住む人が変わっても、在る家が代わっても、風景は変わらない。 東川には、世代を越えた概念を感じる場所がある。 ここは地球のど真ん中。 耳をすませば、大雪山から、どくどくと脈打つ心臓の鼓動が聞こえてくるようだ。 わたしが生きるより、ずっと長い年月を含む家で、”風景の間貸し”をしている家の一室。ベットからむくりと起き上がり、”今”を考えた8日間の話を少ししてみよう。 School for Life Compathの「みみをすます -find our voice

    • 月をみて綺麗だと思えなくなった私、おわったと思った噺

      ある夜、ふと、話すことがないなと思ったとき、私って普段何を話してるんだろうと思った。正確には、仕事以外に話すことがないなと思った夜。 私って普段何を話しているんだ?と、ここ数日間考えている。 生きていると、心に残る言葉が届けられることがある。 その言葉を発した人は全然覚えてないかもしれないけど、 その言葉が自分のテーマになったり、 あのときの、あの子の言葉ってこういうことか、と妙に腑に落ちたり、 今の私が考えていることは、ちょうどあの子が言ったあの話だと、もう一度その言葉

      • かつて星空に憧れた少年たちは、今宵も小さな窓から宇宙を眺める

        「お父さんたちは、いくつになっても心に少年もってると思うで。」 気心の知れた先輩が言った言葉を思い出すようなことが先日あった。 父が入っている天文同好会では、毎年同好会誌をつくっている。 最後の製本はみんなで集まってするそうで、別の用事の帰り道、父に誘われてついていった。満腹感と昼下がりの太陽で眠気に襲われていた私は、科学館の飲食スペースで買った缶コーヒーを飲んだ後、一室で行われている製本作業に加わった。 ある人はホッチキスで止め、 ある人は製本テープを均等な長さに切り、

        • アメリカンな山形レイディは今日もきっと湯船に浸かる

          朝風呂に入って髪を乾かそうとしたら、おばあちゃんに声をかけられた。 お風呂に入る前の受付あたりで、店員さんと話していたばあちゃんだ。 ばあちゃんが何かを聞いて、店員さんが「んだ~」と相槌をうつのを横目に見ながら、山形の人って本当に”んだ”って言うんだなと考えながらお風呂に浸かった後のこと。山形のレイディに話しかけられた。 山形訛りのばあちゃんの話に、1分くらい過ぎたあたりから耳が慣れてくる。 昨日から泊まってたのかと聞かれて、はいと答えると、夜の九時頃に宿に帰ってきた人を

        今を生きるとはどういうことか考えてみた

          青い器の物語が私に届くまで

          Story itself doesn't have a meaning. I'm interested in how the story arrives to you. ストーリー、それ自体には意味がないの。 私が興味があるのは、 そのストーリーがどうやってあなたにたどり着いたかなの。 ギリシャから来た彼女は、そう言って、天ぷら鴨そばをすすった。 「私、食べられないものはないし、何て書いてあるか分からないから、あなたが頼んでくれない?」と言われて、私が注文したそばだ。 ス

          青い器の物語が私に届くまで

          2023年愛について考える

          「愛ってなんですか?」と聞く人に会った。 こういう話って、みんな答えが分からないことなのに、人と話せないことだから、と愛について聞く人に出会った。 長テーブルの反対側で、自分の考える「愛」を答えている人たちの声を聞きながら、友人に勧められて半分で止まっているエーリッヒ・フロム『愛するということ』の一節「与えること自体がこのうえない喜びなのだ」という受け売りのような「愛」の答えを思い浮かべていた。 まだ半分しか読んでいないと知ったら、「ルソーと比べたら、フロムはめちゃめちゃ読

          2023年愛について考える